見出し画像

私のNeverland Diner

友人にNeverland Dinerという本をもらいました。
今はもうない、あの頃の記憶にだけ残るお店たち。著者5名それぞれの文章がまた趣深いです。
ノスタルジーの一言では片付けられない。横に子どもの頃の私が座ってきたような。
切ないとも儚いとも違う感情がわきます。

あの頃の記憶がひょいひょいっと蘇ってきました。

これから出かける小学生の私について行ってみることにします。

うちの前を通るドブ川沿いの細い道を抜けると、大きい道路に出ます。
左に行くと登校班の集合場所です。

右に曲がるとガス屋さんがあって、その隣は急な下りの階段です。この下に降りると学区が違う地域なので、少し異世界感があります。

そのまままっすぐ行くと文房具屋さんが現れます。外にはガチャガチャ。小さいお店には棚という棚に文房具が置いてあって奥にはおばちゃんがいます。
コクヨのノートを買いに行きつつ、芯入れ替え色鉛筆や匂い消しゴムを物色します。
もう少し行くと酒屋件食料品屋。緑の電話ボックスがあります。
ここではぬ〜ぼ〜とフィリックスのガムをよく買っていました。
ぬ〜ぼ〜はもちろんモナカ部分を外してエアインチョコとわけて食べます。
外の自販機で父のタバコを買います。お釣りはもらえるので、500円渡されると嬉しいです。

道路の反対側に渡ってみます。
カワイのピアノ教室です。長いこと通ってましたがちっともうまくなりませんでした。練習が嫌いだったからです。
まわりはヤマハ派が多くて、ちょっと大きな声でカワイに通っているといいにくかったです。

その隣はおじいとおばあのケーキ屋さんです。苺のムースケーキが大好きでした。
1人でこっそり買ってむしゃむしゃ食べたことがあります。父はアップルパイが好きでした。他の家族の好みは忘れました。

その隣はみわちゃんラーメン。細かく刻んだかまぼこが入っていた炒飯が好きでした。
当時ニュースになっていたSOS遭難事件の
SOS助けてーSOS助けてー
の肉声がお店のニュースで流れていてトラウマになりました。
今でも思い出すと怖いです。救助された人は今も元気に暮らしているのでしょうか。

ここからは坂を登らないといけません。歩道橋が見えてくるといよいよ急な坂がはじまります。ここで引き返すことにします。

どの店もにおいまで思い起こされる。

うちから半径200mのことでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?