昨日

藍坊主の曲に、バースデイイブという曲がある。


この曲から伝えられた事は、言葉以上に在る想い、この大切さである。

当時まだ、生きる意味や生まれた意味などを思い悩むこと、これを引き摺っていた私は、この曲を聴くことで大層救われた。

間奏とアウトロの部分以外、ベースのパターンが2パターンで構成されており、それでいていざ曲になると空間的な広がりがある。

何か、に想いを馳せること。

この事がとても良く表現されている。

詞の題材は、産まれる前の子に向けた形で書かれているが、産まれた経験しかない私にもすんなりと入って来て、それでいて何度も噛み直しては発見がある深みのある曲と相まって、何度聴いても足りないと思わせてくれる。


この曲は、Lunoというアルバムに収録されている。

このアルバムについて、メンバーが、受け入れられていない様に思えた、という旨の発言をしていた様に記憶している。

個人的に、このアルバムとは生涯を共にするだろうという感覚があったので、衝撃的であった。

しかし同時に、複数回参加したツアーやその後のライブでの様子を思い返すと、確かにそう捉えられても仕方ないのでは、という光景があった事も、また覚えている。

フロアの皆さんのノリ方、単純に動きがないとかそれだけでなく、なんというかリアクションが、他の曲に比べて薄いよなぁと感じていた。とても不思議に思っていたし、今でもそう思っている。

こういう感覚的な部分で好きなアーティストと共鳴するのは嬉しいことである反面、内容が内容だけに少し寂しくもあった。


いつしか、そういった葛藤も含めてライブを楽しめる様になった。これは進化なのか、それとも退化なのだろうか。

藍坊主は、私に、ライブハウスに通うきっかけを与えてくれたバンドだ。


1日でも早く、ライブハウスで再会できる日を、心待ちにしている。

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