見出し画像

【鈴木智彦】シリーズ昭和不良伝「真説・万年東一」愚連隊の神様と呼ばれた男【第5回】

不良のカリスマとしていまなお強く支持される万年東一。愚連隊の元祖、あるいは神様とさえ呼ばれた男は、77年の人生で何を語り、何を残したのか。誰も描かなかった素顔に迫る。
(取材・文=鈴木智彦/協力=万年蘭)

※【第1回】はこちらから
※【第2回】はこちらから
※【第3回】はこちらから
※【第4回】はこちらから

戦前戦後の東京に暴力伝説の数々を残した「愚連隊の元祖」万年東一


大学進学は「ボクシング部」

 インテリヤクザの走りは、おそらく、安藤組解散後に映画俳優に転身、時代の大スターになった安藤昇だろう。大学進学組でありながら社会からの逸脱者たちが集まったヤクザ社会に飛び込み、世間を震撼させた大事件を起こした安藤にぴったりの冠ではある。安藤は万年東一の孫分だ。万年も明治大学に進学しておりこの点は同じだ。
 ただし予科練に進んで特攻隊員となった安藤が戦後に進学したのは、法政大学の予科だった。予科とは本学に進むための予備クラスである。学歴でいえば高等課程に並ぶが、専門学校といった側面もあり、今の教育制度で置き換えるのは難しい。とはいえ、やはり予科は予科だ。正確に表現するなら大学に進学したわけではない。
 安藤に学歴を詐称する気などさらさらなかったのは、当人が予科と申告している談話を見ても明らかである。だが「インテリヤクザ」という言葉の印象はかなり強くキャッチーなので、効果をブーストするため、マスコミが故意に予科と大学の違いをぼかして伝えていた側面はあったろう。
 当人やインタビュアーたちもまた、予科だから大学進学とは違う……とは意識していないようである。
「——安藤さんは特に勉強をのぞんでいたわけでもないのに、何で大学に行こうと思ったのですが。
安藤 学校を出た方がいいということが漠然としてあったからね」(『映画俳優安藤昇』山口猛より抜粋)
 2人のやりとりを見ると、予科であっても大学は大学と考えるのが、当時の空気だったのかもしれない。
 法政大学の公式サイトには以下の説明がある。
「旧制法政大学には法学部法律学科・政治学科、経済学部経済学科・商業学科、大学予科および各学部研究科が設けられました。予科には野上豊一郎、森田米松(草平)、安倍能成、内田栄造(百閒)ら、夏目漱石門下の逸材が名を連ねていました」
 この中に安藤昇がいたのは間違いない。当時の世相の中では、安藤が大学機関に無理なく進学できる中流以上の家庭の生まれで、相応の教育を受けてきたインテリだったのは事実である。
 安藤より17年先輩の万年東一が進学した明治大学には、本科と専門科はあっても予科はない。どの学部に進学したのかを証言者たちに聞いてみたのだが、はっきりした回答は得られなかった。万年が進学した昭和6年、明治には法学部・政学部・文学部・商学部の4つしかないので、このうちのどれかではある。
 宮崎学の『不逞者』では明治大学に進学した理由をこう説明している。
「なに、ボクシング部に入学しただけのことよ」
 実際、その側面はあったろう。当時のボクシングは不良の必修科目で、万年と言えばボクシングだったからだ。

ここから先は

2,902字 / 1画像

¥ 200

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!