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仏のいえ(2024年5月)

畑仕事や境内の草引きをしていると、私の上をカッコウが鳴きながら飛んでいます。こんなに響くだけの大きな声を出しながら飛べるなんて器用だなぁと思いながらも目で追うことは出来ません。北海道のネイチャーガイド「Into the Woods」に、私が目にしたことのないカッコウの飛んでいる姿の写真が掲載されていました。

つがいのカッコウ「Into the Woods」より

そのサイトによると、カッコウと鳴くのは雄だけで、雌をを追いかけながら鳴いているとのこと。私の生活とは直接関係ないけれど、毎年こうして子育てのために信州に戻って来て、天上で鳴いてくれるカッコウは私の一部でもあります。未明に坐禅をしているとフクロウの声とカッコウの声が入れ違うのが3時頃。4時半を過ぎると今度は山鳩や小さな鳥の声も鳴き賑やかになってきます。
信州では、カッコウが鳴き始めたら「ささげ(豆)」を蒔く時期だと言われています。今年は5月中旬に鳴き始め、急かされるように20日に豆を蒔きました。お寺を再興された周山庵主様の時から、収穫した豆の一部を来年の種として残して翌春蒔く、そのことを百年以上続けていることになります。額のように狭い畑でも、トマト、きゅうり、ナス、カボチャ、ズッキーニ、オクラ、オカヒジキ、ジャガイモ、ネギ、枝豆、ささげ豆と霜降りささげを、夏の収穫の楽しみに蒔きます。去年はどこの畑でも小豆やささげが不作でしたが、収穫しそびれて霜が来てしまうことも少なくなく、今年は小豆は諦めました。

無量寺の畑

師寮寺であるアメリカの三心寺でも、今年から野菜作りを始めたのだとニュースレターに書かれていました。三心寺では、二ヶ月毎に安泰寺式接心(一日14時間坐禅をする接心)を行なっていて、応量器を使っての三度の食事も頂きます。その食事に使用する野菜を育てるのだとのこと。
エンドウ豆、大根、人参、レタス、ジャガイモ、キュウリやトマトと、こことほとんど同じものを育てています。境内の刈り取った草を、マルチや優れた窒素源として使用されます。 6月の接心では、いくつかの作物が収穫に間に合うよう。近い日に、接心のために三心寺へ行きたいという思いが強くなりました。

三心寺の畑


4月下旬、仁科桜の花びらが散り始める頃から、毎日の掃き掃除が日課となります。同じことを繰り返しているようですが、境内に落ちるものは毎日少しずつ変わります。桜だけでも、花びらが舞い終わると萼 (がく)が落ち、しばらくすると実の殻が大量に落ちます。イカル(鳥)がまだ青い実の果肉をついばみ、さらに種を砕いて中の種子も食べ、固い殻だけを落とすのです。またしばらくすると熟した赤黒い実が落ちてきます。他にも、4月には柳やどんぐりの花が落ち、5月下旬にもなると白雲木や朴の花が落ちます。高いところで咲く花は、落ちて初めて咲いていたことに気が付くのです。
掃き掃除をしていて思い出すのは、沖縄の御嶽(うたき)のこと。木々に覆われている拝所(うがんじゅ)には、暑さ故に、秋だけでなく一年中落ち葉があります。でも、拝所を守る方がいて、毎日のように掃除をするのです。旅先で、お手伝いしましょうかと声を掛けても「これは私の仕事だからね」と拝所を守ることに誇りを持っているようでした。
宮古島に住む友人が、島の人に言われた言葉を教えてくれました。「高齢化や人口減少故に、かつてあった祭祀が出来なくなって人々は憂う。けれど拝所だけは綺麗に掃除をしていれば、祭祀は必ず復活をする」と。拝所は神々が暮らす場所。綺麗に保つことがいかに大切か、学ばせて頂きました。
お寺の境内は、全て行うには広すぎてなかなか手が届きませんが、忙しい時は参道だけでも綺麗にするように心掛けています。参道は、神社と同じように仏様が通る道なのです。

人間が感じたこと考えたこと、それがことごとく全て阿頼耶識の中に薫習されていくといういい方をしてまいります。だからお寺をきれいにする、庭を清めておく、ということが、実は意義があるのです。
仏教のお話を聞きに来るんですから仏教の話さえしておけば良いというわけにはいかない。お寺がいかにきれいにされているか、道具がきちっと整理されているか、そういうようなものを見る。そういうものは、仏教とは何も関係ないんです。関係ないけれど、そのことが、仏教を勉強に来た人、あるいは、坐禅をしに来た人に何かの感銘を与えていく。必ず薫習されていく。それは、理屈で覚えた以外のものをちゃんと身につけていくことを意味するわけです。

「唯識の心と禅」P 46 太田久紀 
中山書房仏書林1999・大法輪閣2023新装版


永平寺 山門

私事ですが、5月24日25日に總持寺、5月29日30日に永平寺と、曹洞宗の両本山へ瑞世拝登の儀式のため出掛けました。1月にお師匠様から嗣法をして頂き、この瑞世が終了すると一応は一人前の僧侶として登録をしてして頂くことになります。

両本山ともに、1日目は習儀(ならし・リハーサル)を行い、翌明朝から本番でした。朝3時半に起床し、4時から暁天坐禅と御上壇拝謁、朝課の一部に随喜をし、その後禅師様から請状を拝受し祝茶を頂戴しました。そして仏殿にて祝祷諷経、常陽殿にて高祖大師二祖国師献粥諷経(總持寺では法堂にて瑞世上供諷経)を行い、瑞世の儀式を終えます。道半ばの私には大変勿体無い機会であり、しかしご縁によって僧侶にさせて頂いたことが自らの喜びと感じられる有難い時間でもありました。
両本山共に、きれいに整えられた境内と建物内に心を整えることが出来ました。かつて200人以上いた修行僧は、今では總持寺で約60人、永平寺はそれ以下だそう。それでも毎日回廊や階段を磨くことや外の落ち葉掃きは欠かすことなく行じられてきたおかげで、とても素晴らしい瑞世拝登を迎えることができたのです。

總持寺 百間回廊

永平寺の典座寮は夜中の一時から仕込みを始めることがあったと、かつて永平寺で修行をしていた方に聞いたことがあります。私たちの祝膳も、少なくとも私たちの法要中に大庫院で準備が始まっていたのだろうと思うと、手の込んだ精進料理の感動も一入でした。このように一つの儀式を受けるにも、本当に多くの方にお手伝い頂き、儀式を受けるに相応しい生き方が出来ているのかを省みるばかりでした。そして、ご恩を返していく生き方を一時一時忘れずに行じていきたいと心するばかりです。

永平寺での祝膳

両本山から信州に戻ると、田植えの済んだ田んぼと黄金に耀く麦秋の景色が初夏を知らせてくれました。沖縄九州では梅雨入りが始まり、ここにも雨音が近づいています。この数年のような集中豪雨や土石流被害がないことを祈るばかりです。
雨が降るたびに草が伸びる季節、これからが境内掃除の本番です。

内田地区の麦秋の風景

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