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夫婦同氏制 ああ言えばこう言う

最近周りで「選択的夫婦別姓」の話をよく聞く。ゼミで発表したり、弁護団の先生に話を聞いたりしたことのある、私にとっても興味がある分野なので、徒然なるままに書いてみる。

夫婦別姓訴訟について、私が今後大きな論点となると思っているのは、以下の3点である。

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①「姓(名字)なんてどうでもいい」のか

まず、「氏の変更を強制されない権利」はそんなに重要なものなのか、という点が争点となり得るだろう。最高裁は、氏の変更を強制されることによるアイデンティティの喪失、という不利益を認めているが、「いや姓なんてどうでもよくね」という人がいるのは事実である。しかし、姓をかえなきゃいけないのは嫌だな、と思う人がいるのも事実である。姓なんてどうでもいいや、という人がいることが、選択的夫婦別姓制度を否定する根拠にはなり得ないはずである。というか、「姓なんてどうでもいい」という意見は、夫婦同氏制を否定する方向に働くのではなく、逆に、不利益を被る人の存在を捨象してまで夫婦同氏制を維持することに対する反証として機能するのではないか、と私には思われる。


②銀行口座やパスポートで使用できない現状の通称制度には欠陥があるが、もしその通称制度が完全に「戸籍上の姓」と同等の法的役割を満たしたとしたら、夫婦同氏問題は解決するのか。

通称を使わないと困る側面がある、という現状が、かえって夫婦同氏制度の欠陥を証明しているのではないか、という意見がある。「通称を使えばいいじゃん」という人は、通称を使わないといけない、という事実を踏まえた上で、「通称を使わなければいけないという状況を甘受しても守らなければならないメリットが同氏制にあるのか?」という点を論じてほしいと思う。少なくとも、通称では銀行口座を開設できなかったり、パスポートを発行できなかったりする、という現状の下では、「通称を使えばいいじゃん」と安易に言うことはできないだろう。


③これは本当に「ジェンダー」の問題なのか

夫婦の96%が妻側の改姓を選んでいる、という事実から、本件はジェンダーの問題という観点で語られがちだが、「夫婦のどちらかが姓を変えざるを得ない」ということがそもそもおかしいのではないか。つまり、女性側が変えるのが嫌だから男性が変えれば?ということではなく、性に拘らず「変えることを迫られる人」がいることが問題なのではないか。

夫婦別姓にうるさい=フェミニストというイメージがあるので、なんかこの議論うさん臭いな関わらんとこ、という雰囲気がある気がする。最高裁は「氏の変更を強制されない権利」を人格的利益(=憲法で保護される人格権と比べると保護のレベルは劣るが、立法の裁量内の法律制度で保護されるべき権利)であるとしているが、これは「96%の妻が姓を変えられてかわいそう」という類の問題なのか、それとも「結婚したら100%どちらかが姓を変えないといけないこと自体が変」という問題なのか、という点は無視することができない。(はずなのに、よく無視されている。)

夫婦同氏問題の議論において、「男ばっかりずるい!」「男だって大変なんだ!女がぐちぐち言いやがって!」みたいなお気持ち爆弾の投げ合いをよく見る。しかし、私個人の意見としては、#安倍政権を許さない系のタグでは性別なんて気にしないでみんなまとまって政権批判するのに、夫婦別姓問題になるとすぐ男だ女だっていう話になるのは、正直時間の無駄なんじゃないかと思う。

まずは「性(ジェンダー)」という枠組みでこの問題を見るのを止めて、「どっちかが姓を変えなきゃいけないからこんなめんどくさいことになってるんじゃないの?制度自体を変えたらみんなハッピーなんじゃないの?それとも、制度を変えたら何かまずいことが起こるのかな...?」という冷静な議論を構築すべきなのではないか。

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色々書いたが、私はそこまで自分の姓に拘りはないし、今のところ研究者や自営業者として働く予定もないので、私個人としては別姓を選択する必要性は必ずしもないのではないか、と考えている。しかし、どの姓で生きるか?ということは、本来個人個人が自分の気持ちやキャリアを考慮して決めることであり、法制度や社会の目によって自分自身の望む選択ができない、という現状は、司法によって是正するべきだと思う。

少なくとも、私の意見を聞く前から「え?名字?俺の名字にするっしょ、何を今更」みたいなことを言われた日には、婚姻届を破り捨て、さっさと荷物をまとめて出ていきたいものである。性によらず全ての個人およびカップルの自己決定が尊重される法制度の確立が望まれる。


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