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初めてのハワイのマラソン:マウイ・マラソン(2006)

ハワイ諸島には知られているところで8つのマラソン大会があった(今では開催されていない大会もあるし、幻の大会、Maui Paradise Marathonもあった。)。それらの全てのマラソン大会を走ったが、いずれも素晴らしい大会ばかりだ。島に個性があるようにマラソン大会にも個性がある。オアフ島とは異なる存在感を持つマウイ島。ホノルルマラソンはいつかは走ると思っていた。オアフ島もいつでも行ける。それに沖縄もそうだが、本島よりも離島好きである。初めてのハワイ諸島のマラソンは、オアフ島ではなく離島のマウイ島にしたのは単純な理由だ。何せハワイ諸島のマラソンを一度も走ったことは無いのだから。何もわからない。メジャーじゃないところも自分好みだったか。記憶に間違いが無ければ、以前資金の問題で開催が出来ない期間があったとのこと。それを日本のコメディアンの上岡龍太郎さんが援助して再開したとのこと。氏もマラソンを走っていた縁もあったそう。
そんな感じで何となくマウイマラソンって良さそうと思ったんだな。

ハワイの離島の旅はカウアイ島は経験していたが、マウイ島は初めてだった。

2006年10月。(現在のマウイマラソンはコロナ禍の影響から4月開催に変更されています。)

初マウイで初ハワイマラソン。日差しがまぶしくて暑かったのは言うまでもない。
マウイ島での移動はレンタカーがメインだが、車で感じる距離感と走ってのそれとは全然違う。
ホエーラーズ•ビレッジのあるカアナパリのゴールのなんと遠く感じたことか。
ゴール手前のラハイナからカアナパリなんて車だとすぐだが、走ってラハイナからカアナパリはそこそこある。気持ちの問題だと思うが。
ラハイナに到達した時点で達成感を感じてしまってはダメなのだ。
やっとここまで来た、やっと辿り着いたと思ったら、ダメなのだ。
それは、このあとハワイのマラソンを多く走ることになってわかったことでもある。
マラソンはゴールするまで何が起こるかわからないのだ。いや、何事もそうだ。
実際、2019年の3度目のマウイ•マラソンでは、ラハイナのメインストリートを過ぎた辺りで痙攣を起こし七転八倒。やっとのことでサブフォーだったこともある。
マウイ島のマラソンはこのあと、『Maui Oceanfront Marathon』という大会も新設された。『Maui Oceanfront Marathon』のゴールはラハイナである。両方の大会をそれぞれ複数回走って思うことだが、ゴールはラハイナがいい。その理由はもうひとつ。ゴールしたあとにずでんと芝の上かどこかに伸びていられる場所があるということ。これはハワイのマラソンのゴール後においてはとても重要なことなんだ。
余談になるが、2018年に『東京マラソン』を完走後、なんかイマイチの大会だったなと思った。理由はいくつもあるが、完走後のランナーの気持ちなんてこれっぽっちも考えてないなということ。セキュリティが大事なこともわかるが、完走後、とっととはけてくださいみたいな大会は『東京マラソン』くらいである。スタート前とフィニッシュ後もマラソン大会に含まれるのである。

初マウイ完走後。ホエーラーズ・ビレッジで。

マラソンを走っているときに毎回思うこと。「なんで俺はこんなことしているんだろう。。。バカじゃねえのか。」でも、もう止めようとは思わない。故障したらはやく治そう。治しながら走れないかなどを考える。
何はともあれカアナパリに辿り着いた。ハワイの灼熱のマラソンの洗礼を受けたヘタレランナーの写真が上の写真だ。

完走Tシャツのデザインは気に入っているが、素材はコットンだ。ランニング用には使えない。完走Tシャツの素材からも時代というものは感じるものだ。

今でもお気に入りの完走Tシャツ。かなりへたってる。
完走メダルと完走Tシャツ

こうして、僕のハワイ諸島のマラソンを走る旅が始まってしまったのだった。かれこれ16回走ってきたハワイのマラソン(2023年10月時点)。まだまだマラソンのことは何もわかっていない。

2006年マウイでリラックス(48歳)

初マラソン 2005 adidas DUBLIN MARATHON|Jirorhythm (note.com)

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