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突然の猫ミーム #毎週ショートショートnote

(1,083字)

 商品のはちみつの瓶をコトリと置くと、女性はカウンター越しに事務所の方を覗き込むようにして言った。
 「これください。それと、相談役は来てますか」
 カウンターから遠い奥の席に座っていた社長がそそくさと立ち上がり女性の方へ向かった。レジを打ちながら、ちらりと窓の外へ目をやる。
 「30分ほど前にそこの花壇で寝てましたよ。まだいるかも」

 MARUMITSU有限会社、旧社名丸蜜養蜂の事務所では、入口近くのスペースを少し空けて数か月前からはちみつの小売を始めた。扉の横に社名を記したステンレスの銘板を掲げてはいたが、近所の人々からは何をしている会社か認知されていなかった。相談役がやってこなければ、こうして近所の人が立ち寄るような会社にはならなかっただろう。

 陽の当たる花壇で相談役は香箱座りをして眠っていた。相談役はねこだった。黒いつやつやとした毛並みで、あごから胸元にかけて白い毛が覗いていた。右耳の先が桜の花びらのように小さくカットされている。

 相談役は1年前に突然敷地内に姿を現した。暦では春になったが、雪がちらついていたその日、どこかで一日中猫の鳴き声が響いていた。従業員たちは、鳴き声が気になりながらも業務にあたっていた。しかし、とうとう昼過ぎに近隣住人がうるさいと事務所に怒鳴り込んできた。猫なんて会社で飼ってはいないが、と思いながら外へ行くと、どうやら会社の駐車場の方からしきりに鳴き声が聞こえる。鳴き声をたどると社長の車だった。「好きでもない猫なんて車に乗せているわけがない」と社長は怒り出したが、明らかに声はそこから聞こえた。男性社員がスマホのライトを点けながら根気よく車を覗き込み、1時間後にようやくタイヤハウスから一匹のタキシード柄の子猫が勢いよく飛び出してきた。傍で見ていた近所の老齢の女性が手早くその猫を捕まえて抱きかかえた。

 「おお!」
 一斉に感嘆の声があがる。気が付けば社長をはじめほとんどの従業員が事務所から出て来ており、さらには数人の地域住人が集まっていた。
 「マックスウェル・ザ・キャットにそっくりじゃないですか」
 「本当、模様がそのまま」
 若手社員達が騒いだ。ぽかんとする一同に、若手社員はスマホでショート動画を流した。軽快な音楽に合わせて、3Dの猫が左右に揺れているのだが、確かに目の前の猫に似ていた。ちらりと見ると、社長はかすかに頭を揺らしながらリズムを取っていた。
 
 今、マックスウェル改め「相談役」と呼ばれるようになった猫は、会社と近隣の人々にかわいがられる地域猫として暮らしている。お気に入りはやはり社長の車のタイヤハウスだ。今日も社長がボンネットを叩く音が町内に響く。

<了>


たらはかに(田原にか)様の下記の企画へ参加しています。


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