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手品師 (教材研究100の3)

最近の話からです。先週、手品師の方にインタビューしました。
たった一人のお客様。でも、真心を込めて、自分のできることをする。
もちろん大劇場でも演技をするほどの人物。でも、一人のためにも全力で取り組む、それは、何かにつながっていく・・・

私、Twitterで定期的にspaceをしています。毎週日曜日の夜9時に開設しているのですが、夜は手品師は劇場の仕事があります。だから、日中の開催になりました。私の宣伝が不足していました。その結果、誰も来ず、リスナーさんは途中から来たお一人だけになってしまいました・・・。

名前はJACK12さんです。会社をいくつも経営し、テレビにも出演されています。昔は不登校だったそうですが、志を立て動き始め、120個の夢のうち、97個をかなえたそうです。国際マジシャンのコンクールで優勝など、輝かしい経歴を持っています。でも、spaceでは、そんなことは関係ない。同じ一人の人間として、これまでの経験を謙虚にお話しされるのです。感動しました。

さて、手品師の話です。有名ですね。
売れない手品師が身寄りのない男の子と親しくなり、次の日、男の子のところへ来ると約束をした。しかし、その日の夜、大劇場に代役として呼ばれます。一瞬、心踊る手品師。一方で、男の子との約束が頭によぎります。「こんなチャンス、二度と来るか分からない、でも。」という葛藤に悩んだ末、手品師の取った行動は・・・。というお話です。

「大劇場か、男の子との約束を取るか。」
「自分だったらどうするか」という問いを投げ掛け、自分は大劇場だ、いや男の子だ、と話合わせる場面を見ます。
また、役割演技をして「自分が決めたこと」をセリフにする活動を見ることもあります。
さらに、「男の子に一回会いに行って、男の子を連れて大劇場に行けばいい」というような、方法論で解決する意見も出ることもあります。

表面で受け取ると、「私は約束は破ってはいけないから、守ったほうがいいと思う。だから男の子の方に行く。」になっちゃいますね。
一方で、「僕だったら、大劇場に行くに決まってる。だって自分の夢だから。」
どちらの考えも、それぞれで、間違いではない。
大事にするものが違うだけ、それぞれ意見を言って終わり。
でも、約束を守るのが大事だね、で終わったら押し付けの道徳です。

手品師の葛藤と選択する行為は、何に対して正直なのでしょうか?

手品師は、男の子との約束を約束に対して嘘をついてはいけない、だからそれを守ろうとする。相手に対して正直に生きる?ん?辛いなあ。

大劇場に行くことも、手品師の「夢」に対して、正直な選択肢。長い間、かなえるために努力したのだから、その心に従うのは正直なのではないでしょうか・・・。

約束を守ることを正直、夢を叶えるために大劇場に行くのも正直ですね。
そしてどちらも、行為でしかありません。行為のみの話し合いをしても深まりませんね。選択によって何が変わるのか、考えてみたいと思います。

もし、手品師が大劇場に行ったら何が起こるか。手品師は有名になるかもしれません。成功の一歩が踏めるかもしれません。
一方で、残された男の子が一人、広場で、立ち尽くして待っている姿。大人の事情があって然りです。仕方がないです。人混みに紛れ、去っていくだけでしょう。男の子と手品師は、それまでの関係となり、世界が違っていくのです。

もし、手品師が男の子のもとに行ったら何が起こるのか。
何も起こりません。
もともと売れてないのだから、いつも通り。男の子の前に立ち、手品をするのです。そしてまた、明日も、また明日も・・・と続いていくのかもしれません。

「大劇場の方が、いいんじゃない?」という本音も見えてきます。
でも、心の片隅にある、男の子の存在をどう思いますか?

成功しても、「あの子どうしているのかな。待っていたのかな?」と思い続けるか。心の奥に押し込んで、忘れてしまうこともできるかもしれません。

自分の心に問うた時、悩んだ末に自分の心に、くもりのない選択をする道を選べればいいのではないでしょうか。

これは正直という行為に対して、誠実な心を使うことなのではないかと思います。(語弊がありそうですが、私は、「正直」とは表面に出てくる行為が多く、「誠実」は、そのもとの心に多くあるものされると捉えています。)

大劇場を取って、成功の陰にある心の呵責の責任を自分が取る覚悟があるならば、それで良いのかもしれません。

一方で、「大劇場のお客は、どの手品師でも喜ばせられる」けど、「男の子を笑顔にできるのは自分だけだ」と考えることもできます。

どちらでも、「考え、迷った」末に自分が納得すればいいのではないでしょうか?手品師の「考え、迷う」過程を明らかにしたいですね。
その結果であれば、男の子を連れ出そうとする方法論すら、間違いではないかもしれません。

余談ですが、ある番組プロデューサーが道徳教材の「手品師の話」について対談しているのを聞いたことがあります。その方は、言いました。「男の子のもとに行くような手品師だったら、きっと、また、大劇場に呼ばれるような人間になるんじゃない。」

私はまた、JACK12さんのことを思い出しました。きっと、目の前の、どんな小さな場所でも、全力で花を咲かそうとするんだな、と。だからこそ、成功しているんだな、と。

(大劇場に行ったとて、私は、男の子との出会いを忘れてなければ良いと思っています。私は、出会いを忘れるような人間になりたくはないけれど、なぜか、大切な人を忘れることがあります・・・。多くの心を背負えない私は、テンパると、自分の心を守るため、誰かの心を置き去りにしているような・・・とか。心の器が大きくなったらいいのになあと思いますよ、本当に!)






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