創作は精神が生む宝石なのか
はじめに
「創作(物)」と「宝石」は似ているのではないかという発想が、ある日急に心の水面から頭を出した。その発想をもう少し詳細にすると「創作は精神のマグマから生まれた宝石のように価値ある結晶なのではないか」というものだ。こんな発想が出たのは面接を受けていた会社で「創作」が大事な単語となっていたので四六時中「創作」について考えていたからだろう。心の水面に浮かんだアイデアの頭頂部はまだ小さな島にしか見えない。しかし、富んだ示唆をもたらしそうな雰囲気を持っていた。この記事では「創作と宝石は似ている」という類推から洞察される類似点と相違点、命題から導く新たな認知を探索し、島の水面下のできるだけ深くまで知ってみようとする。序文では自分自身もどこに漂着するのかわからない知の小旅行である。
「創作」と「宝石」の定義
まず両者の定義をある程度明らかにしておくことで、類似点と相違点を比較しやすくしよう。
「創作」に関する定義
「創作」とは辞書によるとこうである。
また、著作権法として対象となる創作は以下のようなものである。たとえば、模写などは「創作的でない」とされて著作物にはならない。
さらに、僕が書いているこのサービス『note』の代表の加藤貞顕さんは過去の記事で以下のように書いている。
つまり「創作(物)」とは以下のようにまとめられるのではないか。
何らかの主体により
個性を発揮して
発現されたもの
「主体が主体独自で顕現させるもの全て」とも言える。創作主体が存在しない地球は創作ではない(宗教によっては神の創作物と言われる)し、個性(個に帰する思考や感情)を持っていない植物の花は創作ではないし、小説家の頭の中だけにある新作は全く表に出ていないので創作ではない。創作の第一観測者は作者自身だが、作者の内心にあるうちはまだカオスのような何かに過ぎないのだ。
「宝石」の定義
いくつか言及されている文章を参考にしてみる。
学術的な定義が無いのが少し意外であったが、鉱物のうちある特定の条件で慣習的に宝石と呼ばれるものがそれに当たるようだ。今回は自然と形成されるものを「宝石」と呼び創作物と比較したいので、「人工宝石」や「合成宝石」は定義から外す。
「鉱物」であることが前提なので、「鉱物」の定義も見ておく。
つまり「宝石」とは、定義をつなぎ合わせただけだが、
美しく(色・透明度・光沢)
耐久性があり(物理的耐久性)
希少性がある(産出量・産地)
天然に産する生命力の無い常温では固体物質
となるだろう。さらに宝石の成因についても把握しておきたい。
上記から、宝石はマグマをもとにして冷却過程で結晶化されたものだということがわかる。鉱物自体はもう少し細かい成因があるが、今回の類推においては記載のもので進めていきたい。
類推する
類推自体について
類推(類似に基づく思考)は既知の事柄を未知の事柄へ当てはめてみる行為で、人間の認知において頻繁に用いられている。これからおこなおうとする行為も類推である。類推をわざわざ整理してすることは個人的にあまりなかったので、類推の要点を把握してから整理しようと思う。
ゴールを明らかにする
ベースとターゲットの関連付け(対象・属性・関係)
比較による学習
上記は『類似と思考 改訂版』(鈴木宏昭 ちくま学芸文庫)から独自に抽出した要点で、プロセスとしては下図がより詳しい。リンクのnoteでは本の内容を図解されているので、類推についての理解を深めやすい。感謝です。
ゴールを明らかにする
今回のゴールは「創作と宝石の類推から創作についての新たな理解を得る」ということである。
ベースとターゲットの関連付け(対象・属性・関係)
ベースは「宝石」、ターゲットは「創作(物)」となる。関連付けは以下の自作の表にまとめる。
特に関連付けにおいて重要なのが「関係」である。関係レベルの類似は対象レベルの類似に優先して思い出される。僕が最初に抱いた「創作は精神のマグマから生まれた宝石のように価値ある結晶なのではないか」という着想は、まさに関係のことを発端としている。「精神(=マグマ)がものとして固定化されたのが創作(=宝石)」だと捉えたのだ。
整理してみると、「精神(=マグマ)」はわかるとしてもそれが固定化されたものは「創作(=鉱物)」とするほうが正しく関係に対応しているとわかる。なので、あらたに表を作り直してみよう。
宝石を鉱物に変えることで、宝石に限定されていた属性が解放され、鉱物一般の属性になった。それ以外はおおまかには変化が無い。
類推の妥当さは関係の点のみで一旦保証するとして、創作へのよりよい理解につながるだろうものをピックアップしてみる。
比較して学ぶ
関係について
「精神(=マグマ)がものとして固定化されたのが創作(=鉱物)」である。精神はマグマと同様に、未分化の流動的な存在だ。固定されたものから見るとカオスな状況にある。また、創作につながる精神は平熱の思考ではなく高い熱量の思考から来ると考えられるのではないか。料理の味付けの一工夫を創作と認めるとしても、それはいつもと違う熱を帯びた行為であり、だからこそ「工夫」になるだろう。精神の暴れ回る原子を冷却し、秩序を与えるのが創作である。その配列や変成によって綺麗な結晶構造を持つことがある。それが宝石だ。創作は鉱物で、優れた創作が宝石なのだ。美しさ、耐久性、希少性を認められた創作が宝石と言える。もちろん、鉱物がそうであるように、創作も「自分にとって価値があるものが宝石となる」場合があるだろう。
宝石が原石を磨くことやカットすることで光がより綺麗に反射されるように、創作が(広義の)編集によって輝く、と考えることも示唆のある学びかもしれない。
対象と属性について
表2を見るとわかるように、対象と属性について創作物と鉱物は類似ではなく相違のほうが目立つ。個と全(人間と地球)、個性と類型、存在が観測されているものと観測せずとも存在するもの。同じ固定化という作業でも主体や観測者によって反対のように思われる。あえて相似させるなら、鉱物(やあるいは自然の全て)は地球の創作物であり、鉱物は人間の創作物のように無限のバリエーションがあると思える。そもそも鉱物の分類は人間がつくったカテゴライズでしかない。ある認識では似ていようが、遥かなグラデーションを織り成している。人間の創作もメディアや思想といった類型はあるが、本来は弁別されえないものと言っていいだろう。人間が耐えきれない孤独を詩、演劇、哲学、音楽、語り、動画で表現し続け、それが全く同じ孤独では無いように。
おわりに
「創作」と「宝石」の類似性について考察してきた。良かったことの1つは、形式的な思考過程で、関係性として比較するべきは「創作」と「鉱物」だという認知上の発見があったことだ。頭の中だけで処理しようとしたら、鉱物未満のドロドロしたアイデアだけでそれ以上考えられなかっただろう。
もう1つ良かったことは、今回のメタファーにより、創作への新しい視点を獲得したことだ。創作という捉えにくいものを、鉱物への類推という視点から探索できるようになった。これからも僕は創作をし続けるし、誰かの創作に触れ続ける。創作の手助けもする予定だ。創作への深い考察において立ち戻る視点を手に入れたことは、今後の良い武器となるだろう(結晶構造の分析が創作過程の分析に役立つかもしれない!)。
この記事が一つの鉱物として、僕の手だけでなく、他の誰かの手のひらでも輝くようなことがあればとても嬉しい。
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