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敏感すぎて対人恐怖症になった話

どうもjiyaというものです。今回は投稿期間がしばらく空いてしまった話です。

私は5月あたりに長く付き合っていた彼女と別れるイベントがあって、大学に行けなくなりました。今行く必要はないのですが、要するにオンライン授業さえ受けられなくなりました。部屋の中でふさぎ込むことが多く、何もできない日々を送っていたというわけです。そこで、両親に無理やりの形で心療内科に行かせられました。

そこで診断されたのは対人恐怖症とうつ状態であるということでした。私自身なんとなくそうかなと思っていたのでさほどショックはさほど受けませんでしたが、一つショックを受けたのは「あなたはHSPだ」といわれた時です。どうやらHSPであることが、対人恐怖症やうつ状態に関係していて、「自分がHSPであることを受け入れて、生きていかないとこの状態が続くことになるかもしれない」と言われました。

でHSPってなんだ?


なんだか、いま注目されている言葉のようですが、私は診断されるまでは全くもって知りませんでした。HSPとはHighly Sensitive Personの略で、簡単に言うととても敏感な人のようです。これは病気ではなくて、単純に生まれ持った気質です。

HSPの特徴としては、カオスでストレスフルな環境でうまく仕事ができなかったり。すぐに情報に圧倒されてしまったり。バイオレンスな映画が見れなかったり。アートや自然に深く感動したり。そして、他人のニーズにとても敏感であったりするわけです。

また物理的な特徴としては、大きな音や、強いにおい、カフェインや砂糖、空腹、睡眠不足または軽い物理的な痛みは、それが普通の人に持っているであろうよりも、はるかに大きな影響を与えたりします。どうりでパーティーが楽しくないわけです。

要するにHSPは、すべての内部及び外部の刺激に余分に敏感な人ということです。

俺ってHSPなの?


私はHSPと診断されたときに、まだ受け入れることができませんでした。そこで、自分自身の内面を調べてみることにしました。

そして、私はどうやらHSPのようです。というのも、小学生ぐらいのころの記憶からさかのぼって考えてみたのですが、そのころから、人が言う発言一つ一つに敏感で、自分に対して言っていないことでも「キモイ」とか「うざい」という言葉がまるで「自分に言っているのではないか」と感じてしまったりします。それは今でも同じで、電車の中に乗っていると人と目があったりします。そこで相手が何を考えているのか気になったりします。そしてそれはマイナスのことを考えているのではないかと疑うことが多いです。

その考えが始まるとやめることがとても難しいです。都会に行くと、見られていないはずなのに、誰かにずっと見られ続けている感覚も続いたりします。

また、上記のHSP の特徴と重なる部分が多く、自分はHSPなんだと最近認めたところです。

HSPを知らなかった頃


そもそも、自分がHSPの存在も知らなかった時はなかなか自分に自信を持つことができなくてとても苦労しました。先ほど言っているように私は対人恐怖症を現在患っているのですが、それ以外にも、心療内科にかかることは多く、大学の2年のころは半年ほど大学を休んだり、大学の3年の夏休みごろに何もできなくなったりしています。

それはなぜかというと、ほかの人との違いをコンプレックスに感じていて、自分自身無理をしていたからだと思っています。

「ほかの人はライブやパーティであんなに楽しそうにしている、でも自分はそうではない」と認めたくなかったんです。

私はほかの人が難なくこなしているコミュニケーションも苦手だし、プレゼンも苦手です。そんな自分は嫌いだったので努力して変えようとしました。でも、努力で補えない部分も多くそれを大きなコンプレックスに感じていました。

そのため、ほかの人が大学でうまくやっているのを見るとそれをショックに感じてしまいます。そして、結果的に何か大きなショックまたは、小さなショックの積み重ねで、大学に行けなくなりました。

HSPを認めた


結論から言うと、私は今驚くほど精神的に楽に生きることができています。というのは、HSPにはHSPなりの生き方があるということを知れました。自分がHSPだと認めることで、いままで感じていた劣等感が驚くほど少なくなったのです。

それは、他の人が普通にしていることをできないと初めて認めた瞬間でした。もちろん最初は、そのことがショックでしたが、いまは同じように苦しんでいた人が沢山いたと知ることでHSPである自分の対策ができるようになりました。

つまり、自分の反応を受け入れることを学び、たまの奇行だと思われることや、反社会的な行動に罪悪感が少なくなりました。敏感な人はそもそも違う生き方をしないと快適に過ごせないということです。その考えのおかげで、今ではオンライン授業なら受けられるようになりましたし、noteに久しぶりに投稿できました。もともとSNS自体苦手なので素晴らしい成長であると自分では思っています(笑)

要するに、自分がもしHSPであるのではないかと思ったときはしっかりと自分の内面を見つめなおすことが大事なのではないでしょうか?その作業は私にとってしっかりとつらかったのですが、認めることでやっと歩き出すことができました。

自分にできないことはしっかりと認める、そのうえで自分ができることを探す。そうすることでやっとコンプレックスから解放されるのかもしれません。

今度はHSPとしての生き方を深堀して話したいと思います。


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