自炊党宣言(抄)(機関誌『自炊のひろば』創刊号より)
【注意】この記事は、自由炊事党機関誌「自炊のひろば」創刊号(2019年11月発行)に掲載された記事の一部を、見本として掲載するものです。都合により予告なく公開範囲を変更しまたは公開を取りやめる場合がありますので、ご了承ください。
「自炊」概念の射程
ところで先に筆者は、自炊党の設立趣旨は義務感からではなく自由に炊事を楽しむことだと述べた。しかし「自炊」というと一般的には、ある人が自分の食べるものを自分で調理することを指す。一人暮らしの若者がその日の夕食を自分で一人前拵える様子をイメージすれば、なるほどそれは自炊と呼ぶにふさわしかろう。では、自炊党は自炊の名を冠していながら、一般的に抱かれる自炊のイメージ「ある人が自分の食べるものを自分で調理する」ではなく「義務感からではなく自由に炊事を楽しむ」を趣旨に掲げるのはなぜだろうか。
自炊の両義性:「みずから」の自炊と「おのずから」の自炊
まずここで筆者は、自炊の両義性を主張したい。すなわち自炊には「みずから」の自炊と「おのずから」の自炊という両面があるというのである。まず「みずから」の自炊は、先に述べた自炊の一般的な定義「ある人が自分の食べるものを自分で調理する」と同じだとみて差し支えない。これを炊事の自給性とよぶ。一方「おのずから」の自炊は、何らかの内的・外的強制力よりもむしろ調理者自身の自由意志に基づいて調理することだと説明できる。これは炊事の自発性と呼ぶ。私たちが自由炊事すなわち自炊と呼ぶような炊事は、自給性と自発性のいずれかを備えていればそれでよいのである。
このように自炊の両義性を認めることで、多くの種類の炊事を自炊とみなすことができる。例えば、ある主婦が、自身を含む家族4人分の朝食を作ったとする。これを「自分の分も作っているのだから自炊だ」と評価することは従来の感覚では難しかったが、自炊の両義性を認めれば、彼女の状況や心境次第では胸を張って自炊と評価することができるのである。
集団的自炊権
さて、私たちが従来の「自炊」概念を拡張してまで炊事の自発性をも積極的に認めようとしているのは、料理にスケールメリット(規模の経済)がはたらきやすいからである。炊事の自給性のみに注目していては、スケールメリットを効かせたお得な炊事をみすみす見逃すことになってしまう。またコストによるインセンティブがはたらけば炊事の自発性自身も駆動されるというわけだ。
スケールメリットとは、例えばカレーを5人前作るのに、1人前作るときの5倍のコスト(時間、労力、材料費など)はかからないことである。もちろん学校給食のような超大規模になればまた別種の管理的コストがかかってくるのだが、日常的な範囲では、規模が大きくなればなるほどコストパフォーマンスがよくなる。もちろん炊事の工程やコストの種類によってスケールメリットのはたらき方の程度は異なる。ニンジンを3本短冊切りにするには、1本のときのほぼ3倍の労力がかかる。しかし炊事の目的はニンジンの短冊切りを作ることではなく、あくまで短冊切りしたニンジンやざく切りにしたキャベツ、こま切れ肉等を使っておいしい焼きそばを作ることだから、全体としてお得になっているかどうかを検討した方が理に適っている。
家族など何人前かの料理を担当しているなら、炊事にスケールメリットを効かせるのは簡単だ。一方で、何人前かの料理を担当している調理者がもっと大きなスケールメリットを求めた場合、また単身者がたった1人前の調理をする不経済を嘆いた場合、同時に数回分の料理を作る、いわゆる作り置きなどの工夫をすることになる。作り置いた料理が例えばイカと大根の煮付けなら、翌日にはさらに味のしみておいしくなった煮付けを楽しむことができよう。しかしチャーハンなどはラップで包んで冷蔵庫で保管すると明らかに食味が落ちるし、美味しい料理もあまりに続くと飽きがくるものだ。スケールメリットを大きくする工夫として、作り置きのほかに大人数で食べるという方針も考えたい。付き合いのある近隣の人におすそ分けしてもいいし、ホームパーティを催してもいい。皆で作って皆で食べること、これは自炊するすべての人にとってのかけがえのない権利であって、集団的自炊権と呼ぶ。自炊党の党大会が持ち寄りパーティの形式をとっているのが、党構成員の集団的自炊権を尊重しての取り組みであることはいうまでもない。なお、個々の炊事者が炊事の自給性・自発性どちらに重きをおくかは各人の自由だから、相手の望まない形で集団的な自炊に巻き込んでしまうと相手の自給的自炊権を侵害することになる。実践に際しては注意されたい。
自炊党宣言:自炊党は何を目指すか
私たちは心から炊事を楽しむ生活者、すなわち自炊党である。同時に、炊事を楽しむすべての人を応援する炊事団体、すなわち自炊党である。自炊は自分ひとりのために食事を作ることだけを指すのではない。自由に炊事を楽しんでいれば、それはもう立派な自炊だ。自分ひとりでこだわりのメニューを作ってもいいし、料理と食事の楽しさを誰かと分かち合ってもいい。何かを食べて生きているすべての人が楽しく炊事をできるように、そしてお互いの楽しみ方を尊重できるように、私たちは高らかに宣言するのだ。そう、「万国の生活者よ、自炊はいいぞ!」と。
★この記事を書いたのは
自由炊事党総裁 海野 粋一
自炊党の世界観担当。よしながふみ『きのう何食べた?』に感銘を受けて自炊の道へと進み、2017年より自由炊事党を主菜、じゃなかった主宰する。他の炊事団体との外交、レシピ本の非破壊的自炊など、その活動は多岐にわたる。海、野、米と食いっぱぐれしなさそうな名前がわりとお気に入り。
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