暮三 BOSA

1954年生。 人生急降下中。 忘却のままでいいのか。 体験、経験、歴史から、誰かの一…

暮三 BOSA

1954年生。 人生急降下中。 忘却のままでいいのか。 体験、経験、歴史から、誰かの一息にでもなれば。 独断の隙間を開示。 あんなこともあった。あんなことをやっていたのか。そんな時代があった。

マガジン

  • 自遊工房日日録

    日々思ったこと 気紛れ日誌

  • 豊穣の国

    人生の曲折 転んだ先をどう生きるか 老後の迎え方をどうするか

  • 青の彷徨  後編

    喪失から孤独。支えもあるが苦行のなかを生きる。そして再生へ。平成初期、医薬品卸は生き残りをかけて合併へ。どう存続させるか。人も会社ももがいてあがいて生きてきた。

  • 青の彷徨 前編

    昭和の末期、全国の医薬品卸は300社ほどあったのが30社ほどに収斂されていった。異常な慣習や滑稽な日常があった。その中を必死に生き抜いた男の姿を描きたい。

  • 霧の中

    就職氷河期の世代 今は40代か。世代のあの頃を思い出してほしい。

最近の記事

  • 固定された記事

円形分水路。山中を隧道で通し、水争いをせずに済むよう、均等に分ける先人の英知と努力に敬意。

    • 柳井館の謎 

       番匠川の支流小又川の、その支流に江平川がある。江平川の行き詰まりに江平(えびら)という地区がある。私が子供の頃は確か2軒の家があって、私の同級生もその家の子だった。  三方、四方山に囲まれた隙間にポツンと僅かに空が見えるところ、という感じの場所である。そこに柳井館なる小さいながら一種の城郭があった、とされて史跡もある。  因尾という地区は番匠川の上流から中流にかかる一帯で、最上流から樫峰、腰越、元山部(もとやまぶ)、松葉(まつば)、小鶴、紙土屋(つちどや)、虫月。ここで合流

      • 天空路の一つ 

        椿山 冠岳 楯ヶ城山    昔は明治村(しばらく前は弥生町、今は佐伯市)の長畑という地区は、椿山の長い急斜面に段々畑が長く続いて、その隙間に人家が点在していた。  今はその面影もないほど、ほとんど全ての家が便利なところに転居した。私の母の実家も昔はそこにあった。私のひいひいお婆さんも、母と同じ家から嫁いで来たのだ。  そこからどうして因尾まで来たのか。今なら大阪本、畑木、小倉、中野、と来ればいい。そんな遠回りなどしていないのだ。裏の椿山を越え、風戸にショートカット。  私の父

        • 小さな家庭菜園

           3日前に実家の田んぼの端っこの余った土を、土嚢袋に5個詰めて、Y市の娘の家まで運んだ。庭の土を起こし野地板で囲い、土を混ぜ、肥料を加え、水をたっぷりやり、シートを敷き、マルチシートも貼って苗を植えた。今年古希の年。普段重労働はしないので、肩腰が痛い。  孫娘(小2)は好き嫌いが多い。この兄弟は長男(中3)も次男(小6)も好き嫌いが多い。野菜も嫌いな方が多い。共通して好きなのが胡瓜くらい。そこで胡瓜を育て、その成長をみて欲しいと思い家庭菜園を作った。  朝登校し帰宅したらいき

        • 固定された記事

        円形分水路。山中を隧道で通し、水争いをせずに済むよう、均等に分ける先人の英知と努力に敬意。

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        • 自遊工房日日録
          19本
        • 豊穣の国
          8本
        • 青の彷徨  後編
          19本
        • 青の彷徨 前編
          24本
        • 霧の中
          26本
        • 望郷点描
          19本

        記事

          長者原から三俣山を望む。白雲が山を覆うように迫っているが、いい天気だ。

          長者原から三俣山を望む。白雲が山を覆うように迫っているが、いい天気だ。

          豊穣の国 八

           佐伯に戻って城下町を車で案内し駅に車を戻して、電車に乗った。夕方日が落ちる頃、日向市の駅に着く。歩いて十分ほどのホテルにチェックインし風呂で汗を流した。ホテル一階で食事をして外にでる。もう金の音が聞こえていた。金の鳴る方に進む。ひょっとこ面を被り、赤い浴衣に白い褌、白足袋姿の男衆。女はおかめの面を被り浴衣に白足袋姿。白い法被に赤い褌だけという一団もある。面はつけず素顔のままの集団もいる。それぞれ思い思いのいでたちで集団を組んでいる。この集団が順次繰出して行くのだ。  ひょっ

          豊穣の国 八

          豊穣の国 七

           翌日牧村と志野は、豊饒の国に旅行の届出をして旅に出た。タクシーで別府に行き、地獄めぐりをした。竜巻地獄では間欠泉に感動した。血の池地獄は怖いが美しい。白池地獄では、血の池地獄のすぐ近くでこんなに違う青白い池があるなんて信じられなかった。鬼山地獄はワニが嫌いだから直ぐ出て、かまど地獄では湯の色の変化に驚き、山地獄はここが本当の地獄みたいだ。坊主地獄では時間が過ぎるのも忘れて泥の渦に見とれた。海地獄では温泉卵を食べてお茶を飲んだ。志野は無邪気に喜んだ。蓮の大葉に乗る子供を見て、

          豊穣の国 七

          豊穣の国 六

           電話が鳴った。でると志野だった。  「もしかしてお帰りになっているかなと、思って電話しました。志野です。先程お話した久住の件で、今本を出して見ていました。ご相談にあがりたいと思いまして、ご都合は?私が伺ってもいいですし、こちらにお越しいただいてもいいのですが」  「そうですか、早いですね。私も今日はなんとなく絵が進まなくて、さっき帰って来たばかりです。本でお調べになっているなら私が伺いましょう。私も潮騒館に行く用もありましたから、後でうかがいます」  「すみません。お願いし

          豊穣の国 六

          豊穣の国 五

           七月も終わりに近い日に、北の井の部屋を出て、東丹から東山に向け、楡の森を左手に見ながら私は散歩していた。東丹に近い楡の森の七前にある陶芸工場の軒先から、中で志野が一人轆轤を回しているのが見えた。牧村は志野が陶芸をしているのは聞いていたが、実際にやっているのは初めて見たので、つい興味がわいて中に入っていった。志野は茶碗らしき物を作っていた。  「お邪魔して、見させてもらっていいですか?」  そう聞くと、  「いつもあなたの描いているのを勝手に見ていて、自分がやっている時はだめ

          豊穣の国 五

          豊穣の国 四

           志野に一本の電話が入ったのは七月になって直ぐ、息子顕の嫁茉里からだった。  顕が写真を撮りに長良川奥の渓流に行き、雨に濡れた岩で滑落した。頭部から全身打撲で重体だと言う。志野は名古屋に向かった。 私は志野がいない間、志野のことを案じていた。絵は遅々として進まなかった。  志野が豊饒の国に戻って来たのはそれから一週間後のことだった。牧村が、欅の広場にあるベンチに腰掛け、画板を広げていたら志野がやって来た。志野は隣に腰掛けた。牧村は息子さんの具合はどうか尋ねた。志野は悲しい話を

          豊穣の国 四

          豊穣の国 三

           牧村は花の絵ばかりを描いていたので、何枚か出品するため、毎日出かけては花と画板を眺めていた。単なる趣味の領域だが、ただ花を見るのと、絵を描こうと思って見るのでは違って来る。最初に花を見た時、華やかさ色の鮮度が一度に目に飛びこんで来て美しいと感じる。絵を描こうと思って再び見つめる時、なぜ耀いて見えるのか、色の鮮度はどう違うのか、と原因を分析して、全体ではなくて部分を凝視してしまう。だから絵はいつまで経っても花全体のまとまりがなく美しさの表現が乏しくなってしまうのだ。花の姿はあ

          豊穣の国 三

          豊穣の国 二

           この国ではいろんな部屋も家もある。志野は普通のマンションを借りた。部屋自体が高齢者のために機能的で便利に出来ている。まだ介護を受けるほど弱くはないが、ここならいつでも介護が受けられる。  三万坪ある豊饒の国全体が人に優しい。広く海に面した平原の国の中に、ブナ、欅、楡と名のついた森の公園が有り、それぞれをかすめながら小さな川が流れて希の池に注いでいる。豊饒の国の中心には、病院や機能訓練施設や入浴設備を揃えた建物が集中し、ケアセンターはどの住宅にも最短距離で行けるように国の真中

          豊穣の国 二

          豊穣の国 一

           東から日が昇る。水平線の向うから海と空を黄金色に輝かせ、大地を照らして昇っていく。毎日、日は昇る。その当り前の真実を体感する喜びに魅せられ、牧村は毎朝の散策が日課になっていた。部屋を出て長く緩やかな屋外階段をゆっくりと降りる。松林のあたりもまだ何も見えない。冷たくて清々しい空気を吸い込む。土と潮の臭いがする中、緩衝材でできた遊歩道をゆっくりと歩く。歩道には手すりのある柵がある。蛍光塗料が塗ってあり、少し暗い内に出て来ても困ることはない。楡の広場を過ぎブナの森を通る。森の木々

          豊穣の国 一

          青の彷徨 後編 19

           四月になって最初の休み、周吾はマンションの荷物を友香の部屋に運んだ。荷物と言っても、服と本だけだ。橘栄吉はマンションのベッドルームを和室に変えたいというので、ベッドは友香もそのまま使いたいし、友香のアパートには入らない。それなら福岡のマンションにもう持って行け、となった。橘栄吉はノッピが使っていた、テレビと冷蔵庫、洗濯機、炊飯器など家電品ははそのまま使ってくれるという。電力の周波数が違うし、埼玉はもう使って古いから処分し、荷物は少なくして引越しをする考えのようだ。周吾は友香

          青の彷徨 後編 19

          青の彷徨 後編 18

           三月になって通常の人事の移動が発表になった。その中に周吾の移動も発表された。驚いた発表があった。福岡の合併準備室の室長は伊東新吾だった。周吾は伊東部長に引っ張られて行くのだ。部長の言うように決まるはずだった。あとのメンバーは万丈で一緒だった黒田浩太に、今推進部にいる坂本祐二、彼はコンピューターの専門家だ。課長にシステム部のこれもコンピューターの専門家萩原浩之だけだ。伊東部長は頭の切れるのがたくさんいる、と言っていたが、これでは実質周吾と黒田浩太の二人だ。一般の営業経験となる

          青の彷徨 後編 18