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鹿児島市電には何故かNゲージ製品がない。

Nゲージの路面電車の歴史は今年で事実上26年目(※1)。
いまでは全国津々浦々の路面電車の模型が手に入るようになった。
ところが、現存する路線のなかで唯一、2024年3月現在も製品化されていない事業者がある。

日本最南端の路面電車、鹿児島市電である。

TOMYTECの鉄道コレクション(動力別売)と他社Nゲージ(原則動力付き)による路面電車の製品化状況(2024年3月現在)。左右両方とも空白地帯になっているのは鹿児島市電のみである。

鹿児島市電は路面電車の優等生

鹿児島市電は市の南西部・谷山と、国鉄・JRの新旧中心駅である鹿児島・鹿児島中央を結ぶ路線だ。
現在は2つの系統で運転されている。

ひとつは市の中心部から見て南西に位置する谷山(※2)から北上し、JR線よりも海寄りをショートカットするように鹿児島駅へと結ぶ1系統。
もうひとつが、1系統の途中にある郡元から新幹線の発着する鹿児島中央駅へ迂回するルートをとり、高見馬場で1系統と再合流して鹿児島駅に結ぶ2系統だ。

この他に上町線・伊敷線という路線があったが、クルマ社会の波に押される形で1985(昭和60)年に廃止されている。

だが、ここから”先進的な路面電車の街”への進化がはじまる。

昭和末期~平成初期にかけてセンターポールを(※3)整備。ワイヤーの張り巡らされていないスッキリとした空を道路の上に復活させた。

「芝生の線路」も鹿児島市電が積極的に進めてきた事業だ。
2004(平成16)年の西鹿児島駅前(現・鹿児島中央駅前)電停の移設に合わせて試行、3年後から本格導入が進められた。
ヒートアイランド現象の緩和、騒音の低減、景色が良くなったという効果をもたらしている。

いずれも「路面電車の復権には必要」と海外の事情に明るい識者やレイルファンに言われており、鹿児島市がいち早く採用する形となった。

結果、街づくりに貢献するだけでなく、軌道敷を無理に横断する自動車が減ることでダイヤが乱れにくくなり。市電自体の便利さも向上している。

車両も時代の先端を走る

桜島から降る火山灰を一か所に集めて収集する灰ステーション。鹿児島の日常は火山灰とともにある。

さて、冒頭で模型の話題から入ったのだ。車両の話もしよう。

湾の対岸に桜島がある。鹿児島は火山灰の街だ。
暑い夏でも窓を開けて運行することが難しい。そのため冷房化が早く進んだ。
1986(昭和61)年には鹿児島地区の国鉄車両よりも先に、完全冷房化をほぼ(※4)達成している。

地方の路面電車にありがちな、中古車両も今はない。
ワンマン化の際にたくさんの大阪市電の譲渡車が入ってきたが、平成以降の新車はすべて自社発注のオリジナル車。中古車を完全に置き換えている。

国産初の超低床電車も鹿児島でデビューしている。
2002(平成14)年の1000形「ユートラム」を手始めに、2007(平成19)年の7000形「ユートラムII」、2017(平成29)年の7500形「ユートラムIII」と、21世紀の新車は階段のない車両でほぼ占められている(※5)。

これだけの積極投資をしているのに、鹿児島市電は黒字だ。

クルマ社会の現代において、路面電車の経営はどこも厳しい。
そんな中でも鹿児島市電はコロナ禍の数年以外は黒字を続けている(※6)。
「快適で便利」で乗客の心をガッチリつなぎ止めているのであろう。

だからこそ製品化されない(?)

最後に模型の話へ戻ろう。

悲しいかな、先述した鹿児島市電の長所は、そっくりそのまま製品化のハードルになってしまう。

中古車がないということは、金型の流用が難しいということ。
よその路面電車の色変えとか、小さな改修で鹿児島市電の個性的な車両を再現できないのだ。

新規に金型を作るのは大手メーカーにとってもコストが高い。だから余程の話題性や人気がないと簡単には手を出せない。

残念ながら、東京圏や大阪圏で鹿児島市電の模型がたくさん売れるという光景は想像できない。

個性的な「ユートラム」系だったら、ワンチャンあるだろう。
けど、走らせるには特殊な構造の動力を開発する必要がある。
「ユートラムIII」はフローティングボディ(※7)がないから技術的な問題はなさそうだけど、そもそも特殊構造でないってことは、模型のモチーフとしての平凡さの裏返し。あぁ堂々巡りだ。

ともあれ、実物が消えてしまえば製品化も遠ざかる。
鹿児島へ行く機会があったら、ぜひご乗車くだされ。

注釈

※1:MODEMO製都電6000形・土佐電600型「桃太郎電鉄」の発売された1998年をスタートとして計算。
自走する「鉄道模型」として市販された量産品としては、この2つがNゲージ史上初である。ディスプレイモデルとしてはそれ以前にグリーンマックスが都電6000・7000形をプラモデル形式で製品化していたので「事実上」と記した。

※2:もちろん日本最南端の電停である。

※3:文字通り、線路と線路の間に立てて架線を支える柱。

※4:当時ラッシュアワー専用となっていた連接車1編成だけは、特殊構造のため冷房化が遅れている。

※5:観光列車用の1両(100形:タイトルカットの車両)だけ、レトロ調のため従来タイプの構造としている。

※6:鹿児島市交通局の公表データによる 
https://www.kotsu-city-kagoshima.jp/about/manage/

※7:車輪のない車体。前後に連結している車輪付きの車体にぶら下がる構造である。

参考資料

『日本路面電車地図鑑』地理情報開発 編 平凡社
『路面電車で広がる鉄の世界』小川裕夫 秀和システム
『鹿児島市電が走る街 今昔』水元景文 JTBパブリッシング
『鉄道ファン』746号(2023年6月号)「路面電車40年間の軌跡を訪ねて 鹿児島市交通局1」/『鉄道ファン』747号(2023年7月号)「路面電車40年間の軌跡を訪ねて 鹿児島市交通局2」寺田裕一 交友社

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