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#116 「おじさん」について考える

皆さんこんばんは!
最近また「おじさん」の定義について考えている、ジセおじを目指すGAMIです!笑

今日は「おじさん」とは一体全体何者なのか?その「おじさん」という4文字に籠められた言葉の意味を色々と思考していきたいと思います!

「おじさん」とは一体全体何者なのか?

本来なら頼れる人という意味合いで昔はおじさんと呼ばれていたはずなのに、今はどちらかというと世間的にはネガティブなイメージが先行しているように思えます。

僕の中では一言でいうと、、、
色々と諦めてしまっている人=おじさんのイメージ

が強いのですが、一般的な意見としてはどうなのかなぁって言うのが知りたくてChatGPTと久しぶりに少し対話して、おじさんがなぜネガティブなイメージを持たれているのかを聞いてみました。

<ChatGPT>
「おじさん」に対する悪いイメージは、一部の人々が中年から高年齢層の男性を保守的で古い考え方を持つ人として見る傾向があるためです。
また、時には過度な干渉やうるさいといった行動が、他の人々にとって不快な場合があります。これらの要因が組み合わさり、一部の人々が「おじさん」に否定的なイメージを持つことがあります。

他にも根掘り葉掘り詳しく聞いてみました。笑

<ChatGPT>
おじさんにネガティブなイメージを持つ理由として考えられるのは以下の通りです。

1・不適切な言動や行動
2.年齢差による価値観の違い
3.パワー・ダイナミクス
4.メディアや社会の影響
5.個々の経験や感情
6.セクシャルハラスメントや性差別
7.社会的機体への反発
8.外見や服装からの印象
9.カルチャーギャップ
10.プライドや優越感
11.社会的ステータスや権力の濫用
12.文化や社会の変化に対する適応不足
・・・
・・・

と数えられない程、沢山出てきましたね・・・笑

正直、ありきたりな答えor無難な答えと言ったところでしょうか・・・
なんかもっと言葉にすると難しいものが根底にあるような気がして、noteの記事を物色してみました。

そしたら僕が非常に共感できる内容の記事を書いている方がいらっしゃったので、記事紹介と共感した部分について書いていきたいと思います!

徹底解説!!「うざいおじさんの種類とそうなってしまった経緯」についての考察

落合 諒さんの記事なんですが、大人は「加減ができる人」
そして「おじさん」は「加減をあきらめてしまった人」
という部分に僕の冒頭で書いた「色々とあきらめてしまっている人」が非常にリンクしました。

端的にまとめると、大人とは「加減ができる人」のことだと思うのだけど「加減」って取り組んでいることの中での押し引きのことだから、対象との駆け引きに結構神経を使う。考えることに疲れた人達が「もう減オンリーで!!」「取り組まなくていいや!」となってしまい、上記で挙げたような「おじさん」が誕生してしまうのである。

文章内引用

文章内で「おじさん自虐」というのもありますが、それにも凄く共感しました。
自分の美意識(笑いの取り方という意味でも)に対して白旗を振っている様を見せ、他人に喜んでもらうことのことを「おじさん自虐」の定義だと思うのですが、すごくわかりやすい例があげられていて、、、
↓↓↓

形式上尊敬しなければいけない人(=死にたくなる程つまらないことを言っても笑いが取れてしまう人)が無責任に発表する「個人的に諦めたこと」を言われる後輩の気持ちを考えて欲しい。自らの首元にナイフを突き付けている上司に「これで笑わないと死にます」と脅されているようなものだ。
下ネタを異性に言うおっさん(死んだ方がいい(社会的にも実生活でも))とかもそれに近いものがあって、例え彼女達が上手に下品なやり取りをかわしたとしても、それはこれまで積み上げてきた美意識(男でも同じ)を無責任にへし折っていることに変わりはない。

文章内引用

なるほどなぁ・・・と思いました。

確かにある程度の地位や権威性のある立場にいる人、生物学的に強い人が、無責任に個人的に諦めたことを発言する姿って、見ていてとても嫌になりますよね・・・
これが恐らく若者達が「おじさん」に持つ典型的なイメージの1つなんだろうなぁと改めて考えさせられました!

もう一つ文章内で面白かったのが『否定の放棄』という部分で、

・「否定の放棄」
これは年齢問わずみんなに思うことなんだけど、バラエティー番組とかでも「偏見」「妬み・嫉妬」みたいな視点が5~6年前までかなり流行っていた。
「イケてない」「ネガティブな感情」こそおもしろい的な。が数年前から目まぐるしいスピードでその空気感が一転して「否定しない」「傷つけない」が主流となっていった気がする。
その流れに「形」から入った人達がどうなったかというと「NOを放棄する」という極端な思考を持ってしまったのである。「加減」を辞めたのである。
発言するかどうかは別として「自分はなにを嫌だと感じるのか」というのは「なにが好きか」ということと同じくらい重要なので、そこを見失ってはいけないと思う。

文章内引用

これが最近の流れなのかなとは思いますが、要は自分を持たないことで「おじさん」感を消そうとする人。
凄くこれにも共感ができて、「おじさん」というネガティブな過去イメージから最近のおじさん像はこちらにシフトしているように僕も思います。

Noを放棄することで「加減」を諦めている

自分が何が好きで、何が嫌か、言わない。思っていても口には出さない。他人を否定しない。そうすることで自分は小うるさくない、「おじさん」ぽくはならないと思っている人がいると思いますが、それもある意味、次世代のネガティブおじさんなんだと思います。

個人的に諦めたことを無責任に発言して自虐で笑いをとる=おじさん
Noを放棄し、事なかれ主義をする=次世代のネガティブおじさん

どちらも僕が思う「色々と諦めてしまっている」にしっくりと来る内容だったなぁと思います。

ぼくの考えるおじさんの定義。

古賀史健さんの記事では、おじさんの定義を結論から言いますと、、、

ぼくにとってのおじさんとは誰かの「真剣」を茶化す人であり、つまりは「真剣」をさぼっている人であり、おそらく二度と「真剣」を手にできない人の総称である。

文章内引用

つまり、、、

「真剣」を諦めた人=おじさん

という形で僕の思う「おじさん像」とリンクしました。

どういうことかと言うと、おじさん性がたち現れるのは、若くてまっすぐな人と向き合った時におじさんはおじさんとしての性を表すということで、
例えば、新卒で会社に入社したとして、若者の持っている武器って「真剣さ」だったり「若さ」だったりで、実際に会社の即戦力として働ける人っていうのは数多くはないとは思います。

ただ、その唯一の武器とも言える「真剣さ」を「おじさん」と呼ばれる会社の上司達が自分を守るために「真剣さ」を否定するんですよね。

そして若い人の「真剣」に触れたおじさんは、それを茶化す。せせら笑ったり、くだらない冗談を返したり、みなまで聞かず否定したり、さまざまなる手段で茶化す。突きつけられた「真剣」に目をつぶることで、自分の身を守ろうとする。

自分が「真剣」をさぼっているからだ。もう長らく「真剣」からご無沙汰しているせいで、誰かの「真剣」を受け止めることができないのだ。茶化すくらいしか、身の守りようがないのである。

文章内引用

そして「真剣さ」を茶化された若者の傷は大きく、ヘタすればそこから「真剣さ」を失い「真剣になる」ことを諦める選択をしていくのかもしれない。

そして彼らも「おじさん」化していくみたいなお話ですが、、、

これは読んでいて怖いなぁと思いました。

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【まとめ】

僕にとって「おじさん」とは一体何者なのか?と問われた時に最初に思い浮かんだのが冒頭に書いた

色々と諦めてしまっている人


でしたが、この2つのnoteの記事を見て、深まった気がします。

「加減」を諦める
「真剣」を諦める

どちらもとても共感できましたし、ChatGPTの答えは、AIが考える一般な答えとして納得はできました。

僕も一時期、、、

『もうおじさんだからなぁ』とか言葉で使っていたので、この言葉、個人的な諦めが入っていて、ネガティブな「おじさん」って感じむんむんなので、今後使わないように気を付けたいなぁと思います。

おじさんだから無理じゃなくて、おじさんでも頑張るの方が『可愛らしい』なぁなんて思えたら、ネガティブなおじさん像も、少しずつポジティブなおじさん像になっていくのかなと考えます!

次世代のイケおじを目指す身として、いずれネガティブなおじさん像を崩していけるように頑張っていきますよー!!





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