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スーパー大学職員と呼ばれたくて その7:恐れのない組織をつくる

無謀な挑戦をする人

人前で話すのがあまり好きではない。
スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツみたいなスゴいプレゼンをしたくてもできないし、人前で話すと自分をつい大きく見せたくなってしまう。実体より大きな自分を他人に見せると、そのイメージのギャップをいつも後悔する。それは生理的なもので、夜、思い出して、「ああっ」と唸ったりする。
バンドをバックにライブハウスで歌ったことがあるが、それは何ともない。たぶん、自分とは違うもうひとりの自分が歌っていると感じるからだろう。じんたろバントという自分とは違う他人になれるんだと思う。

でも今年、ある学校法人の教職員の前で話をしてみたくなった。
そこはこれから私たちが20年くらい前にやったような改革に乗り出すかどうか思案しているところだった。
それを主導している人に頼まれたという事情もあった。過去にお世話になった人で、その学校法人の理事長に頼まれてひとつの学校のトップになっていた。
大きな大学で常務理事まで務めたその人は、地方の小さな学校法人の再生に関わる決心をした。
私は、日本の学校法人は多過ぎるので、社会から支持されない価値のない学校は潰れるべきだと思っている。それは私たちの学校法人が一度倒産の危機に陥ったことから思うことだ。
教職員が給与を得ることを最優先に考え、社会の変化に鈍感で、改革に後ろ向きな学校は要らないと思う。
私がその人にそう言うと、その人はこう答えた。いや、新たな問いだった。
では、地方の大学や短大がすべて潰れればいいとは思うのか。首都圏、大都市志向の受験動向があるなかで、価値のある地方の大学・短大は残すべきではないのかと。

う~ん。私もそう思う、と言った。
その人の就任祝いにその学校法人を取り巻く経営環境について分析したレポートを渡した。去年の暮れから年明けにかけて、私はネットで拾える情報を集めて分析した。人口動態をその地域の市町村の国勢調査の報告から拾い、競合法人の財務状況を公開している財務三表から取り、文科省のある委員会が作った全国の大学生の流入流出と大学の充足率から残留と充足の相関図も作成した。すべての作業をひとりでやった。
その結果、とても回復困難な経営状況にあることがあらためて理解できた。ただ、その県に新たな大学を作れば流出している大学生はある程度戻ってくるポテンシャルがあることもわかった。自分で言うのもなんだが、コンサル会社に頼むとたぶん100万円以上は値段を付けるレポートじゃないかと思う。
これはその人へのリスペクトの産物であって、もちろんお金は貰うわけではない。その人はこの内容をみんなの前で話すと、身構える職員が出てくるので、そうしないと言った。だから、レポートはその人にだけ就任祝いとして差し上げた。
就任の日には胡蝶蘭も贈ったが、たぶんその人はこのレポートの方が役立ったんじゃないかと思う。いや私自身、その人がどんな困難を前にしているのかを理解したかったから、ひとりで年の瀬と正月に20ページ以上のレポートを作ったのだ。
そしてその完成したレポートを見て、無謀な挑戦をするその人をあらためて心から尊敬した。私なら決してやらないだろうその仕事に挑むその人を。

ある学校法人での講演

無謀な挑戦をするその人にその学校法人で話をしてほしいと言われた。
共学化や様々な改革をしてきた私の学校法人の話をしてほしいと頼まれた。
私自身、その学校法人の人たちの前でぜひ話したいと思った。これまでに経験したことのない感情だった。

私たちが取り組んだ20年前の男女共学化と総合大学化に乗り出した頃の話。
吸収合併とか裏切りとか、けっこう際どい内容もあったので、話すなら投射資料は部分的に白塗りにしないといけない。資料や音声が流出すると迷惑をかける人々もいる。学内や地元では話ができない内容もある。改革にそういう困難はつきものだ。
でも、そんなことをその人たちの前で話したくなった。
それは私にしかできないことで、その話をリアルに語れるのは自分しかしないと思った。もし、その人たちがこれから改革に取り組むことに私の話が役立つなら話してみたくなったのだ。

実際に話をしてみると、予定していた時間を10分くらいオーバーしてしまった。
その後、話を聞いてくれた人たちから質問をうけた。グループを話し手が回るという形式だったが、いくつか同じ質問を受けた。
「実は私たちも15年ほど前に共学化して学部を改組する話がありました。あなたの大学がどうしてうまくいって、私たちのところがダメだったんでしょうか」
そう聞かれた。
そんなこと、私は知らない。
でも、その当時のことをよく聞くと、あるコンサルが文系はダメとかいい加減なことを言って、逆に反発を食らっていたことがわかった。
でも、それだけではないのだろう。
「理事会がお金をどうするか考えたのか。誰かが改革のエンジンになっていたか。職員や教員で本気だった人がいるのか。そういう違いかもしれません」
そう答えた。
夜にその学校法人の人たちと飲んだが、牧歌的なよい学園だと思った。いろいろあるんだろうが、純粋な人が多いように思えた。
20年前より、私立学校を巡る環境は厳しくなっている。あの時より、改革が成功する確率は低くなっていると思う。
でも成功してほしい。
諦めずに改革を続けてほしい。そのなかで組織が変わってほしい。
心底そう思う。

職場で日々起きる問題

そんなことをやっているときに、ある会議の中で、私がいったいこの組織をどのようにしたいのかという質問をされることがあった。
最近いろいろ始めたことがある。
新規採用の過程で、独自のロジカル問題というのを課して口頭試問のような面接をするようになった。タスク管理とスケジュール管理を仕事の基本とするために、ロジカルシンキングとタイムマネジメントの研修のプログラムを編み出した。その研修は全員必修にしている。講師は学内者で養成している。
職能資格制度を導入し、目標管理と併せて人事評価と結びつけたり、管理職適性を見るアセスメントを行ったりした。問題が起きれば、降格も行った。厳しい組織だと思う。
一方で、メンタルヘルス・マネジメントを重視し、職場から離脱した職員のリハビリを行ったり、コミュニケーションのために1on1ミーティングやコーチングの外部セミナーに管理職を誘ったりしていた。
この組織は人に厳しいのかそれとも優しいのかわからない。
いったいこの組織をどうしたいのか。職員に何を求めているのか。
そういう疑問なのだろう。

組織の情報は事務のトップの私にいろいろ伝わってくる。それがすべてではないこと、おそらくある事実の一部であることもわかっている。しかし、ある人が上司に見せる顔と部下に見せる顔の違いがわかることもある。そういう話を聞くたびにいかに自分が組織のことを知らないのか反省させられる。
ハラスメントまがいの指導、力の無い上司の仕事を部下が請け負って不満をどこにも出せないこと、オフィスの空気でホントの話ができないこと、そういうことが伝わってきたりもする。
今日知った事実が、昨日までの自分の知っていた組織の世界を修正する。長らく知らなかった事実をその課長の代理をすることで知ったこともある。それが組織にとって大きな問題であり、もっと何年も先に知っていれば手を打てたと思うこともある。
言いにくいことでもどうしてアサーティブに物が言えないのか、上司に対してそれはあなたの仕事でしょ、とどうして言えないのか考える日々。
そんなとき、ある若い優秀な職員が、辞めたいと相談しに来た。その職員は学内で話をしたくないと言ったので外で会った。
明日、職場に行きたくないと毎日思う、とその職員は語った。その職員は、コロナ感染下で学生のために自分の能力を最大限生かしてくれたこともあった。
そのときに思った。今、はやり言葉のようになっている「心理的安全性」って何なのだろうかと。
そして思った。
私は今職員みんなの前で話すべきだと。
どういう組織にしたいのかを。
人前で話すのが好きでないとか思っている場合ではない。

どういう組織にしたいのか

そのときの内容の詳細を公開するのは業務上の機密事項にあたるとも思うのでできない。
だから適当にごまかす。
でも、これは全国の学校法人、いや企業も含め、大事なことなのではないかと思う。
組織のトップがどういう組織にしたいのかを話す。
組織の誰もが気兼ねなく話ができる。
そういう組織を経営のトップが、管理職が作っていく。それは大事なことだ。
大企業でもベンチャー気質のある企業はすでに実施しているところも多いと聞く。知り合いの企業もそうだ。部長たちが、心理的安全性の本を読み、勉強会をし、実践している。その会社は副社長のパワハラ問題が発覚して、猛反省したらしい。営業成績で引っ張る副社長だったので、誰もものが言えなかった。
しかし、その会社は部長たちが動いた。
それは簡単には実現できないことだとも思う。
組織のなかでものが言えない不幸な人たち。挑戦を躊躇する残念な境遇。それを打ち破るために、トップの人たちは何ができるのだろう。
社会はヒーローを求めたがる。
だからカリスマ経営者の本が売れる。
自分はいかにこの組織を作ったか、そしてどうみんなを導いたのか?
そういう話が好きだ。
そういう組織でよくあるのは、一度引退した人がまた社長に返り咲いたりしていることだ。強力なパワーを持ったリーダーがその人の考えを隅々に浸透させ、それを官僚組織が運営する。
でも、実際そういう組織が市場を争う戦いには強いのかもしれない。なんとかイズムを浸透させるという会社のシェアが世界でトップということもある。
でも後継者が育たない。組織の人材を成長させることにつながっていない。
それがこういう組織の特徴だ。
でも、学校法人にそういうヒーローは要らないんじゃないかと思う。
人を育成する組織にヒーローは不要なんじゃないかと思うのだ。

ビデオで組織の人々に公開した講演と質疑

部課長の前で私が40分くらい話をしてその録画を全職員に公開した。部課長との質疑まで含めて公開した。
みんなを集めて一方的に話をする形にはしたくなかった。
話をする前に部課長に言った。
今日話すことは私個人のたんなる思いつきではない。
今日までに3回の会議の会議を開いて、議論した。その議論のなかで、当初考えていたことを修正したところもある。
だからみんなで考えほしい、と言った。
それから、この20年、女子大学から共学化し、総合大学として発展してきたことを話した。自分たちが生き残るためだけを考えて頑張ってきた。しかし、今、大学団体や経済界の組織に職員を派遣したりできるようになった。自分の大学のことだけでなく、他の大学や企業、社会のことを考えられる組織になった。
この組織は、女子大だった頃からいる職員は今、15%未満になっている。職員のほとんどが転職で本学に来ている。組織を構成する人々は変わった。でも組織の意識が昔のままという事実もあると話した。

そして今大事なのは、発展してきた本学園が挑戦する力を失わず、官僚的傾向が見えつつあることを克服すること。
そのために、自由に発言できる「心理的安全性」を上司が作る必要性がある。
そして同時に、職員が失敗を恐れず、一歩踏み出すことから始めるのだと話した。

心理的安全性を上司が作る。
これについては幹部の会議でも異論があった。
上司にだけ責任があるのか、発言しない部下も悪いのではないか、と。
しかし、考えてみてほしい。
部下が自分たちで何でも話せる環境を作ることができるのか?
仕事を割り当て、スケジュールを決め、予算を配分するのは上司。
会議のルール、発言のルールも知らず知らずのうちに上司が決めているだろう。
上司は、その「権力」「権限」を意識しないといけない。
いや、うちは「放任主義だから」という上司がいたら、その放任主義のルールを決めているのは上司だ。放任主義が丸投げなのか、果たして何を放任しているのかを振り返ってほしい。
組織を構成する以上、最終的に誰かが決めたり、命じたりしないといけない。命じないという命じ方は選択肢としてあるだけだ。コミュニケーションのあり方も同じ。その組織の雰囲気、風土を醸成するときに上司の影響は絶大だ。
心理的安全性の本には、話をされやすい朗らかな上司になること、と書いてあるものもある。
職場では役割に徹すること、役割を演じなければならない。
しかし、キャラクターまで演じるってのはちょっと酷な話だ。
でも、究極の心理的安全性というのはそういうものなのだろう。
私ができているわけではないが、できるだけ朗らかにしていて、みんなが話しやすい上司自身になるべきなのだ。
「権力」「権限」はどんな上司も持っている。
でも、その「権力」「権限」は非常時にだけお互い意識するような組織になれるといい。

次に、組織改革のための職能資格制度、アセスメント等を導入したことを話した。
アセスメントとは、管理職になる資質をアセッサーと呼ばれる外部の専門家が二日がかりで見る。グループ面接、一対一の面接、長いインバスケット課題という課題解決問題。それらは職能資格や目標管理の人事評価とは別だ。それらは組織の構成員に厳しさを求めていることとも言える。でも、それは一人一人が組織で成長する糧にするためのものだ。
組織で役割を果たすために自分の課題は何かを知る。
そして、上司や先輩との1on1ミーティングを奨励している。目標を考え、ストレッチし、成長するための対話を行うことにしている。
明日、職場に行くのが嫌になるという職員がいる。
そういう職員が、明日仕事に行くのが楽しみになる。
今はそうでないという人がいるのももちろん知っている。
でも、明日、仕事に行くのが楽しみになる。そういう職場をつくるのだと話した。

その中心になるのは組織で成長すること。
松尾睦氏の図を示した。

覚えるのは三つだけのわかりやすい図だ。
「ストレッチ」「エンジョイメント」「リフレクション」。
目標を持って、仕事を楽しみ、振り返る。
それだけのことだ。
それで昨日よりも今日、できることが増えている。
昨日できなかったことが、今日はできるようになっている。いや、それは明日かもしれない。あさってかもしれない。
毎日の進歩は見えにくいが、一年を振り返るとできることが増えている。

職場では若い人たちのアイデアでいろんなことを取り入れている。
業務の効率化、省スペース化、コミュニケーションの改善を目的にABW(アクティビティ・ベースド・ワーキング)と呼ばれるオフィスのあり方に変えた。
フリーアドレス、集中スペース、コワーキングスペースをつくった。ドリンクバー用のカウンターも設けたが、そこは物置になっている。まだ、みんなが同じ方向を向いているわけではない。そういうことも話した。
情報システムを変えて、ネットでの決裁ができるように進めている。ペーパーレス化の一環だ。
質問回答の効率化のために、AIチャットボットも導入した。そのために2社の業者のシステムを試した。
そして、1on1ミーティングを実施している。
そういうことを話した後、本学に来て経験年数の浅い人たちの声を話した。
それを一枚の図にした。

話ができなくなるのは能力不足だ。
それはその通りかもしれない。
でも、会議も1on1のシーンも成長の場だとしたら、不用意な一言が成長の場を奪っていることになる。
発言しないのは、自分がみんなの足をひっぱるからと言う職員もいる。
質問すると、こんなことも知らない無知な奴だと思われるから質問しないという職員もいる。

恐れのない組織をつくるためには、上司が何でも話せる環境を作ること。
キャラクターを変えてしまうくらいにそういう環境をつくる。

その次に大事なことがある。
私の職場の若い人たちは仲がいい。
私を飲み会に誘ってくれたりもする。
それはとてもいいことだと思う。
でも、プロジェクトを成し遂げられなかったりすることもある。
途中で挫折したり、放ったらかしになったりすることがある。
それはなぜか?

一枚の図で説明した。
これはどこかにあった図をちょっと改変した。
チームビルディングのためには、出会いの次に率直に話をして対立する時期がある。
「U字の谷」とか「嵐」と呼ばれる時期だ。
率直に話すとはどういうことか?
みんな価値観や考えが違う。それぞれの家庭で育ち、違う友だちがいて、いろんな音楽や映画などに共感し、違う人生を歩んできた人たち同士だ。違って当たり前。
でも、チームを作るということ、何かを成し遂げると言うことは、違う価値観を示し合い、共通の目的を作り出す努力をしないといけない。そのために、違うこと、対立することをお互い認識する必要がある。そこで意見の対立が起きる。
たいていの場合、相手をイヤな奴とか、あいつはダメ、言ってもわからないとかになって、チームが崩壊する。
仲良しだけがいいと思っている人たちは相手の意見をえぐったり、批判したりするのが概して嫌いだ。相手を傷つけたくないというような感情が強い。
でも、それは本当に相手を理解することになるのか?
お互い影響を受け合うことになるのか?
次の感情は、そんなこと面倒くさいということ。うっとおしいと思うこと。
困難を克服することを面倒くさいと思う。
それでは坂を上れない。
「嵐」「U字の谷」に出会い、そこを克服すること。
「対立」を乗り超えて、はじめて「信頼」が生まれる。
それが大事だ。

最後に一枚の図を示した。

手書きの字。
それも下手くそな字だ。
描画ソフトで書いた。
端っこに恐竜の画像を付けた。

恐れのない組織
ささやかでも未知の世界に挑む
小さな声でも発言する
失敗から学ぶ

恐れのない組織は、上司が何でも話せる環境を作ることから始まる。
チームで課題を成し遂げるには、対立も必要だ。意見、価値観をぶつけ合い、共通の目的、目標を作り出すことが重要だ。
ここは若い職員のために書いた。

ささやかでも未知の世界に挑む。
ささやかでもいいのだ。
知らない世界に挑むのだ。

小さな声でも発言する。
この図の字のように、下手な方が、ゴツゴツしているほうがひっかかる。記憶に残る。自分の表現でいいのだ。

失敗から学ぶ。
始めないと失敗もできない。
成功した体験より、失敗した体験の方が学びは多い。

先日行われたサッカーのワールドカップのクロアチア戦でPKを失敗した日本の選手がうなだれていた。
ロッカールームで、最初に蹴って失敗した若い南野選手にベテランの長友選手がこんな声を掛けたことが報道されていた。
「ありがとう、拓実。お前、勇気あるな」
言葉をかけた直後、長友選手は南野選手を静かに抱きしめていた。そして言った。
「次の未来へ繋げれば問題ない。顔を上げて帰れ。勇気あるなマジで。俺は蹴れん...マジでありがとう」

蹴れないよりは、蹴った方がいい。
蹴る人は勇気があるのだ。
それは讃えられるべきだ。
サッカーの試合を見るだけでも学べることはある。

私が話をした後、部課長の質疑応答でこんな声があった。
「産業心理学か経営学の講義のようだった」
「自分のなかにあるものを見せてくれたのは意義があると思う」
質疑では私の1年半前の判断を責める人もいた。それも公開した。
何を言ってもいい。よい例だと思った。事実に基づいて反論はしたが、何が正しいのかは組織のみんなが判断すればいい。
全部署で議論してほしいと言ったら、ほとんどの部課で議論してくれた。

ある部署の会議に私も参加した。
参加して話を聞くだけにした。
キャリアの長い人は「若い人たちがおとなしすぎる」「昔はこうではなかった。みんな上司に向かって反論していた」と言っていた。
「昔は仕事に対して責任を持っていた。自分の仕事が職場全体でどういう意味を持つのかわかっていた」という人もいた。
若い人たちは、「心理的安全性を前面にトップが出したのには意義がある」という人もいたが、うちは自由に話ができているという人たちも多かった。
本当にそこで意見を言うべき人は欠席していた。
それぞれの人たちの話は、人事評価のルートとは別に私の耳に様々な角度から届いたりする。それらすべてを事実かどうか検証はできないが、何人かの言うことが同じだったりすると、表で話していることと裏で話されていることの違いを感じたりする。
ジョハリの窓という心理学モデルがあるが、他人に見えて、自分には見えていない姿は誰にでもあるものだ。
等身大の自分を分析できて、他者とも等身大で話ができればいいと思う。そして新たなことに挑み、そのなかで成長する。そういう組織になればいい。

どのような組織を作るのか

先日、いろんな大学の職員理事が集まる会があった。
人事や労務、法務で日々同じような苦労をしている人たちなので、気軽に話をする。悩みが共有できる会だ。
新年に職員の前で挨拶するのかどうかという話題になった。
理事長、学長が訓示をすることが儀式のようになっている学校法人があった。
組織の隅々までその内容は印刷されて伝わる。
習近平の演説みたいだと感想を言う人がいた。
ある宗教法人がバックにあるところは理事長の言葉と礼拝があるらしい。
一方で、大きな学校法人でも何もしないというところもあった。
そういうことをみんな嫌うからだと。
いろんな組織があるものだ。
うちでは事務職員には理事長と事務局長が、教員には理事長と学長が短い挨拶をする、と私は言った。
その話題のなかで、今年、私が職員の前でどういう組織にしたいのかを語ったことを話した。
みんな興味を持った。
だいたいの職員は事務のトップを恐れている。廊下であってもあっても目を合わさないようにスマホをいじった入りしているという人もいた。
たぶんうちでもそうなのだろうと思う。
ある学校法人の人が私の話のビデオを転職していった人から見せてもらおうと言った。
ほかの学校法人から転職してきたり、退職後、本学園に就職している人もいる。
お互いの学校法人の内々の話も伝わったりするものだ。
ぜひ、見せてもらってください、と私は言った。
事務のトップがどういう組織を作りたいのかを話すのは大事だと思います、と話した。

話しても、自分の考えていることの半分も伝わらないのだろうとは思う。
そして話したことの一割も実現できないかもしれない。
でも、やらないよりやったほうがましだ。
ささやかでも未知の世界に挑戦する。
小さな声でも発言する。
それはトップの自分も同じなのだ。
恐れのない組織を作る。
何でも話せて、話し合ったことに挑戦する。
際だったヒーローは要らない。
自分自身がヒーローになることをすべての職員に期待している。

スーパー大学職員なんて、ホントは要らないのだ。

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