斬新なゲームと凡庸なゲーム、ソシャゲとマーケティング
「人々に何が欲しいかを訊いたら、『もっと速い馬を』と答えただろう」とヘンリー・フォードは言った… という使い古された格言を、先輩より賜った。
クリシェ~~~!と私が心の中で叫んだのはさておき。
私はゲーム会社勤務である。先輩の言葉は「ゲームのようなクリエイトはマーケティングリサーチじゃ売れるモノは作れないよ?」という文脈で使われた言葉だ。
しかしそれは果たして本当だろうか?
ソシャゲ=マーケティングリサーチの産物
ひとまずF2Pで課金マネタイズ型、主なハードをスマホに定めているものを「ソシャゲ」と呼ぶことにする。
ソシャゲはマーケテイングリサーチの産物だ。
ソシャゲの偉大な点は「ガチャ」にある。課金で問題になったのも、親ガチャという言葉がセンセーショナルなのも、全ては「ガチャ」の訴求力に依るものだ。
ソシャゲのゲーム性自体は凡庸だが、設計が適当な訳ではない。一般的なゲームと注力している先が違うのだ。いかに思考停止しても遊べて、インフレすることなくガチャを続けられ、ユーザを保つイベントを開催することができ、メディアミックスできるか。ダメなら早めに損切りする。
ソーシャル性やライブ感こそが、ソシャゲの魅力だ。ゲーム性は褒められたものではなくても、コンシューマー向けと比べてソシャゲのライブ感は圧倒的だ。名前の通りソーシャル性こそがソシャゲの武器だ。
先に書いた通り、一般的なゲームとは注力先が違う。パッケージングの方法が重要なのであって、それはユーザーも承知している。パズドラとモンストで、どっちが純粋にゲームとして面白いか?は重要でないし、語られているところを見たことがない。
語られるのは、詰まるところ「運営としての手腕はどちらが上か」。結果、ソーシャルという概念に対して一日の長があるmixiが今でも優位を保ち続けるのは、必然とも言える。
量産できるように絵は2D、ゲームも簡単にして、エフェクトで派手にしとく。サーバー上に蓄積されたビックデータを読み解き微調整し、話題の絵師や声優を連れてきて、SNSの反応を見ながら次々にイベントを展開していく。
これがソシャゲの構造だ。
ソシャゲは斬新ではない?
「スマホ(ケータイ)でゲームをすることを一般的にした」という点で斬新だった。
iモードの時代からケータイでゲームはできたが、ユーザーはごく一部だった。今では電車に乗ると3人に1人はゲームをしている。こういう生活様式を変えたものは、やはり「斬新」だと言っていいと思う。
ただそれはスマホが斬新なのであって、ソシャゲが斬新ではないのかもしれない。ジョブズが変えただけかも。しかし、それを区分することにも余り意味はない。歴史的に見ればどちらも大きな一つの奔流内の出来事だ。
「斬新なゲーム」?
色々な解釈があるだろうが「ちょwwww斬新wwwww」というのは割愛する。あくまで「後世に大きな影響を残したゲーム」を基準に語る。
実はゲーム業界にいると、意外に話として出てくるゲームは固定化されていることに気づかされる。ゲームの嗜好に依らず、印象に残ったゲームはその仕様の独自性ゆえに心に残るのだ。
ゲーム会社にいると企画を考える機会があるが、封じられている道が幾つもある。要は協力な同業他社が既にいるからだ。
例えば「パーティレースゲーム」を作るには、凄まじいアイデアか、パクることを辞さない蛮勇が必要だ。基本的にそういうゲームを作る話は机上にすら乗らない。マリカーがパーティレースゲームのテンプレを作ってしまい、それを超える斬新なアイデアが無いからだ。任天堂のゲームはそういう「パクリにくい、転用しにくい」ゲームが多い。
何かモノを数値化してキャラに!も、バーコードバトラーとモンスターファームがもうやったし、QRコードバトラーなどはすぐ思いつくが先が見えてる。AIとお喋りする企画を出せば「はいはいシーマンシーマン」で話は終わる。
CREWやノーマンズスカイのプロモ映像が流れたとき「コレは凄まじい革新が起こるゲームだ」と業界関係者は思った。それほどの可能性を感じるプロモーションだった。
その結果は多少ガッカリするものだったとしても、「無限に広がる宇宙を無限に旅できる」というコンセプトだけは業界関係者の中に強く残った。自動生成のステージや世界を作る、という考えはよく挙がる話だからだ。
斬新なゲームというのは(あくまで私の定義で言えば)、「ゲーム史」の観点では大きな役割を果たす。売り上げや面白さも高い傾向はあるものの、直接的には関係が無い。
まとめ
一時期のソシャゲは、濡れ手で粟のような状態だった。今でこそ爆発的な売り上げは陰りを見せているが、それでもプラットフォーム型のゲームに比べて遜色ないか、それ以上の売り上げを見せている。
先に書いた通りソシャゲはマーケティングの産物だ。だから「マーケティングで作ったゲームで、大きな利益は生み出せない」というのはFalseだ。
一方、先に羅列した斬新なゲームたちがマーケティングで生み出せたかは、かなり怪しい。というか無理だろう。「マーケティングで斬新なゲームが作れない」は、おそらくTrueだ。
ソシャゲの偉大な点その2は、「斬新さが無くても、大きな利益を生み出せるテンプレを作った」ことだと言える。閃きが不要で、天才がいなくても作れる。上物を乗せ換えればいいので量産でき、撤退し易い。マネタイズの仕組みがシステマティックで洗練されている。ソシャゲは半ば意図的に、斬新さを捨てているのだ。
私の先輩がどの程度考えてその言葉を言ったかは知らないが、マーケティングでゲームを作るかどうかは、どういうゲームを作るかに依るだろう。
少なくとも「斬新なゲーム」も「利益を生み出すゲーム」も、企画を通したことがない先輩が言っていいセリフではないなと、ここまで書いて思った。
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