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週末旅をお勧め(42回目):一泊二日で福井を旅する

42回目の投稿は福井県です。福井の若狭湾の近辺と鯖街道の付近をドライブ旅行をしました

【1】今回の旅の目的

前に小松空港を利用して能登半島を旅行した時に永平寺と越前岬に東尋坊は行きましたが、それより西の敦賀や舞鶴(京都)にはいっていないし鯖街道の熊川宿や一乗谷など見てみたいところを欲張ること

【2】福井への旅の計画(移動・宿)

今回の旅では往復の飛行機と一泊の宿泊はダイナミックパッケージで予約しました。
移動:羽田⇔小松の航空券はJALダイナミックパッケージで予約
移動:レンタカーをダイナミックパッケージで予約
宿泊:敦賀のホテルをダイナミックパッケージで予約

【3】おおよそのルート

1日目:羽田空港(07:20)→JAL183→(08:20)小松空港→舞鶴→敦賀(泊)
2日目:敦賀→三方五胡→鯖街道→一乗谷→小松空港(20:05)→JAL192→(21:15)羽田空港

【4】福井旅行の写真レポート

(1)1日目の行程
今回の旅も朝の早い便なので空港までは自家用車で移動しJALラウンジで朝食を食べながら空港を見る。ANAの機材の向こうに富士山がかすかに見えるが羽田から小松のルートで見られるかな?

朝食後は搭乗口に行って案内を撮影したが確認忘れで表示がハングルだった

搭乗して機内から隣のスポットにいるSKYMARKを撮影

そしていつものように羽田空港を離陸する動画を撮影

離陸してすぐは薄雲が広がり湾岸の景色が見えたり見えなかったりで静止画も撮影したけどカット。小松空港に近づくまでの静止画として富士山を撮影したのを紹介

小松空港に向かって降下を続け手取川を越える所まで来ました

RWY24にまっすぐ進入するコースで梯川が見える

北陸新幹線の高架線路が見える。これから行く敦賀までの開業ももうすぐ

滑走路に入り左には航空自衛隊の格納庫が見えて来た

ターミナルビルが真横に見える所でスポットに向かって左ターン

この小松空港に着陸するときの動画を撮影

降機しレンタカー会社の車で営業所に向かう途中、安宅の関(弁慶像)が空港入り口にあったので撮影

手前から行って一気に戻る方法と、最初に遠くに行って観光しながら戻る方法がありますが、時間が無くなった時に切り上げて空港に戻れるので、最初に遠くに行くことにし、レンタカーで北陸自動車道を一気に移動します。その北陸自動車道を走っているときには並行するように北陸新幹線の工事が進んでいる高架橋をよく見ます

空港から遠いポイントからの観光で、一気に舞鶴まで来ました。まずは旧鎮守府の赤レンガ倉庫を見に来ました。鎮守府とは明治時代に対ロシアの戦略で日本海側に海軍の拠点が必要となり設けられたもので、その海軍関係の倉庫(兵器庫)として造られた煉瓦造りの倉庫で5号棟です

舞鶴港の近くに赤煉瓦の倉庫がいくつも建っていて、まだ倉庫として使われているものもありますしお土産屋さんなどのショップになっているのもあります。これは四号棟で重要文化財に指定されています

駐車場の一角に護衛艦しらねの主錨が展示してありました

港を見てみました。船が岩壁への接触のクッションとなるものが軍艦などだとこんなに立派な物なのですね

向こうには甲板が平らな船がいました。181の数字が見えたので調べてみたら「ひゅうが」でした。ヘリコプターを搭載する艦船でDDH-181のひゅうが型と呼ばれているものでした

こちらには普通の形の戦艦がいました。護衛艦だと思いますが詳細はよくわかりませんでした

手前の方に停泊していたのは8角形のパネルがレーダーの新しいタイプの艦船ですね

ひととおり軍港を見てからまた赤煉瓦倉庫に戻って来ました。同じ形の赤煉瓦の建物が3棟並んで立っていて反対の出入り口は港の埠頭方向に向いていて搬入搬出に便利なように造られていそうです

「舞鶴赤れんがパーク」の建物です。複合施設となっていますがコロナの影響で営業休止で中には入れませんでした

金剛院は平安時代初期に創建されたお寺で拝観料を収めて境内を散策して、最初に見えて来たのは樹齢千年の榧(かや)の木です

金剛院に来た目的はこの木造の三重の塔を見るためで、国指定の重要文化財に指定されています。室町時代の建物だそうで、秋のモミジとの調和した姿が有名だそうです

三重の塔の横の石段を登った先には本堂があり、お参りするには階段を登っていきます。その石段を半分くらい登った所で撮影したもので、紅葉には早かったです

本堂の近くに「弘法の滝」という案内板があり、歩いて行ってみる事にしました。山道を数百メートル歩いていきますが、勾配もきつくなくすぐの感じです

水が少ない時期なのか元々がこういう感じなのかがわかりませんが、石積みの奥に水が湧きだしている感じで、滝というより「弘法の清水」という方が合っている気がします

本堂の奥に廊下によってつながった建物があり、斜面に立っていて清水の舞台のような構造になっています

石段を下るときに再び三重の塔を撮影しました。この一帯はもみじなので紅葉の時期はまた美しいのではないかと思います

松尾寺は国道から山の方にかなり上がって来たところにあるお寺で国道の横を通っている小浜線にも松尾寺駅があるように有名なお寺で、山門が素晴らしいとの事ですが、改修工事中でシートで覆われていて見ることが出来ませんでした。その山門の近くにあった門ですが閉まっていました

本堂は二重の屋根の非常に大きな建物で、このような二重の屋根は見たことがありませんでした

本堂の横にあった鐘楼です。高さがあり鐘を撞くところが高いのでどのようにして撞くのでしょうか?よくみると撞木の下に太いロープが見えますが、そのロープをどのように降ろすのかが不思議です

鐘楼の奥の方に神社がありました。昔は神仏習合であったので一緒だったのでしょうが分かれた建物になっていて名前もなく神社とだけなっています

本堂の方に戻って来ました。本堂と太子堂をつなぐ渡り廊下があり手前の木とアーチ状の廊下がいい雰囲気ですが、右側のごみがちょっと頂けないです

明通寺は国宝の三重の塔と本堂を有する山の中の古寺です。駐車場から橋を渡り渡りこの石段を登った所が山門で、その先に拝観料を治める場所があります

山門は木造の立派なもので左右に仁王像が祀られていてとても立派です

山門をくぐった先の左にある鐘楼で、屋根が入母屋造りの立派なものです

本殿の前からは木製の三重の塔が見えます。石段の上に立っているので下から見上げるような形でとても迫力があります。 この三重の塔は国宝に指定されていますが、福井県の構築物の国宝は2つだけで、その2つがこのお寺にあります

石段を登り近くで三重の塔を下から見上げるように撮影しました。国宝に指定されている塔です

本堂も国宝に指定されていて檜皮葺の大きな屋根を持つ建物で福井県にある国宝の構造物のもう一つがこの本殿です

森の奥にある瓜割りの滝を見に来ました。駐車場から滝に行く時にはこの鳥居をくぐっていきます。鳥居があるのは寶篋山天德寺の聖地となっているからです


鳥居をくぐってしばらくは杉並木の間の道を登っていきます

滝自体は落差はありませんが岩の間をいくつもの筋に分かれて流れるもので、水温がものすごく冷たく冷やすために入れた「瓜」が割れたという事から名前がついたそうです

滝の所に小さな橋があり、その先に苔むした石段があり四角く囲まれたエリアがあります。そこが神社の聖地になっていて階段を登っても囲いの中には入れないです

石段の途中から最初の滝の写真とは川の反対側のアングルで撮影しました

瓜割の滝の近くにある太子堂は、先ほどの滝の石段を登った所からトラバースのような形で横移動して行く方法と、このかなり高い石段を登って行く必要があります

石段を登った先の太子堂の回りにはその太子堂を囲むように石仏が多数安置されています。説明によると全部で88体あるそうで、この写真はお堂の右側を撮影したものです

瓜割りの滝の近くにある神社で石段の上にしめ縄のかかった鳥居があります

階段をあがってお参りしようとしましたが先ほど見えていた建物は賽銭箱も何もなく、後ろに拝殿がありました

拝殿はやはり狛犬が一緒に写した方が雰囲気がでるので、一緒に撮影してみました

岩上神社の横にあったお堂は新しいもので中には馬頭観音菩薩が祀られているそうですが、お姿は見る事が出来ませんでした

初日の車で回る計画をしていたポイントは終了したので敦賀のホテルに向かいますが、敦賀市内で少し離れている気比の松原だけは寄ることにしました。氣比の松原は1.5kmに渡って白砂が続く浜辺に松原があり、それが有名になっています

浜辺も広く夏の間は海水浴場として賑わうそうです

浜辺だけでなくかなり内陸の方まで松林が続いていて、駐車場からの道も松林の中を浜辺と並行にはしっていました

ホテルにチェックインしてから車を置いて敦賀市内の散策をします。北陸本線の敦賀駅で新しくなっています。いまは2022年開業予定の北陸新幹線の伸延に伴う工事が急ピッチで行われていました

駅前にはSLの動輪がオブジェの様に置かれていました

敦賀市内のメイン通りは「敦賀シンボルロード」になっていて、銀河鉄道999と宇宙戦艦ヤマトのモニュメントが通りの両側にあります。沢山あるのでどれを紹介しようと思いましたが、銀河鉄道999で有名なメーテルを紹介します

そして銀河鉄道から謎の車掌と999のSLを

そして敦賀には越前国の一之宮の氣比神宮がある。神宮は主に天皇に関係する神社で格式の高い神社に着く名称であり昔は官幣大社という名称です。一番最初の鳥居を撮影しました。この写真を撮影している場所は鳥居の西側になり、境内から見ると太陽が沈むのは鳥居の先のようです

鳥居を抜けてまっすぐ来たところにある大きな松の木で拝殿はここから左側にあります

その左に向いたところの写真で、拝殿の前にも鳥居がありこの鳥居の先が一番神聖な場所になります

鳥居をくぐった先の拝殿です。実際には外拝殿と呼ばれ一般的な参拝の時にお参りする拝殿で、その奥には内拝殿があり、その奥に本殿があるそうです。この建物は1945年に火災で焼失し1962年に再建された建物です

お参りのあとは港の方に行き敦賀港駅の復元された建物を見る。この敦賀は明治時代に欧亜国際連絡列車で鉄道から船に乗り換えウラジオストック経由してシベリア鉄道で欧州へ向かう時に船に乗り換えた金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)を復元したものです

敦賀は日本海側の大きな港で苫小牧と博多の間のフェリー航路があります。この写真の近海郵船は昔は旅客フェリーを運行していて釧路→東京で利用した事がありますが、いまは旅客はなく貨物だけの運行です

敦賀港にも舞鶴と同じような煉瓦造りの倉庫があります。写真に写っている2棟はイベント会場になっていますが、コロナ時期で中には入れなかったです。両方ともに国の重要文化財に指定されています

赤煉瓦倉庫の横にはかつて活躍していた国鉄の気動車が飾られていますが横の白いJR文字は無い方が良かったですね

敦賀港の近くにある天満神社で菅原道真が蔡神です。普通の神社ですが境内は広く通常の時期は特に何もないのですが、「せんべい祭り」というお祭りが行われることで有名な神社です

市内のオブジェは銀河鉄道と宇宙戦艦ヤマトで、先ほどは銀河鉄道を紹介したので今度は宇宙戦艦ヤマトのオブジェです

夕食はあまりお店が営業していなかったのでコンビニで弁当を購入してホテルで済ませました

(2)2日目の行程
2日目は三方五湖の観光から。三方五湖レインボーラインを通っての観光です。三方五湖は名前でわかる通り五つの湖がありますが、水深や塩分濃度が異なっていて様々な生態系の湖で海水魚から淡水魚まで生息し、水鳥の貴重な生息地でラムサール条約に登録されています。この写真は日向湖の写真で後ろに水月湖があり、この道路の下に水路がありつながっています

この写真は展望台からの写真で湖ではなく若狭湾の写真です

先ほどの展望台から少し進んだところから撮影したもので、内側の湖方向を撮影していて幾つかの湖が入り組んでいる様子がわかります

天気が良くなく雲が多い日で日射しが無く発色がいまいちの写真ですが、この前の写真と同じ展望台からの撮影です

三方五湖レインボーラインの標高が一番高い付近に「天空のテラス」という展望台があります。その展望台に登には有料ですが、その駐車場から撮影した写真です

「天空のテラス」の名前の通り、あちこちにベンチが置かれ湖を眺められる様になっています。少し陽が出てきて湖が良く見えるようになって来ました

下の展望台から若狭湾を撮影しましたが天空のテラスは標高が高いのでもう一度撮影し、少し角度が変わったので別の表情を見せてくれました

天空のテラスから撮影した最後の写真は崖崩れのような地形ですね。山肌が見えているのは崖崩れの後の様に見えました

若狭は朝廷に食料を献上する御食国のひとつで、日本海で獲れた魚介を京都へ運ぶ街道が発達し、その街道にある宿場町が熊川宿です。ここは重要伝統的建造物保存地区になっていて、昔の宿場町の雰囲気を残すために電柱などが無くしてあります

通りに面して土蔵のような造りの建物もあります。その向こうには二階の壁がやはり土蔵のような感じです

宿場館で昭和15年に建てられた熊川村役場の建物で今では若狭鯖街道資料館になっています。どことなく学校風の建物でお役所的な雰囲気がありますね

熊川宿には陣屋も設けられていたようでその跡地がありますが、発掘なのか再建なのかわかりませんが絶賛工事中でした

熊川村の氏神である神社で通りから奥に入った先を山の方に登って行くとあります。通りには鳥居と白石神社の石柱が立っていますので、ここを目印に入っていきます

先ほどの鳥居を入り登った後の左側に神社へつながる長い石段があります

石段の上にはもう一つ鳥居がありました。左右の壁はお城の石垣のような感じです。後で調べてみたら熊川城というお城があり、その城跡に造られた神社でした

石段の上の鳥居をくぐった先には大きな屋根の拝殿があり、その奥には本殿があります

拝殿の奥の本殿を撮影しました。普通は拝殿からお参りして本殿のすぐ前には入れませんが、ここは本殿の前でお参りできるようになっていました

松木神社は若狭の義民の松木庄左衛門が祀られている神社です

一つ目の鳥居をくぐって階段を登った先の右手には神社の二つ目の鳥居があります

鳥居の先に拝殿と本殿があります。境内は物凄く広い神社ですが、それに反して拝殿と本殿は小さいです。 境内にあった説明版によると境内の広さは米の集積場で蔵が十二棟建てられていた場所だったそうです

最後にもういちど熊川宿を撮影した写真です。通りの左右に低い建物が並び道は舗装されていますが雰囲気が良く、この日は人も少なかったのですっきりした写真が撮影できました(タイトル画像と同じです)

奥琵琶湖パークウェイで琵琶湖を眺めてから次の目的地へ行くことを考えていて、その展望台に登る前に湖畔から撮影しました

少し移動しての撮影で、左右から山が迫っていますが中央は遥かに先で見えず琵琶湖の大きさがよくわかります

奥琵琶湖パークウェイの展望台から撮影しました。この景色を楽しんだ後にそのまま進む予定でしたが時間で工事通行止めになっていて、待つより戻った方が早いので戻ることにしました

岡太神社・大瀧神社は越前和紙の里と呼ばれる越前市にある神社で紙の神様を祀っている神社です。この神社の名前はあまり有名ではありませんが日本一と言われるものがあります。まずは最初の鳥居で左右の木も大きく歴史のある神社です

鳥居の先は広くなっていて、神社へは左側に少し見える階段を上がっていく事になります。古い神社で450年頃から590年頃の創建と伝えられていて、ここは下宮となりかなり山を登った所に上宮があります

この神社を一番有名にしたのはこの写真でわかります。この神社は拝殿と本殿が一帯となった建物でその屋根が複雑な形をしていて、日本一複雑な屋根を持つ神社という事で有名で、国の重要文化財に指定されています

先ほどは斜めから撮影したものですが、正面から撮影した写真を見るとそんなに複雑な屋根という感じはしませんね

拝殿・本殿の右側には神輿殿がありました。ここに祭典で使われる御神輿が仕舞われているとの事です。 右側は神門の横の回廊です

屋根の複雑さを見るために右側からアップで撮影した写真です。本殿と拝殿の間の屋根が凄く複雑な形だというのがわかります。本殿の屋根の下の彫刻もかなり複雑で凝っています

最後に石段を降りたところでもう一度振り返って撮影しました。神門の左右に狛犬があり、さらに左右に回廊が続いていました

一乗谷は朝倉氏の城下町で天下統一を目指した織田信長と対立し滅ぼされ焼き尽くされました。その後は農村となり田圃などになったためにその下の遺跡が保存状態良く残されていました

武家屋敷や町割りなどが発掘されましたが建物は全て焼き尽くされたのでありませんが、この写真で見える土塀の先に復元された街並みがあります

復元町並みの手前にあった石で縁どられた三つの穴がありましたが、元は何だったのでしょうか?井戸ではなさそうで染物の泥田のようにも見えます

復元された町並みは有料のゾーンで、片側は上級武家屋敷のエリアですがそちらは建物などは復元されてなく反対側は町屋や中級武家屋敷が復元されています

中級武家屋敷エリアの庭を撮影したものです。防火防災で消火栓は必要なのでしょうがもう少し景観に配慮して塀とか木で隠すとかしたらどうでしょうかね

復元街並みのメインの通りです。昔の通りをそのまま再現していると思いますが、思ったより幅が狭いですね

上級武家屋敷の部分を撮影したもので、建物は復元されてないですが配置はわかります。それぞれの屋敷に井戸と厠(トイレ)があるのが特徴のようです

朝倉の屋敷跡は復元町並みと道路を挟んで反対側にあり、門が復元されていました

朝倉館の近くの小高い丘の上から復元町並みの全体を撮影してみました

農地になり田圃などになっていたので、その下の遺跡は保存状態がよかったみたいで家々の区切りがしっかり残っています

一乗谷は谷間に発展した町で攻め込まれるリスクは少なく谷の入り口の部分をしっかりと固めれば良く買ったので、このような石の大きな門があります

外側から見た門の写真でこの石の間にしっかりした門があったそうです

越前大野城は「天空の城」として有名で、それは別の場所から朝霧の中に浮かぶ城の事であり一年に一回か二回の早朝でありそれを撮影するのは無理で、実際の城自体はどうなのかと来てみました

駐車場からはかなりの石段を登った先にあり車道もなく歩いていくだけの急な丘の上という感じです。その立地なので朝霧の中に浮かんで見えるようです。階段を登った先にはこの門があります

少し歩くと木々の間に天守が見えてきました

天守にも登ることが出来、そこから見た町並みです。 この越前大野城が雲海の中に浮かび上がるのは回りの町が低く、このお城の立っているところだけが山の上にあるからです

天守は復元されたものですが、石垣は昔のままで野面積みで造られています

レンタカーの営業所で車を返却し帰りの便に乗るために空港に送迎して貰った時に空港ターミナルビルを外から撮影しました

空港ターミナルに入り展望デッキからエプロンを撮影しました。帰りの飛行機はまだ到着していないようです

夕食は金沢カレーにて。カツカレーにキャベツがついているのが特徴で、フォークではなく先割れスプーンというのが面白い

搭乗待合室に移動して搭乗口を撮影。ANAのカウンターの様でここでJALが乗れるの?と思いましたがJALのゲートもありました

定刻に機内に入りプッシュバックの後に出発です。地上係員のお見送りで滑走路に移動です

いつもの様に小松空港の夜間の離陸の動画を撮影

羽田から小松へは諏訪などの上空を通っていきますが小松から羽田は名古屋のほうに南下してから西からの便と同じルートで羽田に向かいます。その羽田空港に着陸する動画を撮影しました

自宅に戻ってGPSで記録したログを地図に落としたのはこれです

【5】まとめ

・舞鶴と敦賀では昔のレンガ造りのなどかつての繁栄が偲ばれる
・三方五湖は天気がいまいちだった
・金剛院、松尾寺、明通寺、氣比神宮、岡太神社・大瀧神社など良い神社
 仏閣を回ることができた
・鯖街道熊川宿は無電柱化などいい感じの街並みだった
・一乗谷朝倉氏遺跡はかなり広く全部見るのは大変
・この旅で掛かった費用は次の通りです

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