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仏のいえ(2024年7月)

今年、お寺の梅は昨年ほど実りませんでしたが、幸い飛騨高山の友人から青梅を送っていただいて梅肉エキスを作ることができました。これも、住職と副住職が10年以上続けていることで、私達は毎朝スプーン一杯のエキスを頂いています。青梅を割り、種を除いてミキサーにかけ、さらしで果汁だけを搾ります。それを鍋で好みの硬さまで煮詰めていきます。10キロの梅からできるエキスはわずか500グラム、品種や梅の状態、種の大きさなどによって出来上がりの量は変わります。今年はとてもいい青梅を頂いてトロトロのエキスが出来上がりました。一度に煮詰めると焦がしてしまうこともあるので、弱火で30分煮ては冷まして様子を見る、片手間では出来ないので完成まで一週間もかかってしまいました。

飛騨市から届いた青梅

7月に入ると人参と霜降りささげの種を蒔きます。人参は発育に水が欠かせないため梅雨に入る前に種を蒔くことが鉄則、少し遅く蒔いただけでその年は芽が出なかったという年もありました。収穫の済んだ百日大根の畝を耕しなおし、コンポと肥料を土に混ぜ、種を蒔きます。大切なのは、周りの土と馴染ませるように軽く土をかけるだけ。人参は「好光性種子」と呼ばれ、土をかけすぎて光を感じなくなると発芽せず、しかし全く土がないと種が乾燥してしまって発芽せず、となるそう。土の掛け方は、実際に住職がやっている姿を見て学ぶしかありませんでした。
五月にお亡くなりになった70代後半の信者さん。50代半ば、余生は家族のためだけに生きたいと会社を早期退職し、家族のために野菜を作っていらした方でした。家族は頂くばかりで、一緒に畑へ行ったことがなかったそう。「朝早くから夕方までほとんど畑に行っている人でした。まさかこんなに早く亡くなるなんて、、、(畑について)誰にも聞けないし、残された畑に通いながら全くわからないながらも、迷いながら追肥をしたりネットをかけたりして、、、できた野菜を頂いています。手作りというだけで、美味しさが何倍にもなります」と。私も住職と一緒に畑へ行かないと、わからないことがまだまだ沢山あるのです。
野菜は作らなくてもスーパーで購入ができるし、育てることよりも草を取ったり野菜の病気を心配したりと手間もかかります。それでも、作る工程を通して食べてもらいたい家族を思い、またスーパーで売られる農家の大変さを知り、上手くいかない経験を経ることで、収穫できた喜びは幾重にも膨らみます。何よりも採れたては美味しいのです。スーパーで人参を買うことしかしていなかった頃は、人参の種の蒔き方を考えたことがありませんでした。学ぶことは無限大ですね。
自給自足といえども、種も肥料も購入したもの。どうしたらその循環さえも自分で賄うことができるのだろうか、長い目標としてそんなことも考えるのです。最近は東京などの都心でも「エディブルシティ」や「アーバンファーミング」という言葉を耳にするようになりました。庭がない方でも小さなプランターから始められるという農法。自分の身の回りから生活を整えていく素敵な活動だと感じながら、私も学んでいきたいと改めて思い始めています。

「無寒暑」余語翠厳老師

七月に入り、茶席のお軸は「無寒暑」を飾りました。梅雨の最中、どんよりした天気の日もあれば、まだ七月なのに36度を超える猛暑日もありました。テレビでは「観測史上初の猛暑日」「熱中症で搬送された人数」が毎日のように伝えられていました。
「暑い暑い」中にいて、蹲(ツクバイ)の水の音や、ひぐらしの鳴く声が心に涼風を届けてくれます。お道具もガラスのものを使ったり、洗い茶巾といって水を半搾りで運び少しでも涼しさを感じるお点前に変わります。利休7則と呼ばれる中にも「夏は涼しく冬は暖かに」という言葉があり、暑さの中でも涼しさを感じて頂ける工夫が至る所に工夫されているのです。
生徒さんの着物からもその涼しさを頂戴します。浴衣や夏の着物生地で、水色や淡い色で夏ならではの景色が描かれています。その風景も暑さがなければ生まれなかった工夫だと思うと、暑いことも良いものだなぁと思います。
東京などの街に行くと、建物や乗物にはクーラーが配備され、屋外では小型扇風機を持ち歩く姿を多く見かけ、扇子や団扇を見かけることは少なくなりました。私は、修行道場で先輩から頂いた団扇を、今でも枕元に置いて風を仰いで眠ります。岐阜出身の友人が昔、水団扇を紹介してくれたことを愛おしく思い出しました。暑いなぁとクーラーの中で涼むことも夏の一風景ですが、暑さゆえに感じる涼しさを自ら楽しんでゆきたいものです。

水うちわをめぐる旅


今年は、初めて蜂に刺されました。柿の木の下のミズヒキを刈っていると左足の膝にチクチクという感触。一瞬何が起きたのか分からず数秒して「あ、蜂だ」と思いが過ぎりました。すぐに住職へ伝えると、枇杷エキスを口に含み、傷口から毒を吸い出してエキスを吐き出すことを3回ほど、そしてリンデロンを塗って処置をしてくださいました。大きく腫れなかったものの、一週間ほどは痒みが止まらず、蜂の毒の強さを感じました。庭仕事をしていると、蚊はもちろんのこと、虻や蟻、蜘蛛、蜂に蛇と、滅多にないといえども油断のできないこともあります。蜂に刺されて亡くなられた、というお話も数年に一度は耳にするのです。
花が咲けば蝶が舞い、実ができれば鳥がその実を食し、目や耳を楽しませてくれることもある。けれど、ひとたび其れが蜂や蛇に変わると身の毛がよだつ私なのでした。こちらが攻撃しなければ、彼らも攻撃してくることもない。草刈りに夢中になり、できず我らの巣を攻撃することがなければ刺されることもないはずなので、ごめんねごめんね、と言いながら草刈りを続けています。

境内の蓮池


七月もあっという間に過ぎてしまいました。ひぐらしから油蝉の鳴き声に代わり、蕎麦畑も白い花から茶色い実へ、田んぼも緑一面に景色が変わりました。信州の特産の一つは味噌、その原料になる大豆も、今、青々としています。これからお施餓鬼法要、棚経、そしてお寺の禅の集いと行事が続きます。水分を十分に摂りながら、お互いに夏を楽しみましょう。

ある日の夕焼け

いつも心温まるお気持ちをありがとうございます。 頂戴しましたサポートは真実に仏法のために使わせていただきます。引き続きご支援のほど宜しくお願い致します。