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母の「施設入所」から「1ヶ月」が経って、思ったほど「解放感」は無いな~ここから「自分」を取り戻す!

今年「ゴールデンウィーク明け」に、母が「介護施設」に入所した。


「施設の場所」は、自宅の最寄り駅から、電車で2つ目の駅。
そこから徒歩で、行かれる場所だ。

車なら、20分ぐらい。
でも、私は車は持っていない。

普段は「カーシェア」を利用しているけれど、右手の「腱鞘炎」が、もう少し良くならないと、運転が怖い。

今のところ、何かあれば「電車」で、行っている。


母が、施設に入ったら、「うわ~~、やった~!」と、

もの凄く「解放感」を感じるのかと思っていたら、

そうでもない。


以前の生活の中で、母が「ショートスティ」に行ってくれた時の方が、「解放感」は、大きかった。

母が「ショートスティ」に行くと、チョと高価な「ショートケーキ」を1個だけ買ってきて、私は、家でゆっくり食べたりしていた。

自覚のない「ストレス」の日々、自分への「慰め」のためのケーキだったのだ。


でも、この1か月、おそらく、以前のような「ストレス」が無くなったお陰か、今の私の「食生活」は、とても「質素」だ。

生クリームやケーキとか、食べたいと思わない。

そんな私には、「やらなければならない事」が、次々とある。

自宅近所に借りていた「トランクルーム」を解約し、荷物の「移動」と「鍵の返却」は5月に完了した。

そして、6月下旬には、母のために設置していた「ウオーターサーバー」を返却しなければならない。

当然、「断捨離」と「荷物整理」は、日々、やっている。

毎日、荷物整理をしていると、つくづく感じることがある~


今の家に引っ越してきた時に、「何をどこに置くか」、細かい物に至るまで、その配置は、全て、私が考えて、「母のため」に決めたんだ、ということだ。

何故、そこに、これを置いているのか…

それは、その方が「母」が、使いやすいから

洗面所、キッチン、ダイニングテーブルの上、様々な場所の「物の配置」は、「母」にとって、その方が「都合がいい」からだ。


きっと、「私軸」ではない、そんな「生活環境」にいて、私は、少しづつ自分を「見失って」来たように思う。


住んでいる家の中ですら、自分が「どうした良いのか」わからなくなっているのに、この先の自分を、正しく思い描けるのだろうか~

今の場所は、自分の「終の棲家」ではない事は、最初から分かっている。


今はまだ、「お片づけ」の段階だけど、

自分の「生活の場」にある「物」を眺め、

その一つ一つを「どうしたいのか」を考え、

家の中を、もっと「自分らしく整える」ことで、私は再び、自分を取り戻せるような気がしている。

この場所に「引っ越してきた日」に、私は、戻っている。






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