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ダイヤ「改正」ってなんだろう

ワタシは「ダイヤ改正」という響きが苦手だ。

鉄道趣味者としては、新しい列車のデビューにワクワクする一方で、長年見てきた親しみのある車両が鉄路から消えてしまうのは寂しくもある。
ただ、それが苦手な理由ではない。形あるものは何時か消えてしまうものだから。長年この世界にいるから、とうの昔に覚悟はできている。

2024年春のJR各社の新ダイヤは、様々な賛否両論を呼んだ。
北陸新幹線が敦賀まで伸びた。新しく福井県から東京へ新幹線一本で行けるようになった。しかし、その裏で名古屋や大阪への直通列車がなくなって不便になってしまった。
便利になった人がいれば、不利益を強いられる人もいる。

果たしてコレは改「正」だったのだろうか?
誰が何をもって「正しい」と決めたのだろう?

論議を呼んだといえば、京葉線だ。

房総半島から東京へ通勤する方々にとって非常に便利な「通勤快速」と朝夕の「快速」の廃止が大きな騒動となり、今も尾を引いている。

廃止の発表に対する、利用者のネガティブな反応の大きさは、おそらくJR東日本の予想を大きく超えていたのだろう。住民の声に応えた沿線自治体の抗議もあり、早朝の快速2本を復活させるという異例の展開となった。

JR京葉線ダイヤ改正 千葉市が利用者調査 8割「悪い影響」(NHK 千葉 NEWS WEB:2024/4/25付)

このアンケートに答えた利用者の多くにとって、新ダイヤは改「正」と言えるものではないだろう。

とはいえ、通勤快速・快速の通過駅や途中まで線路をシェアしている武蔵野線の利用者側から見れば、JR東日本がいうところの「混雑の平準化」のおかげで快適になったのかもしれない。そうであれば彼らにとってダイヤ改「正」ともいえる。

そもそも鉄道のダイヤグラムは車両や線路、コストや人手不足など、様々な制約の中で作られる。だから全員が便利になるような、誰もが「改正」と認める時刻表にはなりえない。

必ず誰かにシワ寄せがあって涙を呑ませてしまうのに「改正」と言ってしまう態度そのものが乱暴なのだ。

「正しい」という言葉は多分に暴力的だ。

「正誤」の「正」であれば「反対意見は誤っている」ということになるし、「正義」の「正」だったら「鉄道会社に盾突く悪い奴」ということなのだろうか。

鉄道ダイヤを作るのは神ならぬ人間。最初から百点満点を出せるわけがない。だからこそ、こんな大騒ぎになっている。

一部の鉄道会社では「新ダイヤが正しいかどうかを判断するのはお客様」というポリシーから、メディアのなかでも中立性を保つため、それぞれ「ダイヤ改正」という表現を避けていて、素晴らしい判断だと思っていた。

残念ながらそれも近年は「浸透していてわかりやすいから」と「ダイヤ改正」という表現へと揺り戻しされている。
鉄道会社にしてみれば、駅弁を売るのに「美味しい」とアピールするのと同じ感覚かもしれない。

でも、それって続けるの辛くない?

この先、人口減少を筆頭に鉄道のサービス縮小を余儀なくされる要素がごまんとある。
今回のような「誰かが得して誰かが損する」レベルでなく、誰も得しないダイヤ変更をしなければならない日がいつか来る。

その時も鉄道会社は、果たして「ダイヤ改正」と言い張れるのだろうか?

綺麗事でごまかさずに、利用者にゴメンナサイして一緒に改善策を探る形のほうが、納得感を得られるように思うのだけど。

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