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ドローンの課長 #毎週ショートショートnote

 物で溢れかえった夫の部屋を今日こそは片付けてやろうと腰を上げた。すると、グレーのキャリングケースに入ったプロポを見つけた。機体が収まるであろうはずの場所は、ぽっかり空いている。

 どうしてもと頼むから、夫が課長に昇進した頃、お祝いということで買うのを許したトンボ型ドローン。天使のようにかわいい私達の娘、ではなく、こよなく愛するトンボを撮影するのが目的だったというのはなんともあの人らしい。私が出産したその日にも一眼レフを片手に川原へ駆けていった話は、親戚が集まれば必ず誰かが口にする定番だ。
 買って間もなく経った頃、三人で近所を散歩した。着いた空地で夫がドローンを飛ばして、私と娘は口をぽかんと開けながら天を仰いでいた。そのうち娘が、私もやりたいとせがみだし、夫は暫く考えると、じゃあこれを押してくれる、とひとつのボタンを指し示した。
――RTH。リターントゥホームって言うんだよ。
 夫がスティックから指を離しているのに、ドローンがこちらへ戻ってくるではないか。目の前でゆっくりとドローンが着陸し始める。私の頬をいく筋かの髪が当たった感覚が蘇る――。

 「リターントゥホーム……」
 私は、すっかり皺が増えた指で、Hの字が消えかかったボタンを押してみた。その時、窓の方からこつんと何かがぶつかる音がした。きらりと光る青緑の翅のトンボが、もうひとつガラスを打って飛んでいった。ああ。あれは……、そう、あの人が好きだったアオハダトンボだ!

<了>


※プロポは、ドローンを操縦するための送信機。コントローラーです。
ヘッダー使用写真:photoAC(https://www.photo-ac.com/)

一年前に書いた「大増殖天使のキス #毎週ショートショートnote 」のその後の話です。


たらはかに(田原にか)様の下記の企画へ参加しています。


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