「進化」ということ。

例えば、「進化」ってどういうものだろうか?

人間は、すでに進化し終わっているのだろうか? この先、さらに進化していくのだろうか?

どういうわけだか、人間は保守的だ。自分の生きてきた世界、自分の生きてきた歴史、自分が知り得たこと、そういった既知のことに固執する。このことによって「進化」を拒んでいる。

もし仮に、あなたの隣にまったく違う方向に同じスピードで移動している人がいたとする。それがひとりではない、何百人といる、いや何万人といたとして、その人たちが作る社会は、はたして進化していないだろうか? 

そりゃ、進化しているさ。というより、日々、思いがけないスピードで進化しているのさ、世界は。

おそらく私たちが思いもかけないところで進化は、刻一刻と成し遂げられている。そのことに、どう答えをだすか。つまりは、その進化に自分が、いや、あなたたちはどう対応するのか。どんなふうに? どんな手段を使って対応するのだろうか?

それがこの文章の言いたいことなのだ。

私も「進化」に取り残されようになっている人のひとりだと思う。どんなにがんばっても若い人のようには、柔軟に新しい音楽や映画や小説を受け入れることができない。Templayがいいと思いながらも、思い出の懐メロを聞いてしまう。

私が「進化」を意識しだしたのは、おそらく5年から7年前ぐらいのことだ。おそらく、ほぼ同じ頃にHTML5がリリースされたのではないかと記憶している。その技術は、画期的だったことはおそらくいま私たちが直面している現実でわかっていることだ。

じつは、現在Webの常識が変わりつつある。それは、変化していくWebである。どういうことかと言えば、WixやWebhookに代表されるような様々な技術がプラグインできるWebページやWebサービスのことだ。なんの話かわからないかもしれないがとりあえず話を続ける。

そもそもプログラミングとは、メタ言語の操作である。なにをいっているかわからないかも知れないが、直接コンピューターに話しかけるには、01001001010...みたいな二進法の信号を送らなければならない。そんなことをいまの時代にやっている人はいない。それを解釈して、人間の言語に近づけたもの、あるいは人間の言語をつかって、二進法に翻訳したものがプログラム言語だ。プログラムを書くということは、メタ言語でこのコンピューターに話かける言葉を作る作業だ。

さらに、このプログラム言語には、「スクリプト」とよばれる、さらなるメタ言語が存在する。これはプログラム言語を、さらにわかりやすい形で操作するものである。例えば、ちょっと微妙なところだが、AppleScript、Perl、Visual Basicなどがある(ちょっと乱暴だが、そういうことにしておこう)。

先ほど出てきたWebhookはさらに上位の言語あるいはサービスである。もはや言語はほとんどない。使う人間は、その背景にある言語のことなどを気にせずに利用できる。ここまで話したところでわかると思うが、プログラミング言語は、いまここまできている。つまり、それぐらいのレベルでいわゆるプログラミングされているサービスを利用できる時代になったということである。

この変化がもたらしたことはなんだろう?

かつては、会社のHPを持つということは、とても高価なものだった。ショッピングカートが搭載されたホームページを作ろうもんななら100万円をくだらないと言われた。そのくせ、仕様を変えるたびに数万円という金を請求されるということはざらだった。さらには、一度作ったものは更新が極めて難しかった。新しくするためには、どういうわけだかゼロから作り直さなければならなかった。そんなことがつい最近まであった。

私が現在の会社のホームページを作るのには、約60万円をかけた。ちなみに、私はある会社のホームページをまるまる持ってきて改造しただけなのにである。結局は、ECの売り上げでとりあえずはペイできたが、金額的にはバカにならない。ところがだ、その直後にHTML5という現在のWeb業界をいっぺんするような仕様が発表された。60万をかけたページはこの時点で、時代遅れになる。しかしだ。このホームページの仕様自体は、たかだかここ10年のあいだに確立されたものだ。それがすでに時代遅れになったというわけである。つまり、ホームページへの投資としては割に合わない。

私は思った。自前でホームページを用意する時代は終わるだろう、と。用意はするが、アップデートは業者のほうがやってもらえないと困る。そこで選んだのが、いわゆる無料でホームページを作れるサイトである。

このとき私は念頭においたのは、「変化」だ。例えば、現在パソコンは5年もすれば古くなる。それは、ソフトが重くなったり、Webサービスが重くなったりして使い勝手が悪くなる。また基幹ソフトがそもそもOSに対応しなくなる。よくあることだが、そのサイクルを5年と見積もっている。仮に、そのスパンでWebページを考えたとき、確実にデザインの主流も、利用用途も5年後に変わるに違いないと思っていた。しかし、いま私は、このスパンを3年と考えるようになった。つまりはHPの賞味期限のことだ。

どんな方法が、この3年ごとの変化に対応できるだろか? 専門業者でもない人間が、はたしてこの3年ごとの進化にどうやってついていけるのか? さらにいえば、今後、このスピード感は、私たちが日々生活するスピードに近づくだろう。例えばLINEを見てもわかる。ほぼ、日々の営みのようにさまざまなことが変化していいくのだ。

そう、これがいま直面している「進化」ということである。

私たちは、とくに古い人間はこの速度を嫌う。そして変化していくものに苦言を呈する。しかしだ、その瞬間に私たちはこの「進化」においていかれることになる。

「進化」が正義であるとは言わないが、「進化」が仮に日々進んでいるようであれば、一日この「進化」から目を話した瞬間に、とりもどせない一日を作ることになる。そのぐらいに、「進化」は日々刻まれている。

どうすればいいか? 「進化」と同調するように生きるほかはない。

それは簡単か? 簡単だ。変化を恐れずに、変化していくことに身をまかせることだ。形を決めず、可変な現実対応をしていくことだ。

可変な現実対応は難しいに違いない。でも、そもそもそんなに楽な道はこれまでにあったか? あったとしたら、それは怠けさ。怠けていただけだ。

人間は怠ける生き物か? いや、怠けることを理由に、あきらめようとしていることが数あるだけだ。いや、諦めるために怠けることを理由にしている?

そう、ただ言えることは「進化」から目をそむけないことだ。





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