嘘をつきたくないんだろう
結局のところ、私は嘘をつきたくないのだと思う。
幼少期、些細なことで「嘘つき」となじられたことがあった。確か図画工作の時間だったように記憶しているが、細かいことは忘れてしまった。
それはともかくとして、以来、私は嘘をつくのが苦手になった。嘘をつくのは悪いことだと思うようになった。
しかしながら、嘘をつくのは実際は悪いことではない。
何の話かって?
小説の話だ。
創作小説を随分と長くやっていた、と言った。
小説を書くということは嘘を吐き続けるということだ。長く書けば書くほど創作が多くなっていく。
大量の嘘に囲まれて私は逃げ場を失った。おろおろしながら周囲を眺めてみても創作だらけで息ができない。手を伸ばすと狂気があった。
――そうして狂った。
……というようなものが「創作」である。しかしながらこれが本当なのか嘘なのかは私にもわからない。
さて。
人間、嘘を吐かずに生きていくことはおそらくできない。
どこからどこまでを嘘の定義にするか。人による。私は嘘の定義が時と場合によって変わる信頼性の無い生き物だが、そんな私の嘘の定義は「創作」にまで広がるときがあり、今がそれだというだけの話だ。
ブログでは嘘を吐かなくても良いが、創作では嘘を吐き続けなければいけない。
嘘を吐くには労力が要る。案外、エネルギーが足りていないだけかもしれない。
ということを創作大賞のバナーを見て思った。
『きょうのにっき。』
今日は病院でひどく待った。くたびれた。
帰ってから処方薬の説明欄にあったミスを指摘しようと思ったが、どちら側にとっても面倒なことになりそうなのでやめた。
ため息を吐いて、
おわり。
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