「普通」というもの

かなり低い確率ですが、たまに自分と同じにおいがする人に会うことがあります。

同じ雰囲気、感性、フィーリングが合うというか、何か感覚的に同じだなと感じるのです。

自分がそう感じていると、意外と相手も同じように感じていて、やっぱり人と人って非言語で通じ合うものがあるのだと思います。

自分が変わっているので相手も変わっていて、世間一般の「普通」という概念に苦しめられてきた境遇、そこで感じてきたものがつながるのもあるような気がしています。

十人十色とか言いながら、ほんと日本は不寛容で排他的ですからね。

普通ではないから「変な人」と思われるのは別に嫌ではありません。放っておいてくれるなら変に思われようが、否定されようが構わないと思っています。

ただ、それをわざわざ言ってきたり、「普通」といったよくわからない概念に染めようとするのは本当に嫌。

自分の個性を殺せと言われているようにしか感じないから本当にやめてほしい。

たしかに、みんなと同じ、「普通」というものであったほうが日本では生きやすいのかもしれない。

でも、そうやって誰もが「普通」にとらわれていては、いつまで経っても特性が目立つ人が生きやすい社会にはなりません。

LGBTがどうこう、同性婚、生涯独身も認めましょうなんて言いながら、平気で「普通」というものを押し付ける。そもそもなんでそんなに上から目線なのかも気に食わないんですけどね。

「普通」というものから外れた人がいたからこそ、画期的な発明が生まれたんでしょ?

「普通」というものから外れた人がいるからこそ、面白さを感じるんじゃないですか?

自分の人生、自分が責任取るんだから自由にさせてくれよと思います。

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