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成長ではない社会のあり方

テレワーク中心の生活をはじめて約2年。便利になった反面、隙間時間がなくなり、意識的に緩む時間を設計したり、無駄なことをやったりしないとどうも感覚的によくないということかわかってきました。忙しいという字は心を亡くした状態たとよく言いますが、私たちは自分の心を守るために自分で工夫していく必要があります。

現代社会において、私たちは時間とお金であらゆるものの価値を計りすぎている、とはホームレス支援のNPO法人抱樸(ほうぼく)の奥田さんがおっしゃっていた言葉です。

特に都市生活において私たちは物を生産するのではなく消費して生きるわけですから、お金がないと生きていけません。そのため、自分の時間を売ってお金を稼いでいます。そうすると、本来は存在するだけで価値があるはずのいのちが、いくら稼いでいるか、お金を持っているかで測られるような状況になってしまいます。お金を持っている人は不労所得でお金をさらに増やし、自分の時間をやりたいことにより集中できます。逆に、お金がない人は益々時間をかけて働くか、一発逆転を狙って甘い話に足を突っ込んでしまうかもしれません。

うまくいかなければ自分が価値のある人間だと思えなくなり、人とのつながりを絶って自分だけの世界にこもったり、自暴自棄になってしまうこともあるでしょう。そんな時に、自分の価値を無条件に受け入れてくれる人の存在がどんなに心強いことか。支えになる人は時間やお金の価値ではなく、その人の存在そのものを何の打算もなく見返りも求めずに受け入れてくれる人だと思います。

自分の正しさを確かめたい。人から認められたい、受け入れられたい、つながっていたい。人間の根源的な欲求はソーシャルメディアの発展で救われている部分もあるし、歪んだ形で増幅されている側面も間違いなくあるでしょう。

資本主義は格差を広げます。一方で、社会主義がうまくいくわけではないのも歴史が証明しています。グローバル資本主義の中に組み込まれている今の状況の中で、どうやって共同体を作り維持し、顔が見えるつながりの社会を紡げるか。

私自身は5年前くらいに訪れたキューバの人々の家族愛や余白を楽しむ暮らしの営みに大変共感したことを思い出します。都市と地方をつなげる仕事をしてきている中で、日本の地域の中にもそういった可能性はたしかにあるとも思います。

分断、分業されすぎた生産、加工、消費のサイクルを再度近づけて、顔が見える関係にすることも重要です。そして、自分のためではなく、共感する、つながっている誰かのためにお金や時間を使うこと。未来や環境のためにプラスになることを優先すること。そしてその大前提として、自分自身を大切にすること。言葉にするとなんだか道徳的で綺麗事に聴こえてしまう、そんな、暮らしを真ん中に置いた生き方を志向しないと、経済成長という自分たちで作りあげた物語に自分たち自身が絡め取られてしまう気がします。

社会的に「上がっている」人が言う浮世離れした脱資本主義でもなく、社会的に立場が弱い人に意思を問うたり競争を煽るやり方でもない選択肢を、私たちはとれるんだと信じたい。際限のない人の欲求によって人自身が身を滅ぼすのではなく、助け合えるという人の性質を信じた生き方や社会のあり方を模索していきたいものです。

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