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【行列ゼロ!じんたろ法律相談所】民事事件の事実認定とはどういうものか?

毎日、M氏のいいかげんな事実に基づくニュースでうんざりする。
みんな、裁判が始まるまで待てないのか?
いや、テレビや雑誌はお金になるのでニュースや記事にするんだろうけど。


1.今回の裁判の性格

今回は性加害が問題になっているのだが、強制わいせつ・強制性交等でM氏が訴えられているのではない。

強制わいせつ罪とは次のようなもの。
刑法では以下のように規定されている。   

刑法百七十六条(強制わいせつ) 
十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上一〇年以下の懲役に処する。一三歳未満の者に対し、わいせつな行為をした者も同様とする。

相手が13歳以上の場合には、わいせつ行為をするに当たって、暴行又は脅迫を用いた場合に強制わいせつ罪が成立し、相手が12歳以下の場合には、暴行又は脅迫を用いなくとも強制わいせつ罪が成立する。   

次に、強制性交等罪は、以下のように規定されている。   

刑法一七七条(強制性交等)
一三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。一三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。

強制性交等罪も、相手が12歳以下の場合には、暴行又は脅迫を用いなくとも罪が成立する。

強制性交等罪については、過去には「強姦罪」と規定されており、対象行為は性交だけだったが、その後の刑法改正により、対象行為が、性交のみに限らず、肛門性交及び口腔性交も加えられることになった。

これらは容疑者が警察に逮捕される案件である。
しかし、今回は刑事事件になっていないし、被害者もそうする意思はないようだ。
刑事事件でなくても、不法行為として民事裁判をすることもできる。損害賠償請求である。
でも、どの被害者もそうしないようだ。

どうしてそのときに刑事告訴しないのか!と言うこと自体がセカンドレイプなのだそうだ。被害者は権力関係の中で訴えられなかったり、そのときのショックで記憶を消したくなったりする。時間を経て、今やっと誰かに言えるようになったのだと解説する人もいる。

また、爆笑問題の太田光は、今回の件をこんなふうに言っていた。

文春で証言している女性たちは別に松本さんを犯罪者だって告発してるわけではなくて、こういうことがあって、過去にこういうふうに言われたと、それが自分の中で傷として残っている。それは松本さんは意識してないかもしれないけども、“私はあれは傷ついたんですよ”ってことを、今まで言える状態じゃなかったけど、“あれは傷だよね”って思ってくれる社会になってもらえたら、 “やっぱり自分も傷だったんだ”って言えるって。そのことが彼女たちにとっては、もしかしたら一番大事なことで、彼女たちは松本さんをコテンパンにやっつけて、もう立ち直れないほどの打撃を与えようとしているわけじゃないような気がするんですよ。とにかく自分の問題として“あれは傷だったんだから、傷だって言っていいですよね、この社会で”っていうことだと思うのよね。


しかし、M氏にとってはそんな生やさしいことを言っている場合ではない。
今回はいわゆる「文春砲」と呼ばれる週刊誌の記事が発端で、M氏側が名誉毀損の民事訴訟を起こすのである。


名誉毀損(不法行為)により被害を受けた人(以下「被害者」といいます。)は、不法行為者(以下「加害者」といいます。)に対し、民法709条、民法710条【※1】に基づき損害賠償請求をすることができます。実際の訴訟においては「慰謝料」や「弁護士費用」を請求することが多いでしょう。

民法709条、710条とはこういうもの。

○民法709条
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
○民法710条
他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。

また、民法723条により名誉回復措置請求をすることもできる。

○民法723条
他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる。

M氏は損害賠償と訂正広告を求めているのでそういう裁判になるのだろう。

被害者としては、この規定に基づき、例えば、被害者(原告)は、加害者(被告)に対し、「被告は、別紙1記載の謝罪広告を被告が発行する……書及び……掲示場に別紙2記載の条件で各1回掲載せよ。」などと求めることが考えられる。
ただし、裁判所は、損害賠償請求については認めても、名誉回復措置請求までは認めないことが多い。


名誉回復措置請求まで認められるには、例えば、被害者の名誉が毀損された程度が著しく、その救済としては金銭賠償だけでは十分とはいえず、併せて原状回復の手段をとることが必要(東京高裁平成27年7月8日判決参照)というような場合でなければならないでしょう。


2.民事訴訟の名誉毀損は成立が難しい

しかし、名誉毀損というのは成立しても、棄却される要素がある法律構成となっているので、結論が明確に出るのはなかなか難しい。

名誉毀損とは、その人の社会評価を下げることだ。その判断をする基準は誰なのか?

「社会的評価が低下」するか否かは、一般人の感覚を基準に判断されます(最高裁判決昭和31年7月20日、最高裁判決平成28年1月21日)。

ただ、前回のNoteに書いたように、事実の摘示については、以下の基準を満たす場合には、不法行為とならない。

① 事実の公共性
② 目的の公益性
③ 摘示された事実が重要な部分において真実であること(真実性)または摘示された事実の重要な部分を真実と信ずることについて相当の理由があること(誤信相当性)

また、事実が真実でなくとも、相当な理由に基づき、摘示した事実の重要な部分を真実であると信じたことが証明できた場合にも、不法行為とならないことになっている。

要するに、言ったもの勝ち、書いた者勝ちのような印象ももつと思う。

しかし、そこは裁判官が裁判所で行う作業なので、テレビや週刊誌のように「事実」が扱われるわけではない。

3.民事裁判における「事実」とは何か?

では、民事事件で事実はどうやって認定されるのだろうか?

司法修習生がテキストにしている『ステップアップ民事事実認定(第二版)』(有斐閣)という書籍がある。

これは素人にも「事実認定」についてわかりやすく書いてあるので、これをもとに説明する。

(1)弁論主義

民事訴訟では弁論主義がとられているため、事実認定についてもこの制約を受ける。
まず、裁判所は当事者間で争いになっていない(主要)事実や顕著な事実については、これをそのまま前提として裁判しなくてはならず、証拠によってこれと異なる事実を認定することはできない。

さらに、 民事訴訟では、事実認定の基礎になる証拠資料は、原則として、当事者が提出したものに限られる。

つまり、ワイドショーで10人目の証言者出てきたとか言っているけれど、M氏がそれを名誉毀損だと訴えなければ、何の問題にもならないのだ。

(2)証拠と証明

契約書、領収書、念書などの証拠書類は「書証」と呼ばれる。
それに対して、証人の証言、本人の供述は「人証」と呼ばれている。
これらは、ともに事実認定に用いられるが、それぞれの性質を把握しておくこと必要がある。

書証は、過去に作成されたそのままの姿を現在に伝えるという固定的な点で、特別な意味を持っていつ。過去に書き遺された書類(例えば、契約書や念書など)の記載は、権利関係が明確に記載されている場合はもちろんだが、当時の事情を反映していて、客観性があり信頼できる面があると言うこともできる。
これに対して、人証は、記憶が薄れたり、利害関係が絡んだりして、そのまま真実を伝えるには不十分で、浮動的な面がある。しかし、事件全体のストーリーを伝えるという意味では、書証の内容を吟味する上で無視できない価値を持っている。
つまり、実際の事実認定では、書証が過去の一点を固定的に示すものであるという特性があることと、人証が浮動的ではあっても事件の全体的なストーリーを伝えるという特性があることをそれぞれ踏まえた上で、これらを総合した判断をすることが必要になる。

(3)推認の偏りを反省する

民事裁判においては、要件事実の認定の際には、法的な評価を加えて事実を認定することが必要になる。
民事裁判の事実認定 は、刑事裁判のそれと比較しても、純粋に事実的なものばかりでなく、法的評価を加えて事実が認定される場面が多いとも言われている。
事実認定といわれるものの中には、法的な評価が必要とされ、 これを含めて事実が認定される場合もあって吟味することが必要だ。

事実認定は証拠によって事実の真偽を判断することであり、動かし難い事実に推認を積み重ねて事実の全体像を明らかにしていく。
このような推認の作業は精神的な活動なので、その考え方や見方がまっすぐで、ゆがみや偏りがないかを絶えず反省する必要がある。
よく反省してみると、無意識のうちに、好悪、経験、立場、願望などに影響されていることに気付くこともある。

こうした自分の偏った、 思い込みを正すためには、自分以外の誰かに相談して、自分の見方、考え方を示して議論をしてみることが有用で、それが複数の判断者による合議の長所になる。

また、事実認定は、仮説に基づく推論の作業ですから、この推論のどこかにおかしいところがないかどうかを絶えず点検することが必要だ。

性的な加害があったかどうかの事実は、LINEの記録は書証として、本人の証言や後輩芸人の弁明などは人証として扱われる。
事実認定は証拠によって事実の真偽を判断することである。
LINEに書かれたことの解釈の違い、食い違う証言なども、動かし難い事実に推認を積み重ねて事実の全体像を明らかにしていくことになる。
おそらく「週刊文春」の記者のメモや録音も証拠になるだろう。

このような推認の作業は個人の精神的な活動なので、その考え方や見方がまっすぐで、ゆがみや偏りがないかを絶えず反省する必要があるのだ。
証言者たちは、よく反省してみると、無意識のうちに、好悪、経験、立場、願望などに影響されていることに気付くこともあるということを自覚することになる。

そして、「週刊文春」の記事がどれくらい真実性を追求して書かれたものかが一番の問題になるだろう。

名誉毀損裁判では、「摘示された事実が重要な部分において真実であること(真実性)または摘示された事実の重要な部分を真実と信ずることについて相当の理由があること(誤信相当性)」がポイントなのだ。

「性的加害」とは何か、「両者の合意」があったのかなかったのか?

裁判は3~5年はかかると言われている。
結審まで行くのか、和解になるのかはわからない。

事実とは何か?

これは現代の哲学的にはなかなか答えが出ない問題ではあるのだが、裁判では答えをひたすら追及する作業なのである。

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