夕川 千翠

ゆうかわちすい【夕川千翠】 最近はショートショートを書いています。

夕川 千翠

ゆうかわちすい【夕川千翠】 最近はショートショートを書いています。

最近の記事

命乞いする蜘蛛 #毎週ショートショートnote

(529字)  ほんの一町ほど先の三の丸から火の手が上がっている。すでに日が暮れ、いつもであれば石落の隙間から吹き込んでくる風を冷たく感じる頃だったが、それが気にならないのは火熱のためだけでもないのであろう。  信貴山城の本丸、四層になる高櫓の最上階に座していた松永久秀は覚悟を決めた。取り囲むのは、信長の嫡男信忠率いる四万の軍勢。信長への三度目の謀反を起こし、ここに来て家臣の内通により追い込まれるとは報いとでも言おうか。もはや弓も折れ、矢も尽きた。  久秀の目の前に鎮座

    • 桜回線 #毎週ショートショートnote

      (927字)  一人で暮らす父の物忘れが出てきたようだから様子を見てきてほしいと妹から電話があった。妹は九州で結婚し、遠方で暮らす父とは定期的に連絡を取っているようだ。一方、俺は実家から2時間の距離に住んでいるのだが、父とそりが合わないこともあり、母の法要や最低限必要なこと以外では実家に近寄らなかった。そろそろ施設への入所を勧めた方が良いのだろうと思いながら、でこぼこの道路を走った。  父一人の実家の庭は荒れ放題で、あちこちに両手を伸ばす雑草を踏みつけながら車を停めた。入っ

      • 三日月ファストパス #毎週ショートショートnote

         残った仕事を来週に投げ捨てて駅へ走ったのも虚しく、入れ替わるようにして電車が出て行った。次に来るのは30分後だ。手持ち無沙汰になり上着のポケットに手を入れる。無い――。今朝、家にスマホを忘れてきたのだった。スマホを掴み損ねた手のひらを出しかねていると、何かに触れた。いつか社内で貰ったのだろう、小さな飴だった。口にぽいと放り込むと、懐かしい味がした。  時刻は分からないが、ずいぶんと早く次の電車が来た気がした。乗り込むと、全員が一様にスマホの画面に見入っていた。仕方なく外の

        • お返し断捨離 #毎週ショートショートnote

          (965字)  「あんたに一体いくら掛けたと思ってるのよ」  X大学の不合格通知を受け取った時、母から発せられたその一言で決心した。母に与えられた全てのものを返して断捨離しようと――。  自分自身3年間必死に机に齧りついてのこの結果に地面が崩れ落ちそうな絶望を感じた。X大学合格に掛けてきた母の膨大な期待と苦労も痛い程感じていたが、母の口を衝いて出たその本心は自分に動機を与えるのに充分だった。  夜明け前、リュックに入るだけの荷物を持って自転車を漕ぎだした。ざっと計算して

        命乞いする蜘蛛 #毎週ショートショートnote

          突然の猫ミーム #毎週ショートショートnote

          (1,083字)  商品のはちみつの瓶をコトリと置くと、女性はカウンター越しに事務所の方を覗き込むようにして言った。  「これください。それと、相談役は来てますか」  カウンターから遠い奥の席に座っていた社長がそそくさと立ち上がり女性の方へ向かった。レジを打ちながら、ちらりと窓の外へ目をやる。  「30分ほど前にそこの花壇で寝てましたよ。まだいるかも」  MARUMITSU有限会社、旧社名丸蜜養蜂の事務所では、入口近くのスペースを少し空けて数か月前からはちみつの小売を始め

          突然の猫ミーム #毎週ショートショートnote

          レトルト三角関係 #毎週ショートショートnote

           自分で言うのもあれなんだけど、アタシはモテる。今も、アキラとユウキが「あーん」と言いながらスプーンをこちらに差し出して「どっちが好き?」なんて訊くから困っている。  アキラは、仕事が忙しいらしく何日も会えないことなんてしょっちゅう。コンバットレーションとか言う缶詰やレトルトは食べ飽きたって言いながらも働き続け、給料と休日を嬉しそうにアタシに捧げてくれる。アタシのために山ほどの洋服を買って、アタシが喜んでいるのを眺めるのが至福なんだとか。一緒に遊ぶのは楽しいけれど、時々信じ

          レトルト三角関係 #毎週ショートショートnote

          洞窟の奥はお子様ランチ #毎週ショートショートnote

           つい先刻まで隣にいた牛ヒレステーキは、小さなかけらさえも残さずいなくなっていた。右端にカトラリーが揃えられた瞬間、ピクルスは今日もまた残されたことを悟った。体から水分が抜けだして、皿に僅かに残ったステーキソースに流れていった。  ピクルスはいつものように給仕に下げられて廃棄された。コールドテーブル上の瓶の中で、その様子を見ていた仲間のピクルスは、台からそっと滑り降りるとそのまま洗い場の下に隠れた。料理見習いが裏の鉄扉を開けてチャンバーに出て行く時を見計らうと、そこから転が

          洞窟の奥はお子様ランチ #毎週ショートショートnote

          デジタルバレンタイン #毎週ショートショートnote

           頭の後ろをポリポリ掻きながら、初めてのバレンタインチョコを受け取った。  加住さんと出会ったのは半年前に荷物を届けに国営農作機関に向かっている時だった。案の定地下通路の中で迷い、奇跡的にそこに勤めているという女性にでくわして場所を案内してもらった。それが加住さんだった。荷物を届けるたびに少しずつ会話をするようになった。 ――でも、これってホンモノのチョコレートなの?  僕達が普段口にしているのは過去に地球上に存在していた農畜産業物を模して造られた人工食品だ。しかし、少な

          デジタルバレンタイン #毎週ショートショートnote

          行列のできるリモコン #毎週ショートショートnote

          1,645字  厚い雲の隙間から星が明滅していた。裏路地に入り腹の底に染み入るようなカツの匂いが漂い出すと、肩に食い込むリュックの重さを忘れた。  ガラガラ鳴る玄関をくぐると、白いねこ型配膳ロボットが出迎えた。物好きな店主がまた何か買ったらしい。 「耳を撫でるとね、色々しゃべってくれるのよ」  老女将がそう言いながら忙し気にロボットの耳をふた撫でした。 「耳は触らないでほしいにゃー」  俺の前に佇むロボットがそういった時には、すでに女将はお茶を取りに奥へ消えていた。  

          行列のできるリモコン #毎週ショートショートnote

          ツノがある東館 #毎週ショートショートnote

           今日は雨だからパンを食べることにした。空気ばかりのクロワッサンなんかが丁度良い。湿度で重くなった体には、重たいものは入りっこないから。  あの壁が真っ白に塗られたパン屋は私の行きつけだ。パン屋というには厳かで、館と呼ぶ方が合っている。いつも扉が僅かに開いていて、香ばしい匂いが立ちのぼるものだから頭の先までそぞろきだす。ところが今日は、その建物の真東に見慣れない建物が忽然と建っていた。別館ができたのだろうか。こぢんまりとしていて、赤い屋根はてっぺんがぐーんと高くてまるでツノ

          ツノがある東館 #毎週ショートショートnote

          アメリカ製保健室 #毎週ショートショートnote

           四角い小さな台の上に乗ると足の裏がひやりとした。ほんの僅かににつま先立ちをして、ちらりとキャロライン先生を見やる。先生は僕の肩をそっと押して言い放つ。  「5フィート2インチやね」  養護教諭のキャロライン先生は生まれも育ちもアメリカだ。この学校に勤めて三十年以上になるという噂で、この辺りの方言まで使いこなしているのだが、ヤードポンド法だけは抜けない。年季の入った身体測定器も体重計もちゃっかりアメリカ製だ。メートルに換算して記録用紙に自分で書き込む。手間ではあるが、後ろに並

          アメリカ製保健室 #毎週ショートショートnote

          ドローンの課長 #毎週ショートショートnote

           物で溢れかえった夫の部屋を今日こそは片付けてやろうと腰を上げた。すると、グレーのキャリングケースに入ったプロポを見つけた。機体が収まるであろうはずの場所は、ぽっかり空いている。  どうしてもと頼むから、夫が課長に昇進した頃、お祝いということで買うのを許したトンボ型ドローン。天使のようにかわいい私達の娘、ではなく、こよなく愛するトンボを撮影するのが目的だったというのはなんともあの人らしい。私が出産したその日にも一眼レフを片手に川原へ駆けていった話は、親戚が集まれば必ず誰かが

          ドローンの課長 #毎週ショートショートnote

          会員制の粉雪 #毎週ショートショートnote

           一人暮らしを始めた姉のアパートへ行くと、「すこやか歓節」と書かれた未開封の袋がそこここに転がっていた。コンドロイチンやグルコサミンという文字が見える。いくらミーハーな姉でも先を行き過ぎている。来たばかりの私への第一声は、ここのシャインマスカットのタルトが人気なんだって、今から行かない?だった。  店頭で一時間待ち、ようやく案内されると、景色がいいからという姉の意向で、陽光眩いテラス席に座った。間もなく運ばれてきたタルトに気づいていないのか、姉は夢中でスマホをタップしていた

          会員制の粉雪 #毎週ショートショートnote

          メガネ朝帰り #毎週ショートショートnote

           一瞬の静寂の後、再びあちこちでカエルたちの声が巻き起こった。玉蜀黍の葉の上に寝そべっていたサーモントメガネは、その鳴き声に気を取られ、近くの葉が微かに音を立てたことに気が付かなかった。  「星が落ちてきそうだ」  ぼそりとそう呟く声でやっと気が付き、辺りを見回すと、少し低い葉にオーバル型のメガネが天を仰いでいた。僅かにテンプルが上に曲がっている。  「そんな風に思ったことなかったな」  思いがけず返答があったことに驚いたように、オーバル型のメガネは声の方を見遣った。サーモ

          メガネ朝帰り #毎週ショートショートnote

          半分ろうそく #毎週ショートショートnote

           しっぽを抱えたニホンリスが、木陰を縫って一本のミズナラを目掛けて駆けてきた。たどり着いた根元にある樹洞を数匹のミツバチたちが忙し気に行き来する。リスがぴいぴい鳴くと、一匹の眠たげなミツバチが僅かに顔を出した。すぐさま穴に引きかえそうとしたため、慌ててリスは呼び止めた。  「あなたはなんでもくっつけてくれるって本当ですか。ツミから命からがら逃げ切ったのですが、代わりにしっぽを落としました。落としたこのしっぽをくっつけてください」  それを聞いたミツバチは気の毒がって、腹のろ

          半分ろうそく #毎週ショートショートnote

          グリム童話ATM #毎週ショートショートnote

           千種の動物の毛皮で作ったマント「千枚皮」を纏った娘は、地下の小さな自室へ駆け込んだ。宮廷料理長から許された時間は三十分。階上のホールで催されている遊宴で、令嬢たちの誘いを断り、一人佇むあの君の姿が思い遣られた。  ベッドの藁の中に隠していたクルミの殻を取り出す。この中にしまっておいた星のように瞬くドレスさえ纏えば、またあの君に会えるのだ。クルミを開けて出てきてたのは――。  「王女さまが着るような衣装、だけど、星のドレスじゃないわ」  千枚皮を纏った娘はそう呟きならも、大慌

          グリム童話ATM #毎週ショートショートnote