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「終の棲家」ではないけれど、しばらくは「ここを動かない」と決めた。

今まで何回、引っ越しをしただろう。これまでも、色んな場所に住んだ。そんな私は、住む場所は「ご縁」だと思っている。自分たちの考えだけで、住む場所を決めても、ダメだな~ってわかっている。

毎週のように不動産を巡り、やっと決めた家でも、1年足らずで引っ越すことになったこともあったし、知り合いの人が家を貸してくれて、たまたま住んだ場所で、色んな事が繋がり人間関係に恵まれ、自分の世界が広がったこともあった。友達からは「ステキなお家」と言ってもらっても、自分では、馴染むことができず、そこに住むことがつらくて仕方がないこともあった。

「死ぬまでに、あと何回引越するのだろ~。」「私の終の棲家は、どこなんだろ~」年齢的にも、そんなことを思う。

今住んでいる「この街」と「私」の関係

5年前に父が亡くなり、実家で母との二人生活をは始め、父の三回忌を済ませた後、実家を片付けて、3年前、「仮住まい」のような気持ちで、今の場所を借り、「この街」に母と移り住んだ。1年住んだら、「終の棲家」となるような場所を探そうと思っていた。でも、想定外の事ばかり起こり、なんとなく計画していたことは、実現しなかった。

今住んでいる「この街」は、私が50歳を過ぎて初めての一人暮らしをした場所だ。父が亡くなった時に住んでいたのも「この街」だった。私は「第二の人生」が始まった「この街」に戻りたかったのだ。

当時、幼稚園勤務をしながら、私は一人暮らしをしていた。
幼稚園勤務は、体力勝負だった。そんなある日、通勤途中で体調を崩し、仕事を休んだ。

いつものように電車で、幼稚園がある最寄り駅までは行ったものの、具合が悪くなり、「やっぱりだめだ~」と思い、幼稚園に電話をして休むことを伝えた。そのまま、改札を出ること無く、電車で戻り、駅前のクリニックに寄った。「疲れからくる体調不良」なのは分かっていたけれど、仕事場が幼稚園ということもあり、感染性が無い事を確認するために受診した。

受診後、「タクシー乗り場」まで少し歩いた。天気の良い、寒い冬の朝だった。駅前には、2.3日前に降った雪が残っていた。身体がだるくて、ゆっくりしか歩けなかった。ゆっくり歩きながら、何気なく空を見上げた。駅前に広がる青空は、とても清々しかった。そして、澄んだ冷たい空気は、本当に気持ちよかった。体調を崩したこの日、「こんなにイイ場所に、引っ越してきたんだ。」と初めて気がついた。

そんな「この街」に、ずっと戻りたかった。そして念願かなって、3年前、母を連れて「この街」に戻ったという訳だ。

高齢の「母が住める条件」

実家を処分することを決めてから、次の住処について「高齢の母が住める住居条件」を優先することしか、私の頭の中には無かった。もちろん、金銭的なことは、動かせない。2階以上に住んだ場合「エレベーターがある」こと、建物に「スロープがある」こと…「冬でも室内が温かい事」などの条件を満たす住居として、いわゆるマンション、鉄筋コンクリートの建物になった。

母は、もっと高級感あるマンションなんかを夢見てたかもしれないけれど~。実際に住むようになって、ガスの床暖房もあるし、お風呂場にも暖房設備があるし、母の部屋は、日当たりも良く、温かい。
「もし、宝くじ当たったら、マンションと戸建てとどっち買う?」と私が尋ねると「戸建てはイヤ、マンションがイイ」と答える事を思うに、まあまあこの部屋でいいのかな~と私は思っている。

確かに、今の住居はこれらの条件を満たしている。余計な段差もなく、車いすで母を運ぶ時も、スムーズだ。冬は極寒だった築50年戸建住宅の実家に比べたら、夢のように温かく過ごせる。

ここからは「愚痴モード」です・・・なんで、「こーなちゃったんだ~」と思っている。

しかし、私は、マンションが嫌いだ。こうゆうコンクリートの建物に住みたくないのだ。自分だけならば、ここを絶対に選ばない。

私は「曇りガラスの窓」が嫌い。

私の部屋は、北向きで、夏の早朝に朝陽が少し入るぐらいで、日当たりは悪い。私の必須アイテムである「吐き出し窓」つまりベランダに直出られるような窓が、自分の部屋に無い。そして、窓が、「曇りガラス」になっていて、閉めると外の風景が見えない。室内では、外の様子を見ながら、過ごしたい私は、閉じ込められているようで、それが一番,嫌なのだ!暖かくなれば、窓を開ければ良いのだけれど、寒い時期や風が強い日は、どうしても窓は閉める。

満月の夜ぐらい、「電気消して!」~夜は暗い方がイイ!

さらに、今住んでいる場所は、マンション群の中にあり、コンクリートの建物に囲まれている。電燈が沢山あって、防犯上は、とても良いのだけれど、夜がとても明るい。明るすぎるのだ~

夜明けの「白みかけた空の色」とか「お構いなし」に、お日様がしっかり昇るまで、煌々と電気がついている。「人工的な電気の明るさに常にさらされている」感じだ。

以前「この街」に住んでいた私は、この場所で、きれいな星空が見えることも知っている。それなのに、ベランダに出ても、お向かいの背の高い建物が空を塞ぐ。じゃあ真上の空をと見上げてみても、電燈が明るすぎて、星がよく見えない!共有廊下側にも電燈が、煌々とついていている。せっかく昇ってくる「満月」も台無しだ~

どうして、こんな部屋を選んでしまったのか~

娘たちが幼かった頃、マンションに住んでた。ベランダからお向かいの建物が景観を塞いでいる事が、とてもイヤだったことを思い出した。でもあの時は、新築マンションを設計図だけで決めて、部屋からの景観は、分からなかったから仕方がない。それ以来、住処は「実際に建物を見て選ぶべき」と心に決めていたのに…半世紀以上、生きてきて、自分の事は大体、分かっていたはずなのに。しかも、2年間の一人暮らしの中で、改めて自分の事をみつめ直したはずなのに…。

父が亡くなってから、考えなければいけない事が沢山あって、「自分のこだわり」とか、「自分の意向」とか、すっかり忘れてた~!

ひたすら歩きたくなった「冬の朝」に知ったこと

ここに住んで2回目の冬の早朝、なんだか目が覚めて、ふっと散歩に出た。

夜明け前、まだ暗かった。「一人暮らし」をしていたアパートの方だったら、星がよく見えるはずと思い、行ってみた。マンション群を背に歩いていくと、途中、大きな「北斗七星」がくっきり見えた。

実母との同居生活が、うっとうしく感じるたびに「また、あの部屋に戻って、一人暮らしをするんだ!」と思ってきた。
だから、
自転車でわざわざ遠回りをして、このアパートの前を通ることが、時々あった。「まだ、私の部屋、誰も入居していないな~」と確認していたのだ。

でもこの日、アパートまで来て、自分が住んでいた部屋を見上げると、電気がついていた。「あっ!誰か、住んでいるんだ~」それが分かった。

あの部屋には、もう戻れない。

「ピアノを受け取った意味」をいろいろ考える

実家に住んでいた時「この先どうしよう~」とさんざん考えていたけれど、イイことも、悪いことも、全てが想定外の事ばかり起こった。

そして私は、ママ友から、ピアノを譲り受けた。私の嫌いな「曇りガラス窓」で北向きの「私の部屋」にピアノが置かれた。

ピアノを手放した日から、「自分が自分でない」ような、説明ができない「葛藤」を抱えていた。そんな自分が、一つ先に進んだように感じている。

夜の電燈が明るすぎて、星がよく見えない場所だけれど、ここに、ピアノを置いた。ピアノが弾けて、音も出せる。

この場所だったから、ピアノを受け取れた。きっと神様からのメッセージなんだ、神様が「もう少しここにいなさい」と言っている。私には「気に入らない事」ばかりだけど…でもイイ。だから無理に動かない「しばらく、ここにいる!」決めた。

「この街」は「私の原点」

体調が悪くなって仕事を休んだあの日、「仕事を休むことが怖かった私」に、神様が、「少し止まりなさい」と言ってくれたのだ。

だからこそ、「この街」の澄んだ空に気がつけた。

それ以来、「この街」は自分を受け入れてくれる「相棒」のように感じてきた。誰ひとり知り合いがいない場所にもかかわらず「住み慣れた場所」のように、住んでいた。

毎朝、近くのマンションを掃除されている方や、通り道にある学校の門に立っている守衛さんに「おはようございます!」と挨拶をし、駐輪場のおじさんに「行ってらっしゃい!」「行ってきま~す!」と送り出され、仕事に向かっていた。私は「この街」の「励まし」に支えられた。

あの日々の中で自分が、何を感じていたのか、何を考えていたのか、私は、忘れたくない。誰かの「娘」でも「妻」でも「母」でもない自分、何にも属さない「ただの自分」が送っていた生活を覚えていよう。

「一人暮らし」をしていた時と「帰る場所」は違うけれど、あの日々を思い出しながら、今日も、途中まで同じ道を通っている。「この街」の風景がある限り、私は忘れない。

「気に入らない事」に抗いながら、受け入れながら「与えられた場所」で生きていくしかない。今までも、そんな風に生きて来た。
そういえば「おかれた場所で咲きなさい」~そんな本があったな~私は読んでいないけれど…。

そのうち、神様から「動きなさい」と言われたら、私は動こう。次の場所を楽しみにしながら~それまでは、ここにいよう!

最後まで、「私の愚痴」にお付き合い頂き、ありがとうございました。🙇




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