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ポストシベリウスとしての湯浅譲二

 「僕らが若いころは、作曲学生がシベリウスが好きなどと言おうものなら、即、反動と見做されたものだよ」

と近藤譲が言う。

しかしながら、昨今、先鋭的な作風で知られる現代音楽の作曲家にも、シベリウスへの傾倒を隠さない作曲家が出てきたことは、注目に値しよう。たとえば、サントリーの国際作曲家委嘱シリーズでは、サーリアホとデュサパンが、自身に影響を与えた先達として、シベリウスの作品を紹介していた。

では、日本の前衛世代はどうだったのか、というと、アカデミズムの作曲家は、シベリウスをそうリスペクトしていた形跡はない。よくよく考えれば、上のサーリアホもデュサパンも1950年代生まれではないか。もっと上の前衛世代がシベリウスをリスペクトするはずは、一見ないようにみえる。しかしながら、1929年生まれの湯浅譲二が、シベリウスに格別の興味を持っているはずだと、前々(それこそほとんど面識がなく、1998年のコンポージアムで一ファンとして握手などしてもらったりなどしていたのだが、そのころの話)より思っていた。その点を確認してみたかった私は、当時、東京音大の大学か大学院で湯浅ゼミに参加していた中橋愛生君(当時は吹奏楽好きの作曲学生であった彼も、今や教授である)に、代わりに訊いてもらったことがあった。

返ってきた答えは、「クラスター音楽の作曲において、音が混濁しないオーケストレーションを目指すなら、あれが一つの解」といったもので、《ホワイトノイズによるイコン》で展開したグラフ的手法を、倍音構造をもつ楽音(楽音同志の干渉に協和・不協和が生じるのは、楽音が倍音構造をもつが故で、ホワイトノイズ、あるいはそこから切り出した素材には、楽音のような倍音構造がないため、重ね合わせの音程関係で響きが極端に変わるということはない)に適用する上で生じる、もろもろの問題を、湯浅はシベリウスを参照しつつ乗り越えて来たことを思わせるものだった。

湯浅譲二は、ポストヴァレーズであると同時に、ポストシベリウスの作曲家でもあるのだ。たとえば、《時の時》から《芭蕉による情景》に至る響きの転換を考えたとき、そこにシベリウスの影を感じるのはそんなに困難なことではない。

私は学生時代トロンボーンを吹いていたこともあり、シベリウスの交響曲でも、有名な2番1番より、自然と7番を愛好することになった。だからそれゆえに、シベリウスを愛好することを反動だと思ったことは一度たりともない。後期のシベリウスは、7番にせよ、《タピオラ》にせよ、スコアを一読すれば「普通ではない」ことは明らかで、ドビュッシーやシェーンベルクとは全く異なった先鋭性をもつことがわかるはず。

ポスト・ヴァレーズの音響作曲家として、湯浅譲二を位置付け、《ホワイトノイズのためのイコン》を聴く。そうした視点は共有されてきたと思うので、今後は、その視点をもちつつ、ポストシベリウスとして湯浅譲二を捉えてみることが重要だろう。ヴァレーズとシベリウス、この全く異なった星座との距離を頼りに湯浅譲二の座標を測り直してみる。そのときこそ、日本の現代音楽演奏は、確実に新たな段階に入れるに違いない。


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