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あのころ、下北沢で【だいこんの花】

「あーちゃん」はすごい顔をした人だった。「ひどく美しい」と「とても変」が同居している。醜い顔してるなと思った次の瞬間にほんのわずか表情筋を動かしただけで、心臓が止まるほど光り輝く。なぜだか目が離せない。ただ自分が何に惹かれているのか誰もうまく説明できない、そんな顔だった。

「あーちゃん」はあだ名だ。本当の名前は忘れてしまったが、どこかの国の言葉で「夜明け」を意味する単語だそうで、フランス人のパパはフランス語で夜明けを意味する「オーブ」とか「オロール」という愛称で彼女を呼ぶ。そして日本人のママは「夜明けより暁の方がかっこいいわー」と、アカツキちゃん→あーちゃん、と呼ぶらしい。フランスからの帰国子女だった彼女は日本では「暁」を名乗るので、みんな「あーちゃん」と呼んでいた。

どこで出会ったのかも思い出せないが、気づくと私は彼女の友達ポジションにいた。たまに電話したり、たまにカフェ行ったり、たまに友達主催の飲み会で遭遇したりした。まあ仲良しと言っても過言ではなかっただろう。共通の知り合いも何人かいて、特に私の親しいM先輩がいる会社に彼女が入社したと知った時は、この美しい人とさらに強いつながりができた気がして、誇らしい気持ちになったものだ。

いつの頃からか、あーちゃんは会社の愚痴が多くなっていた。もともと遅刻がちな人ではあったが「仕事が終わらなくて」とさらに遅れるようになっていた。いつもしんどそうにしていた。そしてある日、シモキタの「だいこんの花」でパスタを食べている時に堰を切ったようにぶちまけ始めたのだ。

会社がつらい。
みんなからいじめられている。
みんな仕事しないで私ばかり押し付けられている。

それはひどい話であった。

「同じ部署の人はサボってばかりで、すぐどこかへ行ってしまう。社内にはちゃんとした教育システムがなく、いろいろな人が中途半端に教えてくるためやり方がまちまちで、どれを信じていいのかまったくわからない。先輩は怒りっぽく、すぐ不機嫌になってしまうので怖い。何も教えてくれないくせに私のことは監視してて、何か間違えるとすっ飛んできて怒られる」

「みんな仕事しないから私が新人なのにやらなきゃいけなくて、それでいつも残業になる。先輩は私が残業してるの見ても何も言わないし、先に帰ってしまう。お疲れ様でしたと言っても無視されたりする」

「容姿のこともいろいろ言ってくるし、私がハーフだからと差別的な発言もされる。すぐ『日本語わかる?』とバカにしてくるし、フランスの話はするなと注意されたこともある」

「私は家ではフランス語だから、とっさに出てくるのはフランス語になっちゃうこともあるんだけど、うっかりフランス語で謝ったら『今バカって言った?』と誤解されてすごく叱られた。あの日は家ですごく泣いた」

なんて奴らだ! 私は憤慨した。
あーちゃんがきれいだから嫉妬してるんだろう。フランス帰りがうらやましいのだろう。なんてちっぽけな人たちなんだ。自分達がサボるために新人をコキつかい、人種差別をし、寄ってたかっていじめて、楽しいか。ヒマなのか。てめえらの血はなに色だー!!

…と、ここでふとM先輩のことを思い出した。
「ねえあーちゃん、まさかM先輩もそうなの?」

「あの人もいじめグループの味方だもん。泉ちゃんがいい人だっていうから期待してたんだけど、全然だったよ。泉ちゃん、人を見る目ないね」

あ、そ、そうなのか。
なんか私まで叱られた感じになって、その日はしんみりと解散した。

それから数日後、あーちゃんが電話してきた。
「ねえ、泉ちゃん、M先輩に言ってくれた?」

え、何?何を?

「私がいじめられてるってこと。Mさん部署が違うから細かいことまで知らないでしょ。だから泉ちゃんから言ってくれないとわからないじゃない」

ご、ごめん…連絡してない…

「何も言ってないの!? あーもう。じゃあいいよ。何のためにこないだ会ったと思ってるのシルブプレ!」

とっさにフランス語が出てくるのは本当だったんだな。最後は早口のフランス語で何やらののしられて電話を切られた(シルブプレはイメージです)。あーちゃんとはそれ以来会ってない。

2年くらいして、友達の結婚式で久しぶりにM先輩と顔を合わせた。当たり障りのない会話からの近況報告、そして私はどうしても胸につかえてたものを吐き出したかった。あーちゃんのことだ。

あーちゃんはとうに退社したという。「やはり、いじめがあったからですよね」と私が聞いた話をすると、M先輩からは思いもかけない返事が返ってきた。

それは恐ろしい話であった。

「彼女はね、たぶんプライドの塊なんだと思う。自分は頭がいい。自分は人より物事を知っている。誰よりも経験豊富でデキる人間だと思っているし、それを隠そうともしない。面接でもデキるアピールがすごかったので受かったみたい。でも実際はすごく理解が遅いわけ。ごく普通の研修を新入社員みんな受けてもらって、みんな理解してることが理解できない。理解してないのに『これは間違ってる』とか言い出してモメる。モメたあげく教え方が悪いという。仕方なく他の人が教える。またモメて人を替える」

「で実務になると研修で教わったことをやらない。注意すると『わかってるけどこっちのやり方の方がいい』と言うことを聞かない。忙しい部署だから社内にはあまり人がいないのが普通なんだけど、彼女がミスをしないように常に誰か残るようになって問題になっていたよ」

「残業? 彼女がちゃんと仕事をクローズさせないからだよ。それに残業って言ってもせいぜい15分くらいよ。だって仕事できない人にそんなたくさんの仕事任せるわけないじゃん。自分だけが仕事してるアピールはすごかったけどね」

「挨拶しても無視するのは、彼女の方。基本的に人のこと全然見てないから。来客にも気づかないし」

「都合悪くなるとすぐフランス語でブツブツ言うんだけど、あの部署フランス語わかる人いっぱいいるんだよね。あまりに理解が遅いから、日本語じゃなくてフランス語で教えた方がいいかもって話が出たくらい。でもそれいうと私がハーフだから差別してるとかまた騒ぎだして。その部署、ハーフの人他にもいるのに」

「あと同僚の子に向かって『その服似合ってない』とか『彼氏の背低いね』とか『変な髪型』とか辛辣なことズバズバ言うから注意したら『フランスではこれくらい当たり前だ』と反論してきて。なのでここは日本だからフランス式はやめるように言ったら泣き出した」

「最後は上司に向かって『私の方が上司より知識があるしデキる』とか言い放って辞めたらしいよ」

違う部署のM先輩がこんなに詳しく知ってるくらい、有名な人だったんだ。全然いじめじゃなかった。ちっぽけでも、人種差別でもなかった。てめえらの血は赤かった。そして私、ほんとに見る目ない。


だいこんの花で食べたのは、ツナおろしスパゲティでした


めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。