大学2年生の頃 思うこと

5.1.16
「美しき誤算のひとつわれのみが昂りて逢い重ねしことも」岸上大作
逢うことに精神的興奮をしているのは私だけだということは、私の恋愛における美しい誤算だ
学校が始まると目の前の課題とか精いっぱいであまり考えることをしなくなってしまう。

8.5.16
私はドイツ語を勉強するにあたっていい姿勢を持っていなかったから気を病んだんだと思う。新しいことを知ったときは以前より多くのことを学べたと喜ぶべきなのに自分が知らないことが多いのを嘆いていた。まだ一年しかならてないんだから知らないことが多いのは当たり前でしょ。ドイツ語の学習を楽しもうよ。哲学と一緒。歩み始めたばかりよ。だから落ち着いて。勉強は他人との比較じゃない。自分が以前の自分よりできていたらいいと思う。

10.5.16
唯一の人と対立してしまったとき、頭に浮かぶ人があまりにも頼りなくて悲しくて泣きそうになった。心のよりどころになるもの、人が欲しい。それに読書を置くには、読書は私にとって弱すぎる。

21.5.16
『姥捨』哲学の本の死の部分で自分の死は他人に代わってもらうことのできないものであり、それゆえ人は死ぬとき一人なのだ。多と一緒に死ぬとしても。みたいなことが書いてあってふと太宰治のこの作品が浮かんだ。この人たちは結局死んでないけど。

17.6.16
海哀し山またかなし酔い痴れし恋のひとみにあめつちもなし
山を見よ山に日はてる海を見よ海に日は照るいざくちを君

25.6.16
今日はものすごく自分を変えた一日だった。見た目ね。髪とピアス。「髪を切ってさっぱりなんていうと、穢れを払った用で聞こえはいいけど、本当はただの自傷行為だ。過去の染みついた自分をざっくり切り落として、新しい自分に生まれ変わりたいと強く願っている。つまり今までの自分を全否定しているわけで、髪を切るというのは日常的な行為に見えても、実は非常に大きな自己否定でもある。変わりたいと強く願いそれを実行するのは、今までの自分を殺してしまいたいという願望の現れ。髪に血が通ってないことで助かっている女の子はいっぱいいる」p.133綿矢りさ
私は前髪オン眉にして髪をインナーカラーで青くした。あと新しくピアスをあけた。初めて自分で開けたけど、痛かった。自分を変えるっていうか、刺激を欲してた。

6.7.16
今日の授業で教授が言ってたことがよかった。人は言葉によって世界を作る。かつて人は言葉によって世界をつかめると思っていた。しかし今は複雑すぎてそれは難しい。自分にとってのある言葉と他人にとってのそれは定義が違ったりずれていたりすることが増えた。


11.7.16
久しぶりに青のマニキュアを塗った。3年前のことを思い出した。あの頃の私にとって青いマニキュアは刺激が強すぎて塗ったあと自分が少し変わった気がしたし、緊張した。

8.8.16
私にはスプーン一杯分くらいの良心、又は道徳しかない。文章何か書こうと思ってもなかなか書けないのは、生活は具体的な行動の集合体なのに抽象的なことばっか書こうとする体と今更ながら気づいた。具体的なことから何か抽象的なことを書くのは難しい。

9.8.16
私の中は空っぽで私からは何も出てこないから過去とか未来から書くことを引っ張ってるのかな。中身がないのか。カフェのバイト中何か書き物してる人とか読書してる人を見ると幸せな気持ちになって少しだけ頑張れる。というか人が何を書いていることを私は期待しているんだろう。

20.8.16
太宰治を読んだ。私は彼の小説の中で女が主人公である作品が好き。「灯籠」「姥捨」「葉桜と魔笛」。私は表現うまくできないけど、女の人の馬鹿さと開き直り、おそらく間違っている、しかし彼女の中では正当であり、かつ彼女を救い出す考えが彼女自身の起こした恥ずかしい事件によって生まれてくる。いや、すでに彼女の中にあったのだろうけど。

23.8.16
いくつかの本を読んできて思ったけど、誰が本当に正しいことを言っているかは自分が彼が正しい、というように決め信じることによってしか、答えを存在させることはできないのではないか。どの学問も途中から信じることしかできないのではないだろうか。とりあえず、もっと勉強したいです。

17.10.16
中東の地域では、昼間は暑すぎるから、夜涼しくなった時に行動する。だから太陽の動きよりも月の動きの方がはるかに大事だ。今は文明が発展しているから陰陽歴なんて使ってないだろうけども、自分たちとは全く違う行動時間で生活している人たちの考えはまた私たちの考えと違うだろう。いつか知ってみたい。



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