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北朝鮮に興味を持った話

 2018年に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へ渡航している。
 僕が北朝鮮に興味を持ったのは2002年。FIFAワールドカップ日韓共同開催の年でもあり、今思えばメディアで朝鮮半島のニュースに触れる機会が特に多い年だったと思う。
 北の話題で言えば、小泉首相が日本の首相として初めて北朝鮮へ行った年でもあり、日朝首脳会談で金正日と硬い表情で握手をする姿をどのチャンネルでも流していた記憶がある。そして、拉致被害者5名が帰国した年でもある。

 当時、僕は小学校4年生だった。僕は同級生4人と何故か「新聞係」をやることになった。なぜ新聞係をやったのかは不明だが、朝日こども新聞を読んで抜粋して、それを手書きで書いて廊下の壁に貼るのである。たまに、校内のネタの"取材"や、友人に"寄稿"してもらったこともあったかもしれない。
 この新聞係は僕たち作り手側の完全なる自己満であり、スポーツが出来るわけでもない小4のパッとしない男たちが作る壁新聞などに興味を持つ者がいるはずもないわけだが、唯一の読者である高岩くんに迎合して記事を書いていたような気がする。

 高岩くんはいわゆる「おぼっちゃま」で、中学受験のために時事ネタなどに関心を持つ頭の良い奴だった。当時、アメリカ同時多発テロの数年後ということもあり、テレビで流れる「ウサマビン・ラディン」や攻撃ヘリ「アパッチ」、北朝鮮の核開発による「テポドン」などのキーワードをネタにしてケラケラ笑う物騒かつ下世話なガキどもであった。そんな時勢の中で、北朝鮮の軍事パレードや朝鮮中央放送の李春姫アナウンサーによる独特な言い回しに興味を持ちはじめた。

 同年、社会の授業で、一つの国を取り上げその国について調べて、パンフレットにまとめる課題が出された。乗り物好きな僕は地理が得意だったし、こういう課題は好きな方だったので、授業で先生から課題提示された時から、何となくアウトプットのイメージを膨らませていたと思う。そして、どの国にするか…友達と被るのもなぁ…かといって海外に行ったことも無かったし…「そうだ、北朝鮮にしよう!」

 当時はまだインターネットもダイヤルアップ接続だったのではないか。うちは父親がIT企業だったのでPCの導入は今考えれば相当早かったのだが、やはり調べ物は図書館が基本の時代。図書館くらいなら一人で行って調べることもできたが、るるぶのような旅行本はやはり親に相談して買ってもらう他ないのだ。そこで母親に課題の内容と北朝鮮の本が欲しいから買ってと言ったのだ。

 すると、母親から猛反対されたのだ。「そんな国を調べるなんてあんたはおかしい」と言わんばかりの激怒で、まさに李春姫アナウンサーが日米を批判する物言いかのようであった。その後、ブツブツと文句を言われつつも、戸塚の有隣堂や上大岡の八重洲ブックセンター行ったものの、旅行ガイドは愚か、北朝鮮の基本情報を掲載したような一般書などあるはずも無かった。

 結局、北朝鮮を取り上げることは諦め、僕はシンガポールを対象とした。これは叔父が海運会社勤務のため、従姉妹家族は当時シンガポールに在住していたからである。シンガポールであれば旅行ガイドも複数出版されているし、従姉妹からの情報も聞けるので、調査もしやすく、結局、無難な感じでそこそこのクオリティの課題としてまとまったのだと思う。その辺りの記憶が無いということは、そうなのだろう。

 なお、僕は未だにシンガポールを訪問出来ていない。今となってはその課題も手元にはなく、きっと灰となって南本牧の埋め立てに貢献したと思うが、小学校4年生の課題を手にシンガポールの街を歩いてみたいものであった。ちなみに、ご存知の通り、シンガポールも事実上の独裁政治であり、「明るい北朝鮮」とも呼ばれていることは、なんとも皮肉な話である。

 結局、北朝鮮について調べることが出来ずに終わった僕は、なんとなく悶々とした思いを抱き続けることになる。中学校に入る頃には自由にインターネットも使えるようになり、渡航経験者のブログや北朝鮮専門旅行社である中外旅行社のウェブサイトを見たりと、更なる興味が尽きなくなる。
 そして、大学に入学した2012年、僕が北朝鮮へ渡航するに至る最大の出会いが訪れる。

 その話は、実際の渡航の話と合わせてまた気が向いたら続きを綴ることにする。

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