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ジュマペール・ジェームス(1)〜里親さんが見つかった!
生後間もない僕の記憶によると、あれは2001年秋頃だったと思います。京都市内四条河原町高島屋前で、里親探しをしているボランティアさんがいました。箱の中には子犬が数匹。その中の一匹が僕、ジェームス。なぜか全員外国の人の名前が付けられていました。
次々と里親さんが決まる中、最後まで決まらず箱の片隅で待ち続ける僕。
誰か優しい人に声をかけられることをドキドキしながら待っていました。やっと僕をもらってくれる人が現れた!内心、殺処分を逃れられたことにホッとしていました。僕の里親になってくれると決め、年明けに迎えに来てくれることを約束して、僕は一旦亀岡市の山中にある保護施設へ。後に、成長してラジオ番組のDJを務めることになった僕。他の兄弟はどこへ行ったのか?僕のルーツをたどる企画がラジオ番組の中で取り上げられ、河原町へ行ってみた。放送で呼びかけたり、思い当たる施設へ電話をかけてみたけど、結局、僕の兄弟は見つからなかった。
年が明けて2002年1月の第二土曜日、約束通り四条河原町で会った人が、僕を引き取りに来てくれました。
初めてのお家にちょっとビビり、リビングの真ん中でいきなりのおしっこ。僕としたことが・・・(恥) 新しい家族は、お父さん、お母さん、OLのお姉ちゃん、大学生のお兄ちゃんの4人。その頃お母さんは乳がんを患っていて、どうやら僕は、お母さんの病気療養の癒し犬としてもらわれたらしい。「お役目を果たすように、頑張る、ワン!」と意気込んでいた幼い僕。もらわれた翌日、生まれて初めてサロンでシャンプーをしてもらいました。そして、静かで穏やかな毎日が始まった。
朝のお散歩から夜寝るまで、僕はいつもお母さんといっしょでした。ここまでの記事を読んで、僕の兄弟や親を知っている人がいたら、連絡ください。手がかりは、2001年秋に京都市内四条河原町で里親を探してくれているグループがいたこと。僕の他の兄弟も外国の人の名前が付けられていたらしい。これくらいです。
サポートいただいたお金は全額動物愛護センターへ寄付します。保護犬ジェームス君。孤独で寂しい幼少期を過ごし、後にラジオDJを始めて人気者に。義援金活動を続けていたある日、脳梗塞に倒れ、リハビリのお陰で復活しましたが、やがて寝たきり生活に。ジェームスカレンダーの売上金全額寄付継続中。