音故知新 クジラ夜の街

このマガジンにおける、記念すべき最初の、個々のバンドについての話。
もう長い付き合いのバンドも多いなかで、明後日初めてライブに行くこのバンドを選んだ。
その理由は明快で、出会って1週間ほどでの衝撃が素晴らしく、それはもう「このバンドに出会えたから、10年は安泰だな」と思えたからだ。

出会いは去年の暮れ。
いつもライブに一緒に行く人がいて、その人から勧められた。あれよあれよという間に引き込まれていき、ワンマン公演を待つことにした。
すると、2022年6月21日のワンマンが発表され、無事チケットを当てることが出来た。
そのタイミングで、入手できる音源を全て購入し(王女誘拐だけ見落としていたことに後ほど気付く)、聴き込みをはじめた。
この1ヶ月ほど、殆どこのバンドの曲しか聴いていない。ここまでやるのは本当に久しぶりで、高校3年生の頃の藍坊主との出会い以来かもしれない。その藍坊主は、15年ほど経った今も、私の音楽嗜好の中心にいる。クジラ夜の街もそうなるのだろうという、確信めいた思いがある。


ワンマンを2日後に控え、聴き込みに納得がいったかと問われると、首を傾げる。まだまだこのバンドは奥が深い。だから、ここまでの印象と思い出をつらつらと。
初めは、「星に願いを込めて」と「海と歌詞入り瓶」の2作品をひたすらループしていた。その中で、「星に願いを込めて」の雰囲気から、心地よい懐かしさを覚えた。これはなんだ?、と二日ほど自問自答を重ね、郷愁のもとを掘り出した。BUMP OF CHICKENのTHE LIVING DEADだ。誤解を生まぬよう書いておくが、曲自体がフレーズ単位で似て感じるというわけではない。メロディーラインと、リードギターの絡み具合。ギターの音作りから醸し出されるセピア調の煌めき。これらが発する雰囲気が、私が昔狂ったように聴いていた名作とリンクした。ニヤニヤしましたよほんとに。
その話を私にクジラを勧めてくれた人にしたところ、宮崎一晴がKを弾き語っている動画が送られてきた。この瞬間の私の歓びが分かるだろうか?

魂の共鳴という点では、未発表の楽曲だが、「裏終電・敵前逃亡同盟」という曲にも強いものを覚えた。逃げ込める秘密の空間。私もそれを、大隈重信像の地下に作ろうと模索していたことがある。あれはもっとこう、スプラッタな思想ではあったが、社会とやっていくための姿勢に親近感を覚えた。この歳の今の私で出会えたからこそ、良い熱量でのめり込めていると思う。とても良い巡り合わせだ。


自分よりもだいぶ若い表現者であるからか、新鮮な感覚を与えてくれる。
例えば、「ここにいるよ」の"ベランダ越しの〜"の部分のギター、

「王女誘拐」の最後のサビ前のジャーンジャーンジャッジャラッジャーンというフレーズ。

この辺りの音の運びは、私の引き出しには無かったもので、しかもとても良い響きだった。
特に「ここにいるよ」に関しては、最近ギターソロがよう分からん形で話題に登ったじゃないですか。そんな折に、ギターソロを2回もやる曲を聴けたことがまず嬉しかったし、特に2回目!あの、「俺はこれからギターソロを弾くんだ」という入り!たまらんですわ。

歌詞の世界もまた独特だ。多くの曲が、離れてしまった想い人へ歌っているようで、あれは別に個人へあてた思いではないようにも聴こえる。いや、もちろん人に対して歌っているんだろうけど、それは個人というよりも、もっと広い範囲のように感じるというか。社会は個人の集積なので。これについては、己の思想を重ね過ぎかもしれないから、もっと良く読み解いていこうと思う。


願わくば、全部の曲が聴きたい。
今の悩みは、「詠唱〜ラフマジック」の流れは、どこまでがラフマジックの詠唱なのか、という点だ。この答えを自分なりに見つけた時、もっともっと好きになるのだろう。こういうギミックは大好きです。ヨエツアルカイハの73684251に気付いた時の電撃も凄まじかったので。


このバンドは、プロモーションにとても力を入れている。「登りつめてやる」という強い思いを感じる。そして、そのおかげもあって、私も出会うことが出来た。入場規制や即完など、見ていてニヤける単語も多く目にする。どこまでも行ってくれ!

まずは明後日。
私がその時点で、クジラ夜の街の曲から得られたものを、ライブハウスの空間と同化させに行く。
その中で必ずある、新しい発見をもとに、さらに深く楽曲を楽しむ。

やっとその日が来る。楽しみでしょうがない。
はじめまして。よろしくどうぞ!

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