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映画『トラペジウム』に思うこと 走り書き

※うー、まとまらん。支離滅裂な走り書き、乱文乱筆何卒ご容赦を…
※ネタバレありです

 「主人公の東ゆうがクソでヤバい」
 Xでこのような評価が拡散してる当該作品だが、自分の感想としてはそこまで言われる程に突出してヤバいこともなく、レッテルだよなと感じるものの、東ゆうが心底ヤバいクソだと認識してる人もこんなに多いものなのかと。

 的外れかもだが、このトラペジウムという作品に自分が感じたのは、原作者がこれまでに過ごしてきてアイドルを取り巻く中で実際に出遭ったり見聞きしてきた事柄のモザイク、トッピング、ミックス、ブレンド、あるあるで構築されているように思えた。
 当人や同僚、他のグループアイドル、事務所、業界、ファン、不文律、各々の想い、振る舞い、主張、すれ違い、感情、その他etc.etc.
 ところどころの展開が都合が良すぎるとの感想も多く目にするが、実際にトントン拍子に話が進んだ事例なんてのも世の中に幾らでもあって、小説より奇なりな現実というものは普遍的だったりなのでは?で。おそらく原作者自身にも実際にそういうことがあったか目にしてきたかで、作中で描かれていることはどれも、あったことを要素としていて、8年後の関係性なども含めて全くのフィクションはほぼないのではとも思う。

 主人公のその押しの強さとは異なり、作品自体は何かが強く主張されているわけでも特定の解釈を求めてくるわけでもない。原作者の自伝とか私小説という感はなく、随筆・エッセイ的でもあるというか、押し付けるでなく淡々と、フラットに綴られているように感じた。



・西南北の三人が薄っぺらい?
彼女らがなんで東ゆうを許せるのか?
それこそ非難する東ゆうと同じ思い込みに陥っていないか?あなた方も彼女らのステータスだけしか見ていないのでは?

くるみが東西南北をすることにした心情・経緯は、そこを見せる必要があるから東さん視点を逸脱してまでも描写されている

「美嘉ちゃん、この前は言いすぎてごめん。私が悪かった」
東さんは内心はどうあれ美嘉に謝ってはいる

・いろいろ
制服ダッサァ 
何か学校で困ったことあったら、いつでも言って?
SNS  一人だけ音程外してて下手wとの投稿をする側
性格がクソ サイコパス 人を人として見ていない
舌打ち
東ゆうの舌打ちはドルオタや一般層の代弁の意味合いもあるのだろうなと思った。多くの方が狂気と評されているが東ゆうに向けられた観客からの舌打ちと東ゆうのそれとに如何ほどの違いがあるのかとは思ってる。

彼氏がいるなら友達になるんじゃなかった
東さんがそう言ったのはクソで、現実のファンや同僚が交際が発覚したアイドルを非難する行為は当然? SNSに誹謗中傷を書き込む行為が正当化されるに値する?
美嘉の優先順位は端から、彼氏・友だち>アイドル
アイドルの定義、不文律は絶対なのか?
交際してたらあかんのか?
ドルヲタ:「彼氏がいるんだったら、ファンにならなきゃよかった!」は是?
友だちと推しとアイドル、前提が違うんだから勿論一緒じゃないんだけど、それらが狂気なのかはわからんけど、重なり合う部分を東ゆうに見たように思った。

人も物事も白か黒かだけではなく0〜100の間のどこか一点なだけでもない、相反する真逆の要素も併せ持ったりもしている。

沢山の方々のトラペジウムの感想、考察を拝見していて、東ゆうの思考・振舞いにはアイドルを取り巻く側の視点が幾ばくかが仮託されてブレンドされているとの見方に同感。東さんの態度に“狂気”が宿って視えるのなら、実のところ自分達がアイドルをそのように視てる我々の“狂気”の写し絵でもあるとの感が拭えない。東ゆうはそれらの代弁者、依り代、写し絵、鏡でもあると思った。東ゆうに重なる自身を見たときに、意識的無意識的を問わず肯定もすれば嫌悪もするであろう共感性羞恥に向き合うか否か。

・大成したあとのインタビュー 
 東西南北の話は出していないが、嘘をついているわけでもない。原作・ノベライズにはある、解散した後で新たなオーディションに応募したとの描写が映画本編にはないが、そう解釈するうえで齟齬は生じていない。セルフプロデュースはアイドルの定番技能でもあるだろうし、何よりも偶像からの逸脱を望まず清廉潔白的佇まい振舞いを頑なに要求しているのはファンでありアイドルオタクのほうだろうに。それを踏まえた振舞いに徹しているあの10年後の東ゆうはキチンとファンの要望に向き合っているプロのアイドルになっていることを示しているシーンだと言えるし、東さんの数々の振舞いに寄せられている拒絶的感想も多いこの作品自体も、ある一線よりは踏み込んだ描写はしない原作者自身のプロのアイドル意識に則って構築されていると感じられる。

・8年後の美嘉
 下世話だとは思うが書いておく。原作には再会時のくるみが26歳とあることから1つ下の東さんと美嘉は25歳か。高校卒業後に結婚したなら6歳の子がいてもおかしくないだろう。実際、ノベライズにあのときの彼と高校を出てすぐに結婚したとの一文もある。もしそれが事務所を退所した後の在学中の懐妊だったとしても、社会通念上の問題はあれど他者からどうこう言われる筋合いもない。(アッコ的だと思う)
<補足追記>原作や映画で年齢設定や月日経過の揺れはあるが、トラペジウムは東ゆう高1からの10年間の物語であることは間違いないので、同級生の美嘉も15歳なら10年後はやはり25歳。
 10年後のあなたで美嘉が教会のシスターの衣装を選んでいたことと子どもがいることとを揶揄する感想もわかりはするが、思い描いてたのとは別の方向になった未来だってありふれて普通にあるだろう。どなたかの感想で、自分の身近な人をより大切に想いたい美嘉だから修道女服はあっているのかもとの考察はなるほどと思った。



とにかくの私の結論
『トラペジウム』は観る価値のある傑作だ。

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