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ブッ刺す系ツイートと、刀を磨くことの関連性について。

さて今日は、「ブッ刺さるツイートって何?」というテーマを扱ってみたいと思う。

昨日の夜中に、知り合いの発信者たちがこのテーマについてスペースで話しており、僕も色々と考えてみた。まだ割と新鮮な状態で保持されているから、忘れないうちにアウトプット。


結論から書くと、僕にとってのブッ刺さるツイートとは、

「刺しに行くというよりも、勝手に刺さりにくるようなもの」

多分これだけでは、分からんと思う。笑


日々僕たちは、色々なことを考えては言語化し、それをツイートなどのコンテンツにして己を高めているはず。

もちろん僕だってその1人。


イメージとして、職人が日々剣を作り上げ、最高の1本に仕上がるように磨き続けるのと同じ。自分の世界から滲み出た思考や価値観が、刃となって自分の周辺に現れる。


これはよゐこ濱口のように、自分からモリで刺しに行くものでは無い気がする。



自分の周りにツイートという刀を置いていたら、そこに興味を持った人がやってきて、触れる人が現れる。その一部がより深部にまで届き、ブッ刺さるものになるんじゃないかなと



なので、相手に寄せに行くとかこちらから仕留めにいくみたいなニュアンスではなく、ひたすら自分の思想を吐き出し続けた結果、自然に深く共感した人が周りに集まってましたという感覚の方が近い。




実際に僕も、日々思ったことや感じた疑問点を言語化しているだけ。

その際に、

言われてみれば確かにそうだな
その視点には気づかなかった


というニュアンスが強ければ強いほど、ブッ刺さるものになるんじゃね?って感じ。



どれだけ自分の思想や、オリジナルの視点が内包されているかで、ブッ刺さり度は変わってくるんじゃなかろうか。まぁ別にそういうものを狙っているわけじゃないんやけど。




逆に刺さらないものは、一般論すぎてごく当たり前のこと。


刀で言うとなまくらなもの。(切れ味が悪い)

誰にでも言えるような内容で、「それ、何回も聞いてるで。」という刀を並べていても、刀が負けてしまう。また、文脈がなくても同じようなことが起こり得る。長い間刀を磨き続けていれば、より鋭利な思想ができ上がるけど、1日や2日磨いたところで、切れ味は知れているからね。



ずーっと一貫して同じ刀を磨き続けた人にのみ、他者を圧倒するものができるのではないだろうか。ひたすら地道に磨き上げることが大事やなぁ。

という簡単なアウトプットでした。
ではでは。


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