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「知らない」は悪なのか?

お恥ずかしいお話をひとつ。

昨日、ご縁をいただいてお話した方の中に、生命保険の営業マン向けスクール(?)事業をされている方がいました。

ご自身も大手生命保険会社の営業マンとして働く傍ら、とある目的のために塾を開いていらっしゃるというアクティブな方です。

実は私、金融周りの知識があまりなく、ライティングで触れた範囲の知識程度しかありません。

ですが半端に歴と実績を重ねてきたので、特化ライターさんには劣りますが、ちょっとくらいは知識があると思っていました。


ところがその方に生命保険、ひいては保険の意義とか聞かれて黙り込んでしまう始末。

だって本当に知らなかったんですもん。という言い訳をさせてもらいますが、人並みには知識あると思っていただけにめちゃくちゃ恥ずかしかったわけです。


別に怒られたわけではありません。その方曰く「久保田さんは本当にお客さんを守りたいと考えている営業さんに会ったことがないってわかりました。業界の人間としてお詫びします。」と、なぜか謝罪を受けました。

無知を晒したのはこっちなのに。

曰く、生保の本質を分かっていない営業があまりにも多いらしく、結果的にただ契約数だけの競争になる。だから生保の営業マンは嫌われる(もしくはいいイメージがない)んだと嘆いていらっしゃいました。

その結果が千代田生命、東邦生命の破綻につながったと……。


こちらからすれば無知なままでお話を伺おうと思ってしまった浅はかさに申し訳なさもあったのですが、一方で無知になった理由を考えてみました。

そして「知らない」は悪なのかを考えてみました。

答えはNO、知らないものは仕方がないから学べばいいという結論に、私の中ではなったのです。


今はスマホをみんな持っていて、情報を得やすくなったので営業の存在価値が問われているという文章をよく見かけます。

しかし、実際には表面上の知識は手に入りますが、詳細な内容や意味・意義は実際にお話してみないと何も分からないわけです。

つまりまだまだ営業さんは必要なんだと思います。

でもその営業さんも自分の仕事の意味や意義を知らないとしたら……?

お話したお相手曰く、私は本当の生保営業マンに会ったことがないように見えるとのことです。

確かに誰にも教えてもらっていなかったことばかりでしたので……。現場では営業数字が正義になっているんだろうな、と思った次第です。

こういうパッションのある方とお話すると、自分の無知を恥ずかしく感じることもあります。

でも学びがあるのも事実です。知らないなら知らないで、そのまま学べばいいのではないかと考えた出来事でした。

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