見出し画像

「聴かずぎらいのための吹奏楽入門」を切っ掛けに考えた幾つかの物事について

「聴かずぎらいのための吹奏楽入門」(漆畑奈月、小室敬幸)を読了。吹奏楽というガラパゴス化した世界を外の聴衆へと啓く、といった意気込みのようなのだが、終始、ガラパゴスの論理と言葉とでつづられた対談、というのが正直なところ。なぜ、ここまで吹奏楽コンクールを軸に展開しなくてはならないのか。

日本の吹奏楽界がコンクール(全日本吹奏楽コンクール)を軸に回っていることは論を俟たない。子供(≒未成年、くらいのつもりだが)というものは社会的な尺度をもたず、それゆえに、よほど老成でもしていない限り自分を客観的に見定める方法を知らない(「中二病」なんて言葉が生まれるゆえだ)。よって、自分を褒めることも叱ることもできない彼らは、人からの評価を何より欲するもので、実際、大人が思う以上に競争好きだ。それゆえに、吹奏楽の場合、コンクールで審査員という権威に、金賞・銀賞といった賞を以って承認してもらいたいと思うのだろう。加えて、コンクールで好成績を収めるということが、推薦入学のような形で進学に役立つという、些か生臭い事情もあるに違いない。その結果加熱し、吹奏楽の演奏会では、コンクール絡みの演奏会は満席、それ以外のものは閑古鳥が鳴く、とまではいわないが集客にかなり苦労する、というのは良くある状景(営業妨害になるだろうから具体名は挙げないが、曲目、演奏ともに充実した内容のコンサートに、驚くほど人が入っていなかったのを目の当たりにしたことがある)。こうした事情ゆえに、コンクールを軸にしなければ、そもそも本を手に取ってもらえない、という実情があるのかもしれない。それでも、吹奏楽をただ聴いて楽しむ「聴き専」のためには、そこを相対化する視点こそが必要なのではないか?

コンクールを軸に吹奏楽作品を語るのが問題なのは、吹奏楽コンクールで人気の楽曲の人気とは、「演奏が評価される」という極めて特殊な用途を想定しての人気に過ぎず、聴いて良い/面白い曲との間には、不可避的に齟齬が生じるということだ(現代音楽の演奏会でも、演奏者が面白がって演奏する作品が、必ずしも聴き手に響かない、という例が多々あり、これらについては、日本の現代音楽演奏事情などを絡めつつ、改めて触れていく必要もあるのではないか、と思う)。

参考例として、コンクール中のコンクール、ショパン国際ピアノコンクールを例に挙げよう。良く知られるように、ショパンコンクールは予選からファイナルまで、ショパンという作曲家ただ一人の曲のみを弾くという、有名だがかなり特殊な体裁のコンクールである。よって、ファイナリストはショパンの2つの協奏曲のうち何れかを弾かなくてはいけない。実際、ショパン・コンクール18回の歴史において、第2番を弾いて優勝したのはわずか2人(第3回のヤコフ・サーク、第10回のダン・タイ・ソン)のみ。優勝者が出なかった年が2回あったので、14人は1番を弾いて優勝している(2021年の第18回で入賞した反田恭平、小林愛実も第1番)。ただ、これをもって、2番は1番に比べて取るに足らない作品と考えるのが間違っているのは、誰にでもわかることだろう。

加えて吹奏楽コンクールには、課題曲・自由曲を合わせて12分以内で演奏するという縛りがある。それゆえに、自由曲に割ける時間は6分から7分半ほど。田村文生が6分半かかる課題曲を書いた1994年(この年は田村の《饗応夫人》を筆頭にすべての課題曲が長く、どの団体も自由曲の選定に苦労しただろう)は、自由曲に割ける時間は5分ほどだった。コンクールでは、演奏がいかに「映える」か、という視点で曲が選ばれるものだし、それは「聴き専」にとっての音楽の楽しみと殆ど関わらない。加えて、演奏時間6、7分ほど、という時間の制限もあるため、あまりに長い作品はコンクールという文脈ではそもそも話題になりにくい(組曲や交響曲の一部を演奏したり、あるいは長時間の楽曲をカットして演奏時間に収める、ということがしばしば行われるが、著作権者の意向でカットが認められない楽曲もあることに注意)。よって、コンクールを軸に楽曲を紹介していくというのは、二重の歪みを生じさせ、注意が必要となる。

また、コンクールでの楽曲の人気は、当然、演奏団体のレベルに大きく相関する。特に、洋楽器の演奏が第二次大戦以後に大衆化した日本の場合、その飛躍は著しい。1961年にフランスの名門:ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団が来日した際、杉並公会堂でフローラン・シュミットの《ディオニソスの祭》(1913)を録音している。これに立ち会った関係者が、想像を絶する難曲ぶりに、唖然とするうちに演奏が終わった、と80年代中頃のバンドジャーナル誌(音楽之友社)で回想していたことを思い出す。その難曲も、80年代の末には、中学生(あくまでトップレベルの、であるが)が演奏する楽曲となった。《ディオニソスの祭》のみならず、シェーンベルクの《主題と変奏》が1943年、ヒンデミットの《交響曲変ロ調》が1951年、パーシケッティの《交響曲第6番》が1956年に作曲されているが、1960年代の日本の吹奏楽コンクールに、こうした吹奏楽の古典的な名曲を広く受け入れる実力が果たしてあっただろうか?(少し調べてみたら、1962年にウィリアム・シューマンの《チェスター序曲》(1956:同年作曲の管弦楽作品《ニュー・イングランド三部作》の三曲目を、作曲者自らが拡大・編曲)を関西学院大学が演奏し、全国大会で1位(当時は順位制であった)を受賞している。この《チェスター》、今ではそこそこの中学生でも手が出せる楽曲である)。よって、吹奏楽の古典的楽曲として、フレデリック・フェネルらの音盤を通じて親しまれてもいたこれらの楽曲は、コンクールの際立った人気曲になることもなかった。こうした受け手=演奏する側の態勢の変化は、ガラパゴスの外からは見通せない事情であり、「コンクールの名曲」という演奏する側の受容史に、聴き手が安易に寄り添えない理由がここにある。

細部にも気になる点はあるが一つだけ例を挙げる。まず芸大作曲科出身の作曲家を、「芸大アカデミズム」という枠組みに押し込むのがなんだか。この粗雑さは、(これは本書に限らず、こういうことを書きたがる書き手は本当に良くあって、日々問題だと思っているのだが)師事歴から安易に作曲家を〇〇の系列、と位置付ける点にも見受けられる。たとえば、ヒンデミット→下総皖一→兼田敏、ヒンデミット→下総皖一→松本民之助→坂本龍一、という師弟の繋がりは確かにあるので、兼田敏も坂本龍一も、ヒンデミットの系列に位置付けられると強弁できないこともない。ただ、師匠の芸や名前を受け継ぐ落語のような芸能とは異なり、音楽理論とは極めて抽象的なもの。ゆえに、その理論を誰に学んだか、ということが、その作曲家の創作に本質的に影響するか、といえば、必ずしもそうではない(情報の限られていた第二次大戦直後/あるいは以前の日本、などでは、ある楽派、たとえば伊福部昭門下などに連なることが、その楽派を支える情報に独占的にアクセスすることに繋がり、少々事情が違うが、世代が進むごとに、そうした系列付けは意味をなさなくなる)。保科洋と三枝成彰(成章)と近藤譲は、ともに長谷川良夫という師をもつが、三人の作風にどれだけの共通点があるというのだろう?坂本龍一について、学生時代に傾倒したドビュッシーを筆頭としたフランス音楽の影響が重要なように、兼田敏については、シェーンベルクの熱烈な信奉者だったという側面(兼田敏の弟子でもある作曲家:成本理香の論文に詳しい)が、ヒンデミットの孫弟子であることよりはるかに重要だろう。

また、木下牧子のきの字もないことは驚いた。吹奏楽コンクール課題曲2作品を含む5作の吹奏楽曲を書き、合唱での人気作曲家である木下は、学校教育における二大音楽系部活:吹奏楽部と合唱部を架橋し、ガラパゴスを外へ開く可能性を持つ存在だろう。近年、オーケストラ・プロジェクトのような場で、自腹で管弦楽作品を作曲し新機軸を模索し、個展を開いてもいる。吹奏楽界は、もう少し木下牧子を大事にした方がいい。

そもそも浦田健次郎(津田健次郎ではない)の扱いもどうかと思う。浦田は、もともとトロンボーン専攻から作曲科に転じた作曲家だし、1974年から1978年にかけて、New Sounds in Brassの編曲も行っている。1979年の課題曲《プレリュード》は、コンテンポラリーな語法を初めて課題曲に持ち込んだ作品ではなかったか。その弟子の木下牧子が1982年の《序奏とアレグロ》で続き、1984年の池上敏の《変容=断章》、1986年の間宮芳生の《吹奏楽のための序曲》があってこその、1988年の三善晃《深層の祭》だった、というのが、同時代をみていた自分の印象なのだが。当時の吹奏楽連盟には、課題曲を通じて、日本の吹奏楽曲の在り方を変革しようという意思が確かにあり、それが極点に達したのが、田村文生が《饗応夫人》を書いた1994年だろう。それにしても、池上も間宮も、雅楽を素材にしているのに、「日本の語法による吹奏楽」に入らないのは、筆者らの分析力の限界を示しているようにも思う。

もう一つ驚いたのは、ユージーン・コーポロンについて一切の言及がなかったこと。21世紀のアメリカで、フレデリック・フェネル的な活躍をしている人材として、筆頭に挙げられられるべき人物だと考えるが、どうか。音盤もかなり多く、ヒンデミットやグレインジャー、フローラン・シュミットといった、主だった吹奏楽曲を録音するのみならず、カレル・フサ、パーシケッティ、シュワントナー、リゲティにも師事したマイケル・ドアティらの作品集を作り、前衛ロックの巨匠フランク・ザッパの二作品まで音盤化している。定番の名曲から、最新のレパートリーまで、厳選したうえで紹介し、定期的に音盤もリリースする指揮者は、現在日本に存在しない。

また、若手作曲家がDTMによる作曲の結果として吹奏楽に参入してくることを肯定的に捉えているような文脈があるのだが、これについては、正直危険ではないか、とも思う。これはDTMの魔力とでもいうべきものと深く関わるので、ちょっと詳しく説明してみる。

音楽理論とは、物理理論とは異なり経験則の集積に過ぎない。たとえば、現在、通常の音楽教育を受けている者にとって、オクターブ離れた2音、たとえばドとその上のドは「同じ音」である。だが、オクターブ違う音、周波数比が1対2になる、ということだが、これらを「同じ音」とするいかなる物理的根拠もない。長年受け継がれてきた音楽の在り方、あるいは鍵盤というインターフェースがもつ並進対称性がもたらした、認知上の幻のようなものに過ぎない。

だから、作曲家は音楽理論的に間違った音を書くこともできる。物理理論に反した構造、たとえば強度の足りないビルは崩落し、兵装を載せすぎた戦艦は転覆するなど、人命に関わる大事故を起こす可能性があるが、音楽ではそうではない。よって、未熟かつ適切な指導を受けられないが故のものでも、録音され、あるいはDTMでの打ち込みによって固定化(一定のビートの上に成型され、寸分たがわず同じものを幾らでも再生可能となること)すれば、一応それなりに聴けるものになる(打ち込みでなくとも、デタラメに2秒間くらいピアノを弾いて、それを録音しテープループすると、なんだか音楽的に聴こえたりもするので、一度やってみて欲しい)。問題は、これを何度も聴いているうちに「慣れ親しんで」、「これはこれで良いじゃない」と思ってしまえること。美意識が曲に反映するのでなく、曲が美意識を刷り込んでしまう例があるのだ。

テクノのような、DTMを出力した結果をそのままプレゼンテーションする音楽なら、その結果を批評/批判され、あるいは淘汰される仕組みをもつわけだから、DTM一般を否定しているわけではないのは注意いただきたい。問題は、こうした方便としてのDTMの使用が、楽曲の制作や選考過程(現在、吹奏楽コンクール課題曲の公募では、打ち込み音源の提出が義務付けられていて、さらに問題なのは、課題曲の選定に関わるものがプロの作曲家のみではない、ということだ)に介入していること。ここでみられる逸脱が、ムソルグスキーやアイヴズのような天才性に基づいているなら意味もあろうが、スタージョンが指摘したように、物事の99%はゴミである。課題曲を繰り返し演奏することで形成される美意識など、結局はその年限りのものになるので、妙な課題曲を中高生に与えるということは、将来的にも世界的にも全く通用しない美意識を刷り込むという、反教育的な行いであろうと思う。

そもそも、教育、なわけだろうに、学校吹奏楽って。それに吹奏楽連盟の理事って、大抵は学校の先生でしょ?だから、妙な曲を課題曲にするのって、国語の教科書の文章をそこらへんのまとめサイトから拾ってくるのとあまり変わらない、反教育的な所業だと認識した方がいい。吹奏楽コンクール課題曲の質を向上させるために、打ち込み音源の提出をやめさせて、二台ピアノへのリダクションを書かせ、それを初見演奏して一次選考するようにすれば、まだ、本当に書ける人間とそうでない人間の区別がつくと思うのだが。

さて、結びにこの作品を聴いてもらいたい。


十年ほど前に、ゴーストライター騒動で世間を騒がせた、佐村河内守(実作は新垣隆)の吹奏楽作品である。ここ20年の吹奏楽の歴史を振り返る上で、さまざまな文脈で、良くも悪くも最重要の作品ではないだろうか。作品としても、新垣隆による、一連の佐村河内ものの中で、最高の作品であろうかと思う。

この作品は、2008年(交響曲《HIROSHIMA》が録音されたのが2011年であるから、それよりも前のことだ)の下谷賞佳作を受賞し、その後、佐村河内は佼成ウインドオーケストラの委嘱も受けた。それはともかく、実際は現代音楽の作曲家である新垣隆がかいたこの作品は、期せずして一つの問題提起を行っていると思う。この書籍では「弦抜きのオーケストラの書法」というものが、やや否定的に言及されるのだが、それは「いわゆる吹奏楽の書法」との間に、そう際立った差異はないのではないか?という疑問。

私が、エクリチュール(書法)の有用性を認めつつも、それを信奉する立場にないことは、日本現代音楽協会が出してる日本の作曲家作品表付録の、沼野雄司氏との対談で語った通りなのだが、いわゆる現代音楽のような、時にアイディアが技術に勝る(たとえば、クセナキスの音楽をエクリチュールの観点から評価するものはいないだろう。それでも、メシアンはクセナキスの音楽を心から高く評価していた、というのは、篠原眞氏から伺った話)創作ではなく、吹奏楽のような独自アイディアは希薄でも、高打率が必要な世界にこそ、エクリチュールは必要なのではないか、と。で、誤解を恐れずにいえば、エクリチュールとは究極、4声体の和声も、対位法も、必要最低限の音で音楽を構成する技術である、と。

つまり、「いかにも吹奏楽的な書法」から「弦抜きのオーケストラの書法」に向かうのにはメチエや修練が必要だが、逆は、簡単に達成され得るのではないか。それならば、「いかにも吹奏楽的な書法」というものを、高く評価している本書の論旨は、実は虚妄なのではないか、と。そのことは、本書で「これを聴け!」とばかりに紹介される最近の「人気のコンクール自由曲」の幾つかが、全く私には響かない作品だったことの理由にもなっているようにも思った。

補遺:8月22日加筆

2015年、芸劇ウインドオーケストラアカデミーというプロジェクトが始動し、その最初の成果披露の場である第1回コンサートが行われ、その指揮を行ったのが井上道義だった。井上は、このコンサートのあと、このような文章を自身のHPで発表している。かなり辛辣な内容であり、これは当時、吹奏楽の関係者の中でも随分話題になった。

実は、このエントリーの文章を書く際に、頭の片隅にあったのが、この井上の文章だ。

会ってみればわかるが、井上道義という人は、論理的というより感覚的な話し方をする人なのだが、その鋭さには常に瞠目せざるを得ない。

どうもこれらの疑問すべて芸術的な観点でなく「やる方のご都合」で成り立ってきたようなのが嫌なのだ。

という部分には、本当に正確に見抜いているとしか言えない。21世紀に入って、そうしたご都合とは無縁のところでレパートリーを模索した試みもあった(たとえば、2回開催された東京佼成ウインドオーケストラによる作曲コンクールがまさにそれだろう。それより前には、ガレリアウインドオーケストラという試みもあった)が、そうした試みは業界の縮小傾向の煽りもあって、継続しなかったことが残念だ。続けば、井上道義の眼鏡に適う作品も生まれたかもしれなかったのだが。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?