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桜回線 #毎週ショートショートnote

(927字)
 一人で暮らす父の物忘れが出てきたようだから様子を見てきてほしいと妹から電話があった。妹は九州で結婚し、遠方で暮らす父とは定期的に連絡を取っているようだ。一方、俺は実家から2時間の距離に住んでいるのだが、父とそりが合わないこともあり、母の法要や最低限必要なこと以外では実家に近寄らなかった。そろそろ施設への入所を勧めた方が良いのだろうと思いながら、でこぼこの道路を走った。

 父一人の実家の庭は荒れ放題で、あちこちに両手を伸ばす雑草を踏みつけながら車を停めた。入った家の中も同じく物が溢れて雑然としていた。
「母さんも居なくなって一人で家のことも大変だろうし、どこかいい施設に入ったらどうかな。その方が俺も安心だし……」
「一人でも困っとらんから、この家で死ぬまで好きにさせてくれ」
「でも、何かあっても、俺はすぐに来れないしさ」
「そんなことは構わん。死んだら死んだで放っておいてくれ!」
「そんなわけにもいかないだろ!」
 次第にお互い感情的になり、しまいには父に部屋から追い出された。俺は暫く怒りが収まらず、玄関から草刈り鎌を引きずり出した。庭に出てとにかくひたすら草刈りを始めると、夢中になって怒りも和らいでいった。

 ふと見上げると、子供の頃よく目にした桜の木がまばらに花を咲かせていた。あの頃は枝いっぱいに花を付けていたと思ったが、ずっと寂しくなっている。枝が細かく分かれてホウキのようになった固まりがいくつかできていてそこには小さな葉が付いていた。てんぐ巣病だ。それを見て放ってはおけなかった。

 父の入所の件に進展はなかったが、枝を切り落としたり、肥料を与えたり、害虫がいないかを確認したりと桜のために実家に行くことが増えた。気付くと父は縁側に座って桜の様子を眺めるようになっていた。

――翌年、見違えるような桜花爛漫の様は通り行く人々の足を止めた。近所の人々と会話をする父は久し振りに笑顔を見せた。
「この桜はこの家を建てた時に苗木を貰ってきて母さんと植えたんだ」
 俺は持っていたパンフレットをそっと後ろ手に隠したが、春疾風がそれを奪って父の足元へ運んだ。パンフレットには桜の木に囲まれた老人ホームが写っていた。散った桜の花びらが一片、パンフレットの上にはらりと落ちた。

<了>


たらはかに(田原にか)様の下記の企画へ参加しています。


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