t.A.T.u.

私はTattooを入れてません。その理由はスーパー銭湯が好きだからってことと、もう一つ、今日これからお話する友人のTattooのエピソードを超えられないと思っているからです。

まだロシアとアメリカが緊張状態にあった時代。私の友人(*以後、彼)は、ロシアに生まれました。彼の両親はロシア人でしたが自国の考え方や社会の行末を憂い、子供の教育の為にはアメリカに渡ることが最善だと考えていて、彼がまだ小さな頃から秘密裏に国を出る準備をしていました。その頃はロシアから海外へ渡航できる人達はほんの一握りで、行ける国も限られていた時代。無論アメリカに渡るなんてことがバレたら刑務所行き。ただ、両親にはプランがありました。アメリカはジューイッシュのコミュニティが強く、同じ苗字の全くの他人から”親戚です”といういわゆる紹介状を書いてもらっていたのです。飛行機のチケットは、イスラエル行き。空港で乗り換えて、最終目的地はNY。

計画は用意周到に練られ、何年も何年も待って、遂に渡航が叶うことになりました。

実際にロシアを出る時には、財産も金などの宝飾品もロシア語で書かれた本すら持っていけません。持ち出しが許されたのは、寝具と人数分のトランクに入れられた洋服、一人当たり20ドル程の現金だけでした。

家族の人生を左右する一世一代の朝。早朝のロシアの空港は白い息が見える程の寒さでした。無機質な空間で、荷物検査の検査官達がセンサー片手に淡々と作業を進めています。

荷物検査で引っ掛かったら、ここまでの努力が水の泡になってしまうという緊張感から家族は黙ってただ荷物を見つめていたそうです。

検査官がトランクを確認し、寝具にセンサーを当てていたとき、ブザー音がなりました。枕から。家族は息をのみます。検査官がナイフで枕を切り裂くと。朝の光が差し込む無機質な空間に、大量のフェザーがひらひらと舞い上がりあたりは真っ白になりました。センサーに反応したのは、日本でいう一円玉。枕にコインを忍ばせると良運に恵まれるという、昔のロシアのおまじないです。幸いそのコインは金や銀ではなかった為、咎められることはなく、無事検問を通過することができたそうです。

そう。彼は、早朝の空港で舞い上がった羽の情景が目に焼き付いていて、腕に羽のTattooを刻んだのです。かっこよすぎるでしょーー。ドラマじゃん。

その後どうなったのか。家族は無事イスラエルに到着。彼の姉はイスラエルに残り、残りの家族は空港でNY行きのチケットをゲットし、無事アメリカに渡ります。ジューイッシュコミュニティーのサポートのもと、両親は一から英語を勉強しアメリカで彼を育て上げました。

アメリカって、こういうストーリーが普通によくあるから面白いんですよね。それぞれがよりよい場所を求めて新天地に渡った過去がある。世界中から来た人の勢いと挑戦するパワーであの国は大きくなったんだろうなぁと、思うわけです。

話は脱線しましたが、これよりドラマチックなエピソードが人生に起きない限り、私の身体にTattooが入ることはおそらくないでしょうね。



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