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裂け目を閉じようとする力

コロナとともに歩く日常に慣れてきた最近。

自宅で仕事をして仲間と遠隔でコラボレーションする、家族と過ごす時間が増え、遠出をせずに近場で遊ぶ。友人とはオンライン上で会ったり、zoomでの勉強会や対話会で世界中・日本中の人とつながる。感じたことを自分の言葉にして場に投げてみる。関心のある個人、これまで出会わなかったような人とつながる。関心の幅が広がる、広がる。

半年前には想像していなかった日常が目の前に立ち現れています。強制的な力によって私たちはこれまでなんとなく続けていたやり方・あり方から解放されてきているとも言えるでしょう。わかりやすい個人の部分でいくと、私自身も4月にタバコを吸わなくなり、5月にお酒をのまなくなりました。いっぽうで、外を出歩く頻度が減ったので運動もしなくなってしまい、腰痛に悩まされていたりします。。

強い慣性、集団の圧力から解放されるように、これまでの延長線上にない現実に向き合っています。いっぽうで、当然ながら経済的な事情が大きく、生活を以前の状態に戻そう、これまでの延長線上に留まろうという力学も強まってきている印象があります。言うなれば、社会に生まれた「裂け目」を閉じようとする力。

とはいえ、コロナが来る前から環境問題に直面している資本主義の限界やインターネットやテクノロジーの進化によって私たちの生活は大きく変わってきていました。不可逆の変化の流れの中で、私たちは「何か」を守ろうという欲求と、よりよい未来を手に入れたいという願望の狭間にとどまっているともいえるでしょう。どちらも尊いもので、単純に未来だけを選べない気持ちもあります。世代や個人によっても感じ方は全く異なるでしょう。

ただ確かなことは、人間も社会も変わり続けるプロセスの中にいること。裂け目は結局閉じたように見えても、内からのマグマによって結果的に境界が溶け、変容が起きるものなのだと思います。個人レベルで言えば、自分自身が生きている間にどちらをみたいか、どちらにいたいか、ということでしょうか。未来の可能性が広がっている若者は、新しい未来・次の社会にかけて新しい動きをどんどんやればよいと思うし、年配の方々はご自身の環境や今の暮らしを守っていただきつつ、未来を作る動きの邪魔だけはしないでいただきたい。そして自分のような中途半端な年次の人間は、迷うことでしょう。人生100年時代と考えると、実は50歳で折り返し、70歳でもまだ30年の未来があります。

未来に向けて個々がつながり、個人の意識と社会のあり方が進化していく。新しい形を模索する、非常におもしろいタイミングだとわくわくしています。

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