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BUTTER tokyo, 卒業 -入ったきっかけ編-

2023年の4月から、約1年半お世話になっていた「BUTTER tokyo」を卒業しました。

人からしたら当たり前になんてことない事なんですが、当事者の自分からするとやっぱり色んな思いがあるわけで、そんな気持ちを綴っておけたらいいなと思っています。

何回かに分けて投稿する予定ですが、ざっくりとこんなチャプターでお送りしようと思っています( ◠‿◠ )。特に1や2は自分が振り返ることを目的に置いているので、若干分かりづらいこともあるかもしれません。何卒!

目次:
1. BUTTER tokyoに入ったきっかけ (今回はこれ)
2.そこで起こっていたこと
3.縁の深い人たち
4.これからどない?

BUTTER tokyoに入ったきっかけ

ざっくりと人生の流れを紹介すると、名古屋生まれ名古屋育ち、高校時代1人で初海外でスリランカに3週間行き、その後0から中国語を勉強し台湾の大学に入学し、休学挟んで5年後に卒業して2022年9月から東京へ。

元々は、台湾の大学を卒業した後メガベンチャーに新卒入社するが、時間を経るごとに心身への支障が出まくり、徐々に見て見ぬフリできなくなっていた頃にK.O。
そのときはあまり大きな声では言ってなかったけれど、3ヶ月休職した。

会社が悪いとも思わないし、新卒の会社で出会って今も大好きな人たちもいるので、アンチに成り上がったわけではなく、ただただフィットしなかったというだけだと思っている。なので会社の話はこれくらいにしておく。

休職中は、人生で初めて「感情が湧いてこない」という体験をして、それが何より怖かったのを覚えている。食べられない、寝られない、も普通に起こったりはしていて、それはまあそうもなるよなと受け入れていたが、「感情が湧いてこない」は想像していなかった。

それでも、外に出る習慣だけは作っておくために、週に3回以上は本を数冊持ってシーシャ屋さんに行く、ということをしていた。最低限人と関われるし、シーシャは落ち着くし、ある程度長居もできる。

そうして、ある種ルーティーンとしてシーシャ屋さん行こうとしていたある日、家で本を選んでいるとある本が目についた。岡本太郎の「自分の中に毒を持て」という本。確か半年前くらいに家族で本屋さんに行った日、ふとカゴに入れた本だった。その時も数ページは読んでみたが、びっくりするほど頭に入ってこなくて諦めた。だからちゃんと読んだことはなかったけれど、その時はなんとなく目についたので、持って行った。

そして、なぜかその時は信じられないほど頭に入ってきた。「言葉」を受け取ったというよりは、「魂ごと」受け取ったくらいの感じ(大袈裟)。私が受け取ったのは、「人生で困ったら、自分がダメになると思う方へ行け」という、シンプルだけど今までどの先生もどの大人も教えてくれなかったことだった。

当時私の頭の中にはキャリアの方向性として次のような選択肢があった。

  1. 同じ会社の同じ部署に戻る

  2. 同じ会社の違う部署に異動する

  3. コーチングなどの興味関心領域の会社に転職する

ただ、なんとなくどれも先が見えているというか、人によって受け取ることは違うのであくまで私個人の感覚と思ってもらいたいが、「ある程度の精神的な苦労や拘束時間と引き換えにお給料をもらって安泰に生活できる」だろうという未来が見えていた。

そんな時に、岡本太郎の「人生で困ったら、自分がダメになると思う方へ行け」という言葉は、私に第四の選択肢を与えてくれたのだった。
それが、

4.好きなことだけやる

この選択肢は、いちばん震えた。恐れからくる震えもあったし、どんな未来でも作れて何者にでもなれるという期待からくる震えもあった。これを選べば、自分の人生にもう言い訳ができなくなるなと思った。そういう意味で、ダメになると思う道だった。どうなるかは分からなかったけれど、4つ目の選択肢が出てきた瞬間から、もう他の3つは正直見えていなかった。というわけで、迷わず4つ目を選択した。

じゃあ、好きなことって何か。
当時の私は、熱狂的に好きなのはコーチングとシーシャ、あとはたまに美術館、以上。じゃあもうそれでいいか、と思った。

コーチングの話は以前のnoteでもいろいろ書いているのでここでは省くが、シーシャで言うと、ずっといつかシーシャ屋さんを作りたいと思っていた。ただ、なんとなく、まあ30歳くらいでいいか〜という気持ちもあった。それくらいになれば、今よりもっと頼もしい自分になっていて、その自分が達成させてくれそう、と思っていた。

でも今、色々と手放そうとしている自分なら、30歳まで待っている理由もないかもしれない。じゃあやるための動きをするか。そう思って、とりあえず「シーシャ屋さんで働いてみる」、ということ試すことにした。他にも並行していたことはいくつかあるが、メインで時間を割く先はそこに定めた。

自分で決めたのはすぐだったが、親に伝えるのは勇気がいる話だった。どう伝えようか、なんと思われるか、色々考え出すと止まらなかったが、自分の人生のコマも早く進めたかったし、ある日に親に会社を辞めてコーチングとシーシャでとりあえずは生きていくことを伝えた。そして不思議なことに、その日の夜に「BUTTER tokyo」のスタッフ募集のLINEが飛んで来た。

「BUTTER tokyo」というお店は、実は新卒で会社員をしていた頃によく通っていた場所だった。お客さんだった頃の私にとっては「大事な人を連れてくる場所」という感覚だった。渋谷の道玄坂を息切れしながら登った先に辿り着く、少し遠くて意味のある場所。毎回、大事な友人を連れて2人で来て、面と向かってゆっくり話す、というのが私の好きな過ごし方だった。

家からもそれなりに近かったし、東京で一番好きでよく通っていたシーシャ屋さんだったと思う。だから募集の知らせを見た時は「あ、呼ばれてる」と思った。

そんなこんなで店長のなおき(今や呼び捨てという生意気さ)やオーナーの大輝さんと話して、ジョインさせてもらうことに。

次回、BUTTER tokyoで起こっていたこと編。
気長にお待ちください〜〜


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