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はぁ?中学受験すんの?問題

ちょっと前に、野本響子さんと田中慶子さんの対談を聞いていたら、前々から気になっていたこちらの書籍が取り上げられていたので、読んでみた。

おおたとしまささん著『勇者たちの中学受験~わが子が本気になったとき、私の目が覚めたとき』

対談はこちら(前編は田中さんのVoicyで。リンクありです。)

教員という職業柄、しかも私学の教員だから気になるということもあるのだけれど、それよりなにより、自分が受験生の親になる可能性が出てきたので、益々気になり読むことにした、というわけ。

ここで、この本を読む前の、私の「中学受験」に対するスタンスをまとめておこうと思う。

はっきり言って「ネガティブイメージ」しかない中学受験

私は高校までずっと地元の公立。何の不満もなかったし、私立に行きたいお思ったこともなかった。だから、自分の子供も今住んでいる地域の中学校に行けばいいのでは?と思っていた。評判もそこそこだし、何より近いし。

しかし、夫は違った。大都会で育った彼。しかもかなり荒れた地域の公立に通った彼は「都会の公立は酷い」という経験経て父親になった。だから、自分の子供には少しでも安心できる環境で教育を受けさせたい。だから、中学受験も視野に入れるべきだ、という考え。

そこで、「私学教員」の私が顔を出す。いやいや、そうはおっしゃいますが、私立だからって安心な環境っていうわけでもないよ?受験で燃え尽きて、せっかく入った学校で勉強する気力がわかなくて、不登校になって、結局地元の公立に転学たものの、昔の同級生に会うのも辛くて、結局引きこもりになっちゃう子も多いよ?しかも、通学に時間がかかったり、満員電車で痴漢に合ったり、土曜日も授業があるから疲労困憊な子も多いよ?

私学の説明会なんて、いいことしか言わないからね?子供に合う学校を見つけるって、本当に大変だし、合うと思って入っても、一緒に過ごす子供たちとの化学反応次第で、全然合わないってことも起こるよ?時間もお金もかけて塾に通って、一生懸命頑張って受験を突破して入学した末路が必ずしも幸せとは限らないよ?

こんな感じで私の中学受験のイメージはネガティブ全開。

そんなある日、塾に行きを決めた娘

受験に対する夫婦の意見は平行線のまま、しかしお互いに一致していたのは「本人が受験をしたいと言ったらサポートはする」ということ。

4年生になって暫くたった頃。娘が塾に行き始めた。

はっきり言ってしまえば、夫が娘が塾に行くように仕向けたのではあるが。クラスの仲良しの友達が通っていた塾だったので、娘自身も軽い気持ちで行き始めた。何せ、娘は「受験」の事なんて、ほぼ無知。知っていることと言えば、地元の中学は受験をしなくても行けるけど、お母さんが教えている学校は受験をしないと入れないということくらい。私立中学で知っているのは、私の勤務校だけ。

それでも、勉強がまあまあ得意な娘は、勉強自体が楽しいらしい。特に社会が好きなようで、学校では習わないような細かいマニアックな情報などを先生が教えてくれると、家に帰ってきて「ここでクイズです!」と私達にクイズを出し、親が答えられないと嬉々として学んできた知識を披露しては喜んでいる(身内にマウントを取るのが大好きなのだ)。

少し前に、「志望校を8こ書いてきてって言われた」と娘が用紙を差し出した。「来た来た~!!これぞ中学受験の塾!4年生から志望校かよっ!知らんがな!」と、「反中学受験」の私は腹の中で悪態をつきつつ、一緒に志望校を書くことにした。

娘は「制服がかわいいところがいい」と言い、私は「できるだけ近いところがいいよ」とアドバイスをし、「あと、できれば、学食とかカフェテリアがついている学校がいいな!お弁当毎日は辛い!」と追加のリクエストを出し、どうにか8こ選んだ。

暫くして、結果が返ってきた。初めての順位。初めての偏差値。初めての合格確率。

数字はなかなかにパワーがある。テストを受けた、その一瞬の瞬間風速なのに、その数字は次の瞬間風速が出るまでは、ぺたりとはられたシールのように剥がれない。

「自分の嫌な部分」を見たくない

初めて自分の子供に「偏差値」を与えられ、気づいた。

私は中学受験が嫌だというより、「偏差値」「順位」「合格確率」という数字のレッテルをはられるのが嫌なのだ。

もっと分解すると、レッテルが嫌なのではなく、結局、娘に貼られた数字のレッテルを見て、心が揺さぶられてしまう自分が嫌なのだ。

娘の良いところは誰よりもたくさん知っているはずなのに、数字を見せられてしまうと、「そんなはずない」と思ってしまう自分がどこかにいるような気がしてしまう。

頑張っている娘に、「もっと頑張れ」と言ってしまうそうな自分がいる。

中学受験で娘のサポートをする中で、そういう「自分の嫌な部分」を見たくないから、多分「中学受験」もしたくないって思っていたのかもしれない。

‥‥ということを、『勇者たちの中学受験』を読みながら気づいた。どの親も「子供の為に」の気持ちは同じはずなのに、客観的にみると「おいおい…」と突っ込みたくなるエピソードが描かれている。

私もこんな親になってしまったらどうしよう…。やっぱり中学受験は大変だな…。

解説に「中学受験の希望」を見た

「中学受験って、本当に狂っているな…。その狂っているイベントに、我が家も巻き込まれるのか…」

暗澹たる気持ちで、3つのエピソードを読み終え、最後の解説を読んだ。

そこに「中学受験の希望」を見つけた。

…私が書く受験の記事は、どうやったら、❝勝ち組❞になれるか問う話ではない。中学受験に限らず、大量の課題をこなす処理能力と忍耐力と、与えられた課題に疑問を抱かない能力・・・・・・・・・・・・・・・・・の高いものばかりが有利になるこのクソみたいな受験システムに、どうやったら過剰適応しないで受験を乗り切れるかという話なのである。

おたとしまさ『勇者たちの中学受験』より

これだ…。「受験システムに過剰適応しないで受験を乗り切れるか」をしっかり自分自身で考え、言語化し、行動していくこと。「クソみたいな受験システム」という視点で、一歩も二歩も引いて受験に関わるスタンスを忘れないこと。向き合い方がわからなかったから、私はただただネガティブなイメージを羅列して、中学受験から逃げようとしていたのかもしない。

Voicyで田中さんがおっしゃっていた「世界はここだけじゃない。枠を変えて、評価の基準を変えたら、みんなそれぞれ優秀なところもあれば、全然できないところもある」ということを私も忘れず、娘にも伝え続けて、そして教員としても、その視点を忘れず生徒を見て、生徒にも伝え続けていかなくちゃいけないな、とすごく強く思った。


応援はする、でも自分とは切り離して応援する

まだ受験をすると決まったわけではない。スタンスとしては、「受験したくなった時の為に、通っている」という程度。でもきっと、娘も塾の中で影響を受けて、受験をすることになるんだろうな…と思う。

今回、この本を読んで良かった。
「クソみたいな受験システム」っていうことを心の中で思いながら冷静に関わるのが大事だなってわかって、すっきりした。

おすすめです。

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