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ノ○ウェイの観劇(後)

サウナから出たら、朝よりも日差しが強くなっており、気温はひどく上昇していた。
おまけにサウナと高濃度炭酸泉の影響か、とても代謝が良く、着ていたTシャツはすぐに汗でびしょ濡れになった。

新宿駅まで戻ろう。
そう思って、歩き出した時、ビルに映る自分の全身像をその日初めて確認した。

茶色いシャツに薄い茶色の短パンのズボン。

…おかしくないか?
色と色が重なり合いすぎていやしないか?
あまりにもその組み合わせが滑稽に見えて、急激に恥ずかしくなってきてしまった。
すぐにでも黒いズボンを買って、ごまかしたかった。
色自体はさわやかなのにしつこい印象を受けるコーディネートに我ながら辟易して、恥ずかしく思った。
そうだ。今度、黒い短パンを買おう。

そのように全身が見えるようなガラスのところなどで度々確認をしながら、新宿駅まで歩き、山の手線へ乗り込んだ。
汗が染み込んだシャツをはためかせ、タオルで拭えるところの汗を拭き取った。もちろん山の手線でも座った。僕のこだわりだ。
こだわり。

山の手線が動く。
そうしたら、向かう先の車両の方からフワッとした強い風が吹いてきて、とても涼しくなった。これは嬉しい。
まるで新しい世界に連れ出してくれるようなその風は僕に癒やしと安心感まで与えてくれるようだった。

渋谷駅は複雑だ。
そこかしこで未だに工事をしているようなところがあり、改札の方へ向かうとたくさんの乗り換えとだだっ広く建築された渋谷駅の複雑な構造が広がる。
どこをどう行けば良いのかさえもわからない。地図を見たところで、降りる場所がどこらへんかもわからない。
迷子のようにふらふらと京王線の乗り換えのところまで行き、やっとなんとか土地勘が掴めるところまでやってきた。

そこから向かうのは「焼肉ZENIBA」という焼肉屋だ。
こちらでお昼ごはんを食べようと計画していたのだ。時間は10時30分。
一応、早目にお店の確認をしたかった僕は足早にそこに赴いた。
渋谷駅からは歩いて、10分くらい。
たびたび小休憩なども取りつつ、11時少し前に到着した。
焼肉ZENIBAはビルの10階にあった。
そこに入っているテナントはどれも高級そうな飲食店が並んでおり、少し萎縮してしまう。

しかし、以前、行列ができていないと油断したレストランが店内ですでに受付をしていて、ひどく損をした気分になった経験があった。

なので、僕はまだ開店まで余裕があったが、店内へ入ってみることにした。

ビルの十階へエレベーターで登っていく。
十階に着いて、扉が開くとすぐ目の前が店内であった。まだ誰もいないようだ。

「あの〜…」
と声をかけると元気な女性店員が申し訳無さそうに
「すみません…!開店は11時30分になります…」
と言った。

…当然だ。
11時30分開店のお店が11時に開いているはずなどない。
そうさ。当然だ。

そして、僕も恥ずかしげに店を後にしたが、30分…どうすることもない。
結局、店の周辺をうろついたり、佇んだりするようなことを繰り返して、30分待った。

しかし、すぐには入らないのが流儀だ。
完全に「30分待ってましたよ!」みたいな形できっかり入るのはそれこそ見越されるような期待感など見透かされるようでいけない。

少し、ちょっとの間でも良いので、オープンしてから少し待って、入って、気持ち的には「11時30分になったので、入ってみました〜」くらいな心持ちを持って、入るのが良いのだ。

そうして、店内に入ると先ほどの女性店員が「おまたせいたしました!」と出迎えてくれた。
それに対して、「いえいえ、待ってなどいませんよ。」と言うような余裕さを見せるのが大切なのだ。

これぞ、見栄、というものである。

MIE

そして、僕はこのお店で数量限定であるという、肉トロ雲丹イクラ丼を注文した。

しかも、肉増し、雲丹増し、イクラ増しのご飯大盛りだ。

女性店員は「こちらのメニューは数量限定なので、早目にご来店していただいて正解ですよ!」と丁寧に言ってくれた。

またも「あらあら。そうなんですか。」というように当たり前のように見栄を張る僕。

接客は非常に丁寧であり、サラダやスープについても説明をしてくれる。

焼肉ZENIBAのサラダとスープ

オニオンスープとサラダ。
ドレッシングは手作りのオニオンドレッシングを使っているのだという。

そして、それらを頂いていると、仰々しい蓋をされた器が運ばれる。

ばばん!と登場したのはメインの肉トロ雲丹イクラ丼である。

焼肉ZENIBAの肉トロ雲丹イクラ丼

一目でとんでもなく美味しいと思わせる勢いのある見た目。

早速頂く。
一口目、とろけるようなお肉の食感とタレがかかったご飯を一緒に食べたら、あごが外れるのではないか?と思うくらいに美味かった。

一口、二口、一枚一枚のお肉がもったいなく思える。
イクラと一緒に食べたり、雲丹と一緒に食べたり、はたまた全部一緒に食べたり、女性店員がおすすめのわさびをつけて食べて、じっくりと一枚一枚のお肉を噛みしめるように味わう。
素晴らしい。お肉は食感が確かにありながら、口の中で溶けてしまうのではないか?と思えるくらいに繊細な食感だ。
それにいくらを加えれば、いくらのプチプチとした食感と旨味が加わり、雲丹を一緒に食べれば、雲丹の独特な風味がお肉の食感に混じり合う。
またわさびも肉の甘みを引き立たせ、良い役割を果たす…
これらがご飯と合わない訳が無い。
もともとタレのかかったご飯はもはやオカズなども必要ないのだが、トロ肉と併せて頂くと、これほどの贅沢もない。と感じる。

そんなひとときはもはや一瞬のように感じるくらいにあっという間であり、多くの多幸感がまるで風のように吹き抜けるようなそんな感覚だ。
むしろ先ほどまでどんぶりを貪り食べていたというような記憶も曖昧なくらいにさっぱりとした心持ちであった。

ふと外を見るととんでもなく良い天気で渋谷の街が遠くまで見渡せるように思えた。

焼肉ZENIBA窓際の席にての風景

店を出た。
そして、この日の最大の目的である観劇へと赴くことにした。

「参宮橋、渋谷だよ。」

とある友人が言っていた。
ならば、渋谷で予定を組み立てようと今回、ランチも渋谷にしたのだが、全然渋谷ではなかったのに気がついたのは計画を立てた後だった。

参宮橋の劇場までは歩いて、30数分。
いや、歩くか。
時間はまだ余裕がある。まずはどちらだろう?地図を見る。あちらか…。
…いや、間違えたな。戻るか。いや、暑いな。しかし、とりあえず先ほどの通りに戻ろう。タクシーが通るはずだ。先ほどの通りに戻った。手を挙げる、あれタクシー!タクシー!



タクシーに乗った。
いや、当初の予定通りだ。
そもそも僕に参宮橋は渋谷だ。と言った奴はどこのどいつだ。
だからもともとタクシーに乗る予定だったのだ。そうだ。予定通りなのだ。

参宮橋まではタクシーで10分くらいかかった。結構な距離だ。やはり歩くのは現実的ではない。

そして、少し歩いて、目的の劇場に着いた。
観る演劇は「マッピルマの人々」という演劇だ。

チケットを渡し、席につく。

舞台のセットは本物のお店のようにしっかりと作り込まれたバーカウンターがあり、その中で巻き起こる人間模様の物語がそれだけで想像できるようだった。

開演。僕は食い入るように舞台を見つめた。


「マッピルマの人々」
…スナック「マッピルマ」を舞台にそこのお店の店主家族、バーテンダー、従業員、そして、集まる個性的なお客たちからなる物語…。

中心となるテーマはなく、主に登場人物たちの会話や、夢、思いなどを中心に一つのスナックにある何気ない話が展開されている。

登場する人々は確かに個性的で、なるほど。感心した。
まずは登場人物皆がどう見ても、その人物にしか見えないのは不思議なものである。「演じている」という前提がありながらもその人の持つ「雰囲気」つまりは人物描写に共感性を覚えるのだ。

そして、それらの人々の会話や仕草、または間の一つでさえも空気として伝わる。
楽しい空気から面白い空気、張り詰めた空気から慌ただしい空気。
これらがリアリティを持って会場に伝わる。
もしかしたら、演劇の良さというものはこういうことなのではないのかな?とあまり観劇などしない僕でさえも思った。

まるで現実の延長線上にあるような物語であったのもその一端になるのだろう。
ありそうだなぁ…ということから、その舞台の中にある空気にまるで自分も巻き込まれているようなそのような気持ちさえも抱いた。

楽しいひとときであった。
面白い!というよりかは楽しく演劇を観れたと言う表現が僕にはしっくり来た。
また舞台が舞台だったので、お酒を飲みたくなった。

僕は参宮橋から歩いて、新宿まで歩いて向かい(最寄り駅は結局、新宿だった)自宅の最寄り駅まで戻ってお酒を飲んだ。

すべてを終えた後のビール

非常に美味かった…。
思えば長い一日でクタクタだった。

…こんな一日だった。
目をつむって、僕は回想を終える。
片目から涙が頬を伝ったようだった。

あんなに晴れた空を歩き回った。
サウナへ行った。美味しいご飯を食べた。観劇へ行った。

あんな充実した日々はきっと戻ることはない。


日本に戻るとやはり激しい真夏の太陽と目まぐるしいセミの鳴き声がこだましている。

とても熱い。ムシムシする。
苦しいほどの熱気を感じる。
流れるような大量の汗が吹き出る。

そしたら、突然携帯電話が鳴る。

「帰ってきたの?」
という声が聞こえる。
「うん。今、帰ってきた」
と答える。
「そう、じゃあ、今何処にいるの?」



僕は自分の姿格好やまわりを見渡した。

タオル1枚に…周りには汗だくの男たちが迷惑そうにこちらを見ている。

…突然、わからなくなった。

…僕はいまどこにいるんだろう?

(終)


※こちらのnoteは実話を元にしたフィクションです。どこがフィクションでどこが実話かはご想像にお任せいたします。


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