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お返し断捨離 #毎週ショートショートnote

(965字)

 「あんたに一体いくら掛けたと思ってるのよ」
 X大学の不合格通知を受け取った時、母から発せられたその一言で決心した。母に与えられた全てのものを返して断捨離しようと――。

 自分自身3年間必死に机に齧りついてのこの結果に地面が崩れ落ちそうな絶望を感じた。X大学合格に掛けてきた母の膨大な期待と苦労も痛い程感じていたが、母の口を衝いて出たその本心は自分に動機を与えるのに充分だった。

 夜明け前、リュックに入るだけの荷物を持って自転車を漕ぎだした。ざっと計算して900万円が、母が自分に使った金額だ。ネットカフェに泊まりながら自転車で走り続け、4日目に9階建ての丁度よさそうな雑居ビルを見つけた。900万円を返した暁には、あそこから飛び降りて与えられた命も返して全てを終えることに決めた。

 朝9時から近所のスーパーのレジ打ちのアルバイトをし、夕方には走って雑居ビルに入っている居酒屋へ向かい、日を跨いでから格安のアパートに帰って、毎日溶けるように眠った。勉強漬けの日々で世の中のことも接客のことも知らず、何をやっても失敗したし、叱られもした。しかし、どんなに疲弊しても断捨離への固執が自分を奮い立たせた。最低限の生活費を差し引いた残りの金額はそっくりそのまま母へ送金した。あまりに熱心に仕事を続ける姿に周囲も好感を持ち始めたのか、そのうち話しかけてくれたり、こっそり廃棄間近の食材を持ち帰らせてくれたり、家庭菜園の野菜をくれたりするようになった。

 そんな生活も5年目を迎えたある日、毎月のようにスマホを操作し振込ボタンを押した。これでとうとう900万円を返し終えた。居酒屋の休憩室の窓を開け、外を見下ろす。その時突然後方で何かが破裂する音がした。
「店長、誕生日おめでとうございまーす」

 振り向くと、帰ったと思っていた従業員達が空になったクラッカーとケーキを持ってにこにこしながら立っていた。自分の周りに色とりどりのテープが散らばっている。気が付けば自分は社員になり、店長になっていた。今日が自分の誕生日だということなんてすっかり忘れていた。窓枠から手を離した。そして、年甲斐もなくぼろぼろと涙をこぼしながら皆にお礼を言った。
 「店長、嬉し泣きしすぎ」
 渡してくれたキッチンペーパーで鼻をかみながら、この従業員たちに貰ったものは一生を掛けても返しきれないだろうと思った。

<了>


たらはかに(田原にか)様の下記の企画へ参加しています。


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