否定しないことは自己防衛である

中学・高校時代を共にすごした友達が結婚する。
めでたい。
彼女は典型的な反抗期を発症し、校外でサボってみたり注意されても授業中寝続けたり、合唱コンクールの練習には参加しないし(それでもクラスが優勝した時は泣いてた。)、嫌いな奴には攻撃的な態度を取る、そんな子だった。
自分の意志を貫いてアート系の大学に進んでいた。

正直、当時はそうやって自分の感情の赴くままに行動している姿が羨ましくもあり、ムカつきもした。

目に余る行動を取るってことは相手にどう思われてもいいってことで、誰かに迷惑をかけてもへっちゃら、ってことでしょう?

親が自分の為に頭を下げても、申し訳ないな、とか思わないってことでしょう?

物凄い精神力だな、と。

私にはそれができなかった。というか、する選択肢がなかった。自信がなかったから。

そんな彼女が結婚する。

高校生のときは「結婚なんてしない、早く家を出たいし、私は一人で生きていく」って言ってたのに。

学生の頃に言ってたことなんて、大人になれば変わるよ〜って言う人もいるかもしれないけれど、私からみればやりたい放題やってる人が更生してうまく行く姿をみるのがどうもしっくりこない。

例えば、不良更生漫画みたいなもの。これ苦手。
不良が更生して何が凄いのか。やっと常人レベルに乗っただけじゃないか。
不良マンガなら不良同士の抗争みたいなほうがよっぽども筋が通ってて清々しい。
そんな風に思ってしまう。

彼女は言った
「子どもは嫌いだし、自分の遺伝子を遺す意味がないから子どもはいらない」
たぶん、そんな事今は言ってるけど何やかんや子どもを作ると思う。

話は変わるけど、「子ども嫌い」って言う人ってどういう気持ちで言ってるんだろう?自分も子どもだったのに?
別に子ども嫌いでもいいけど、
一定数子ども嫌いな人がいるとするなら、過去の自分も嫌われる存在であったことに気づいてないのかな。
まあそういう人は嫌われても大丈夫なだけの精神力があるんだろうな。

話を戻そう。

人間、変わることなんて至極当然のことだし、昔言ってたことと今やってることか違うことなんて往々にしてあるけど、私はそれに物凄く違和感を覚えてしまう。
だから私は誰に対しても、何に対しても、否定的な言葉を発しないんだと思う。
ブーメランになって帰って来ちゃったらカッコ悪いし。
否定してしまったら将来、自分が否定していた状態になった時に矛盾が生じちゃう。それに否定して誰かに嫌われるのは怖い。正論であっても他人を否定すれば必ず亀裂が生じるし、もとに戻すのはまず無理。
仮に何かアドバイスしたところで、私はその人の人生に責任を持つことなんてできない。
1番いい例が不倫相談かな。私は不倫はダメ、絶対って思ってるけど、不倫している人からその告白を受けても引いたり、止めなよ!なんて事は言わない。その人の人生にとって不倫が正解なのかもしれないし、止めろって言って止めるくらいなら最初からやってないだろうし。
ただ、私はその話を否定もしなければ誰にも言わないけど、距離を置くと思う。価値観が合わない。

でもある意味これは特技。名付けてスーパーポジティブ。相手の自己肯定感を上げることもできる。
相手を不快にさせるもんではないし、むしろ私の言葉で自己肯定感が上がってくれるなら、この特技を身につけられてよかったなぁって思う。
時々、自分には誰もそんな言葉をかけてくれる人がいないから虚しくなるけど。
でも、否定しないってこと自体が自己防衛になっている気がするからそれは救いかな。

兎に角、結婚はめでたい。

幸せになってくれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?