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毎日が承認欲求のスレイヴ

 なぜ己がこうも承認欲求のスレイヴになっているのかわからない。
 SNS時代だから、と言えば答えにはなるが、それにしては承認欲求が高すぎる気がするのだ。
 という風に文中で思考をぐるぐる回すのも嫌いではないので良いといえば良いのだが、Xでは言えない。言っても何にもならないし、イメージダウンにしかならないからだ。

「今どきの作家はSNSでのイメージ戦略が大事だ」と言われるようになって久しい。久しすぎるほど久しい。
 なのでやはり、後ろ向きなことはXでは言わないようにしている。そうやって自制しなければ延々と後ろ向きかつ暗いツイートを垂れ流してしまうのが私だからだ。

 闇である。

 この世は見ているヒトに不快感を与えない、ということが重要視されている。つまり、「物事の基準を快・不快で捉えて瞬時に判断するのが今の時代だ」と言われて久しい。
 久しい久しい言っているのは長期入院明けだからということで許してほしい。私も久しい古い人間なのだ。

 閑話休題。Xの話だ。
 自制なしの私の後ろ向きかつ暗いツイート群を見たフォロワーがどうするか。
 ……静かにミュートする。おそらくそうなる。だから言わない。こんな承認欲求のスレイヴになっていることもここでしか言わないが、おそらく悟られてはいるのだろう。
 言わずに黙っている、というのは、苦しんでいる自分の姿を他人に見せたくないというプライドからのものでもある。おそらくは、

兎角に人の世は生きにくい。

夏目漱石『草枕』

 ここで今日のブログを終わらせられれば綺麗なのだが、そこから語りたくなるのも私である。

 上の引用元の夏目漱石『草枕』は風景を描写する試みを行った実験小説でもあったようで、画家の青年が温泉宿に長期で泊まっているうちにとある気になる人物が現れて、のような話なのだが、個人的にはストーリー性がうっすらとしていて正直読みにくかった……などと言うと漱石ファンからお叱りを受けるだろうか。

 長期入院中は本を良い友人としていた。久しぶりに長めの紙の本を一定数読んだような気がする。
 しかし私はうるさい音と臭気と集団生活が苦手なのでその本読みもなかなか捗らず、集中力がなくなったなあなどと思っていた。
 冷静に考えるとそんな環境で本を読めていたこと自体が奇跡である。
 ため息。

 で終わると読者の方々にまた暗い気持ちを残してしまう。
 ……今日もまた、何もない良い一日だった。

 おわり。

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