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初マラソン 2005 adidas DUBLIN MARATHON

初マラソンの朝は冷たい雨だった。ダブリンの10月31日は寒い。雨の準備も出来ていないままスタートを待った。今なら薄いゴミ袋の底に穴をあけて被るとか100円ショップでカッパを買っておけば済む話だ。
こういうことも初マラソンの記憶としてはかえって良いものかもしれない。

歴史あるトリニティ・カレッジがスタートとゴールだ。

とにかくスタートだ。走り出すとすぐに違和感。ロンドンでもリバプールでもマンチェスターでも街中を走って備えていたが、ジムのトレッドミルの上を飛び跳ねているばかりだった練習とは全然違うのだ。外を走るということは。ちょっとした段差を飛ぶだけでも力が入る。どれだけ自分が走れるかなんてまったくわからなかったが、こんなにきついとは。覚えているのは、途中から終盤まで素人の競歩のグループとほぼ同じペースだったということ。競歩の人たちと抜きつ抜かれつ。最後は振り切ったように記憶している。タイムのことはどうでもいい。

エイドステーションのことはまったく印象にない。ただ道中のいろんなところで飴やチョコなどが配られていた。こういうものなのか。感謝を伝える余裕もなかった。

ゴール地点ではすっかり雨もあがっていた。
完走できたときはうれしいというよりホッとした。疲労感がどれほどあったかも覚えていない。
ただ、フィニッシュしたときにボランティアであろう少女が、首に完走メダルをかけて、多分、「おめでとう!」とか「よく頑張りました!」とか言ってくれたのだと思う。それはとてもうれしかった。それから50回以上のマラソンを走ってきて思うのは、そういうシンプルなことがされていないマラソン大会も多いということ。あれは特別なことだったんだ。

ゴール地点。遅いよね。でも、マラソンはタイムじゃないんだよ。


完走Tシャツ。宝物。

完走後、それほどの達成感もなく、ただ、完走TシャツがロンTでかっこよかった。それを着て、ホテルまで歩いて帰っていたら、通りの向こうからおばあちゃんが僕に何か声をかけてくる。誰が勝ったのか聞いているのか?「Winner」という単語が聞こえた。曖昧な対応をした。何のことかわからなかったが、翌朝の新聞の一面を見てわかった。

もうすっかり色あせてしまっている新聞。自室の壁にずっと貼ってある。

「You are Winner!」って言ってくれてたんだ。きっと。

自分は「Winner」だと思ったことはこれまでにも一度もないし、これからもないだろうけど
そういう文化がダブリン、アイルランド、マラソンにはあるということを教えてくれた。

あのおばあちゃんの一言が僕を今日も走らせてくれているのかもしれない。

ありがとう。あのときは何も返せなかったけど。

僕は、あのおばあちゃんのように成れているだろうか。

関連:初めてのマラソンを走るまで
初めてのハワイのマラソン:マウイ・マラソン(2006)|Jirorhythm (note.com)


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