Re「modern-timesについて」

 modern-times のベースギター担当、冨川”tommy”功喬です。ワタナベタカヒロの書いた「modern-timesについて」という記事を読みました。今回の記事は主に、バンドがどうありたいのか、どういった方向を向いて活動をしていきたいのか、ということがテーマになっていました。
 そこでワタナベのここ数年のテーマである alternative ということばから、その意味を辞書でひきつつ、自身にとって最もしっくりとくる「慣習的方法をとらない」という訳語を取り上げ、alternative の意味を消化する試みに進みます。彼の「……面白いのはオルタナティブロックが成立した頃には「ロック」というものが一種の慣習化していた。という前提から入っているのかな?」という着眼点には興味深いものがあります。
 そもそも私の考える「ロック」とは音楽のジャンルではなく、思想や態度決定そのものであります。どのような思想や態度決定かというと、既存のフォーマットに当てはめることなく、新しい価値・考えを生み出すことです。地球は亀と象に支えられていて、天体は地球を中心に回っているという既存の考えに対して、地球が動いている、という考えを生み出すこと。人が物事を考え、態度を決定することは常に意識的に行われているという既存の考えに対して、無意識という領域を発見/提示することで新たな考えを生み出すこと。全て「ロック」の営みに他なりません。
そしてことばとしてのロックを流布させた第一人者の一人であるエルヴィスは、白人の音楽とされてきたカントリー、黒人の音楽とされてきたブルーズを融合し、新たな音楽(=価値)を生み出しました。彼らロックな人たちの功績とは、残してくれた思想や音楽の素晴らしさはもちろんのこと、自分が思う「これ、いいでしょ」というものを堂々と示して良いんだ、ということを教えてくれたことにあると思います。この「これ、いいでしょ」を提案していくことこそが、これから私たち modern-times がしていきたいことだとワタナベはこの文章で示したかったのでしょう。この点についてはこれまでと大きな変わりはなく、私も賛成するところです。
またワタナベの言う「……「ロック」というものが一種の慣習化していた。」という指摘は正しいものであります。生み出された新しい価値や考えは、その最初にあっては alternative な(=慣習的方法をとらない)ものとして存在しますが、時とともに慣習的なものになっていきます。今では地動説を唱えても反対する人はいないでしょうし、日常の会話の中にも「無意識」なんて小難しいことばが違和感なく用いられます。エルヴィスのレコードを流そうものなら、クラシックとして聴かれるほどでしょう。―そんなクラシックの中から新しさを見出そうとする奇特な人がいることはここでは取り扱いません。NHKラジオの“山口一郎 Night Fishing Radio”でも聴いて、僕と一緒に“音”故知新して語り合いましょう。―
形骸化した、音楽の一ジャンルという意味合いでしか用いられなくなったロックに対する意味で、 alternative ということばが登場したのはやはり必然であります。alternative がロックに対して示し得る態度は、カッコつきの「ロック」を取り戻すという営みであり、あるいは慣習化したロックを壊すという営みであります。つまり、私自身は「ロック」=alternative であると考えているということです。だからオルタナティブロックなんて聞くと、チゲ鍋を食べながら馬から落馬してしまい、頭が頭痛になり、手術を受けるためにアメリカへ渡米するみたいな印象を受けます。音楽ジャンルを示す意味合いでオルタナティブロックと言っているのは分かりますが、そうであるとすればことばのもつ意味や魂が抜かれてしまっているようにすら感じるのです。もっと、もっと考えてみたいというのが、あるいは私たちの態度決定なのかもしれません。
最初に「オルタナティブな思考からポピュラリーへ」という目標をワタナベから聞かされたときは、ド三流のベンチャー企業みたいで気持ち悪いな、と思ったのが正直なところでした。「ポピュラリー」なんて言い方も「脱字かな?ポピュラリティーって言いたいのかな?」と良心的に解釈していたのですが、その後に続く解説文章の中でもポピュラリーと言い続けるため、人の良心を踏みにじってまで手にしたいそのポピュラリーとやらの正体をいっそ知りたくなってきたぞ、とまでに思うほどに私の憎悪と紙一重の好奇心が募っていくのを感じました。

私たち modern-times は、そもそもワタナベと冨川の宅録ユニットとして産声を上げました。名古屋市内のベッドタウン出身で中学校から同級生の私たちは、閑静な住宅街に住んでおり、小学校区は違ったものの道路一本を挟んで徒歩30秒で行き来できるほどの近さに実家があります。学生の時分にワタナベが導入した Cubase に、ワタナベの部屋で二人、いろいろ考えながら音を重ねていったものです。録音という作業はとても面白く、二人だけの新たな発見がたくさんありました。今思えばこれこそが僕たちのオルタナティブ性の偉大な発見であり、獲得であり、萌芽だったのかもしれません。
後に冨川の同級生の紹介でバンドに入ってくれたドラムの木下くんは、かれこれ10年近くバンドを続けてくれましたが、先日バンドメンバーとしてはお別れをしてしまいました。これからmodern-times は以前の体制に戻ることになります。二人が出会ってからそろそろ15年になります。もうすぐ30歳になります。“Don’t trust anyone over 30”. と言われれば、とうとう信じられない側に入ってしまう僕たちは、これからもオルタナティブ、即ち「ロック」でいられるでしょうか。それとも「トレインスポッティング2」のレントンとシックボーイのように、昔話に花を咲かせることしかできなくなるのでしょうか。期待と、少しの焦りや不安を抱えています。
明日はどっちだ。どうぞよろしくお願いします。

雑記:
 ちなみにワタナベは「自称オルタナティブの人」だそうです。こちらもよろしくどうぞ。

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