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【鈴木智彦】シリーズ昭和不良伝「真説・万年東一」愚連隊の神様と呼ばれた男【第1回】

没後37年を経てなお不良のカリスマとして強く支持される万年東一。愚連隊の元祖、あるいは神様とさえ呼ばれた男は、77年の人生で何を語り、何を残したのか。誰も描かなかった素顔に迫る。
(取材・文=鈴木智彦/協力=万年蘭)

戦前戦後の東京に暴力伝説の数々を残した「愚連隊の元祖」万年東一


東京一円に28の愚連対

 東京都に「ぐれん隊防止条例」があるのを知っているだろうか? 
 正式には「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例」というのだが、条例の施行当時は、新聞でも前記の通称で呼ばれていた。
 警視庁が東京都公安委員会に条例案を提出したのは昭和37年9月30日だった。施行はその10日後、10月11日である。2年後には東京オリンピックを控えていた。警察は国際社会の注目を浴びる一大イベントまでに、どうにかして東京の治安悪化に歯止めをかけたかったのだ。
 昭和30年代は組織暴力の時代といっていい。暴力団の全盛期、社会で暴れ回る不埒者はそれだけではなかった。警視庁の内部資料によれば、当時の東京都には28団体の愚連隊組織(分類上は青少年不良団)が存在していた。
 世田谷区用賀の夜桜会、北区の堀越睦会、豊島区巣鴨の常北同志会、文京区大塚の双葉会、後楽園の木村睦会、渋谷の安藤組、安藤昇の兄弟分である加納貢を頭領とする誠友社もしっかり愚連隊組織として記載されている。
 目黒の黒竜会、渋谷の志友会、新宿の山木一派、中野区の縦横会、新宿矢来町の東竜会、楽友会は後楽園のローラースケート場を根城にしていた変わり種だ。
 安藤組と何度も抗争事件を起こした東声会は様々な愚連隊組織を束ねていた。東声会新宿支部だった東京クラブ、東声会青年部、東声会の城南支部である声友会、東声会新宿支部栗野派の大東会、歌舞伎町を席捲した三木恢の三声会、三声会一派の吹雪会、中央会、南声会などである。
 調布には交竜会があり、喧嘩の強さには定評があった。大森・平和島は島根組が跋扈していた。有楽町・銀座の銀友会や神田の神田十番クラブ、練馬区の一分銀一派や板橋区の板橋会は、その後、博徒組織と合流してヤクザ団体に転身している。
 “友”の字を用いた組織名が多いのは、青少年不良団だからかもしれない。暴力団にも好まれる字だが、ここまでは多用されないだろう。東京一円は愚連隊まみれだった。一種の社会現象、ムーブメントといっていい。

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